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ドネゴールの情熱

2009年3月11日~21日 アイルランド紀行11
3月14日 曇りときどき晴れ Donegal - Drumcliff - Sligo - Cong①

狂騒の夜は明け、カーテンを開けるとビスケー湾に流れ込む川辺に鳥たちが戯れている。アイルランドの海岸線は非常に複雑で、入り江が深く細く入り込んでいる。それが海という認識がなければ太い川と思ってしまうかもしれない。

ビスケー湾

部屋のヒーターがあまり効かないので、さくさくと着替えをして朝食前の散歩に出た。ゆるやかに弧を描くビスケー湾に、たぷたぷと穏やかに波が打ちつける。その弧に沿うように歩いていくと、フランシスコ派の修道院跡にたどり着いた。

アイルランドは修道院跡が多い。この国のキリスト教は修道院とともに広がり、ある時期に外的勢力によって一気に廃墟とされたらしい。その廃墟の合間に立つハイクロスは、海に向かって何か物憂げに語っているようだった。