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中の人爆誕編Ⅱ ~マザーズ・ブートキャンプ


帝王切開による出産は手術室のBGMのChoo Choo train に気を奪われている間に終わるほど無事かつあっさり終了しました。その日は赤子はGCUという別棟で預かられ、自分は管がたくさんついた状態で病室に戻ります。クチに酸素マスク、腕から点滴何種類か、背中にはカテーテルと痛み止めの薬を注入するための小さなポンプ、下半身には尿パックがそれぞれついており、やはり血栓防止のため足に空気ポンプがまかれて一晩中マッサージをほどこされます。かなり物々しい感じでいかにも「いま手術してきたばっかりです」という外見ですが、部分麻酔のため意識ははっきりしているし、気持ち悪さもありません。さらに痛みも今回はほとんどなく、手術が終わった直後も病室でゆっくり夫と自宅の冷蔵庫を新調できるか否かなどの超雑談をする余裕すらありました。

水も食物も口にできない状態ですが、ベッドの上に寝ている分には筋腫の手術のあとよりも格段にラクです。麻酔が切れると手術で切った部分の痛みが出るため、背中のカテーテルに繋がれらたポンプから直接鎮痛剤を自分でスイッチを押して入れることができるのですが、過去の筋腫の手術のときにはほぼ30分ごとくらいに連打していたそのスイッチはほとんど押さずにすみました。寝ている間に足をマッサージしてくれる装置もなかなか心地よく、「このマッサージ機うちに欲しいわー」とかのんきに構えつつ、点滴を定期的に看護師さんに交換してもらいつつその夜はぐっすり朝まで眠りました。

翌日。
病院の朝は早い。酸素マスクやフットポンプなどが早々に1つずつ外されていき、早くも歩行訓練が始まります。うむ、これも経験ある、切った翌日から動かないと癒着だので回復遅れちゃうんだよね知ってる知っ(カジュアルにベッドに半身起こしかけ


ぐ……

ぐおぉぉぉ……

ぉぉぉおおお……?!?!

ぎ、ぎゃーーーーーー!

それは今まであまり経験したことのない、全身揺さぶるような痛みでございました。

今まで2回やった手術は、皮膚を切るのは数センチですむ腹腔鏡によるものでした。しかし、今回は腹筋の下を真横に10数センチばさっといっています。だが、ベッドから起き上がり歩くには、どれほど電動ベッドのヘルプを借りようとも腹筋を使わないと動けないのです。

傷口近辺はまだ麻痺した感覚が残っているし、安静にしている限りはそこを前日に切ったばかりだということを本気で忘れるくらいですが、いざそこを動かそうとした途端に「そんなに世の中甘くねぇんだよ!」と叩きつけられるような勢いで激痛とともに衝撃が襲います。看護師さんの介助を受けながら、数メートル先のトイレに点滴棒にすがりながら生まれたての子鹿のようによろめきながら到達するまで15分。
さらにトイレに入っても、便座に腰掛けようとして激痛、小用を足そうとしても下半身に力が入らず、尿意はいまそこにあるのにそれを具現化させようとしてまた激痛。本気で涙を流しつつ、このままここで力尽きるのではないか、と危惧しながらベッドに戻るまでに小一時間。尿でこれ、ということは便はどうなるのか、想像するだけでまた涙がにじみました。

わー、回復早いですよ頑張れ頑張れ、とニコニコの看護師さんに励まされつつ、変な音と泡を口の端から漏らしつつ、過去の手術では経験ないほどの辛い歩行訓練が始まりました。痛み止めポンプを首からぶら下げてはいますが、何しろ動く前まではなんともないのでついプッシュのタイミングが遅れます。

さらに、今回はそこで終わりではないのです。当然のことながら。

手術後2日経過のお昼。ちょっと大きめのキッチンワゴン的な台車が病室にやってきました。透明のアクリルケースの中に白いバスタオルにくるまれた娘が寝ています。改めてちゃんと見ると、とにかく本当に小さい。全長ペットボトル2本も無いくらいでしょうか。

娘が入ったケース(コット、というそうです)の下のカートにはオムツやらおしりふきやらをセットできる引き出しと、鉛筆つきのクリップボードが入っています。

そして、帝王切開から約48時間後にあたるこの瞬間、当院において私がハラキリ後の病人扱いされる時間は【終 了】 となりました。

そう、これからは私はマザーズ・ブートキャンプの新入隊員。今日から入ったばかりの新人バイト的に「母親業務」を覚えなければなりません。

本当は歩行もまだ覚束ないのですが、カートに乗せたコットと共に、というかカートにすがりつつよろめき歩きで新生児室に向かい、オムツの替え方と授乳のしかた、ミルクの作り方や哺乳瓶の扱い方のオリエンテーションを受けます。

新生児のお世話業務は


1)3時間毎に母乳をやったあと、その日の規定量だけミルクをやる。授乳時間の30分前にフロア内の調乳スペースでミルクを用意。保温器で30分かけて温める。

2)オムツが汚れたら替える。

3)泣き止ませや寝かしつけのために母乳はいくら与えてもよい。ミルクの間隔は3時間開けなければならない。

4)授乳時間と授乳量、赤子の尿・便の回数を用意されているクリップボードのシートに記入。朝晩ビリー隊長(=看護師さん)にチェックしてもらう。

といったフローになっています。
昼夜問わず、3時間毎にかならず授乳タイムがやってくるのですが、なにせこちとら昨日入隊したばかりの新入隊員、しかも腹部に負傷済。赤子はうまく乳を吸ってくれないし、そもそも抱き方がおぼつかずおたおたする。あっしまったミルクを用意してない、オムツ替えに失敗してあわわわ、と手際が悪い新人バイトのごとく、通常だったら30分以内で終わる一連の作業が1時間以上かかることもしばしば。
一通り終えて少し眠れるか、と横になった瞬間にウギャーと赤子の泣きが入る。ベッドの上に起き上がるだけでも変な声がまだ漏れる状況で、切ったばかりの腹筋に力を入れる動きを日に何度でも求められるわけです。そして対応しているうちにもう3時間後の次のミルクの時間が





うおおおおおおおお


うちの病院の場合帝王切開でも自然分娩でも母子同室なので、与えられているタスクはすべての隊員(母親)に共通なわけです。ですが、3キロ超の赤子を前に抱えて授乳姿勢を取る、ベッドに寝たり起きたりを頻繁に繰り返す、というのを、48時間前に切った腹で行うのはまさに煉獄でございました。

「ホギャー」「ぐおおおおお」「ウギャー」「いてててて」「アンギャー」「ぐぬぬぬぬぬ」のように、赤子の声と自分のうめき声がユニゾンで重なります。右手に哺乳瓶、左手に記録用のクリップボード。脳裏にニコニコのビリー隊長がビリーバンドをぐいぐいやりながら ワンモアセッ!ワンモアセッ!と煽る映像が浮かびます。

「Hi,俺の名前はビリー・ブランクス。マザーズ・ブートキャンプへようこそ!今日の新入隊員は貴様か?いいか、俺のブートキャンプに離脱は許されない、余力を残すな、全力でついてこい!」

「返事が聞こえないぞ、寝てるのか?」


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「サー、イエス、サー・・・(眠い)」

てっか俺腹切ったばかりだから!そんなテンションねえよ!しかし、ほんとに離脱は許されないのです。しかも24時間。


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そして、これは経験した人にしかわからない、
授乳 is 肉体労働。

古今東西女性性の象徴であったりセックスアピール的な含意をもって老若男女により語られてきたのが女性の乳でした。人体の諸器官を敢えて擬人化して職業に例えるならば、グラビアアイドルとか女優とかにあたるでしょうか。大きさや形の美醜をもって評価され、そしてちやほやされ物理的な扱いも丁重です。形を美しく保つためにわざわざワイヤーで矯正し、見た目も華やかなブラジャーにそっと収められるわけですからね。

だが、ひとたび授乳を行うとなると、グラビアアイドルは給食のおばさんまたは食品工場のライン期間工に転職を強いられます。「いかに多くの乳を機能的に生産するか」でのみその優劣を判断される「働く器官」に叩き落されるのです。

しかし、いままでアイドルだった人(=おっぱい)は、いきなり弁当工場に配属されたところで働き方がわからないわけですよ。まず、洗礼を浴びるのが「乳首マッサージ」。これは、正確には「乳首に対する虐待」と言い換えてもいいかもしれない、これまでいちおう体の中でも過敏な箇所として丁寧な扱いをしていた器官を「洗濯ばさみまたはペンチでつかんで引っ張り、ひねる」というような蹂躙が看護師さんの手により加えられます。乳首が、ゴム手袋みたいにびよーーーんと伸びるようになり母乳がスムーズにでるようになるまでこの蹂躙は続きます。

さらに、授乳ってなんか知らんがものすごく疲労するのです。一説には500キロカロリーとかを消費するとも言われ、授乳ダイエット(?!)なる言葉があるほどなんですが、もともと血液と同じ成分から体内で作っているせいなのかなんなのかわかりませんが、疲労と眠気のあまり赤子を抱えたままその場で気を失いそうになるくらいに消耗する。これも、ブートキャンプと同じで普段の元気なときならともかく、ハラキリ直後で傷がふさがってないときにはかなり拷問に近い感じになるわけです。

自然分娩の人とハラキリの自分で産後のダメージがどのくらい違うのかは両方を経験してないとわからないのですが、ちょっと腹筋にくる愉快なネットの書き込みなどを見て笑ってしまおうものなら、痛くて叫びがあがるような状況が結構退院直前まで残っている状態で、院内の移動も最初の数日はほんとに調乳しに行くにも院内の手すりにつかまりつつよろよろミルク室まで移動、というような状態でした。


帝王切開が楽だと言ったの誰だ?
あ、私か。ゴメン。マジゴメン・・・・。

そもそもなのですが、出産というかなりの大仕事、あるいは開腹手術を行った直後からこうしたブートキャンプに突っ込まれるのはどうしてなのか。母子同室の病院では多かれ少なかれこんな感じのようです。赤子の世話に一日も早く慣れるように、という話以外には母乳の事情もあります。

これがまた人体の神秘なのですが、出産後胎盤が取れると「ハイ、乳出してくださいねー」という信号が体内で発信され、さらに赤子が吸引することで乳の分泌が促されるようにできているのだとか。しかしながら、乳を赤子に吸わせていないと「あ、要らないの?」と体が判断してしまうので乳の分泌が止まってしまう、と。だから、母乳の出をよくするためにも極力赤子に乳を吸わせましょう、生まれたらすぐに吸わせましょう。というのが母乳育児をがんばる病院で言われることです。
言わんとすことはわかるのです。しかしながら、通常時だって大変な24時間体制での赤子の世話という仕事を、自分が手術したあとの、出産直後でホルモンおかしくなっており、精神的にも普通でないときにもやらなきゃならない、というのは正直とてもとても大変です。とにかく疲れて眠りたいということしか頭になく、なんとか寝かしつけたいといろいろやってみても泣き止まない赤子を前に(さらに、生まれたばかりの赤子の泣き声は慣れてない人には神経に触るトーンの声である)自分も叫びたい、となることは1度や2度ではなく。

こういうことを書くと眉をひそめられそうですが、「赤子がかわいい」と思う余裕は最初のうちは到底なく、とにかくブートキャンプを離脱しないよう、目の前で泣き叫ぶ小さな生き物を必死で世話する、という日々の繰り返しでした。続々と寄せられる友人や親族からの祝福の言葉をかみ締める余裕もなかったなあ。

こうした極限状態を助けてくれたのが、深夜に巡回してくる看護師さんたちでした。授乳時の抱き方を教えてくれたり、うまくいかないお世話にいらだつ自分を勇気づけてくれたり。もうだめ限界、というときには深夜に赤子を預かるということもしてくれました。彼女らがいなければ乗り切ることはできなかったでしょう、あのマザーズ・ブートキャンプを。


産科ナースの皆様、あなた方の仕事は尊いです。



つづく。






 












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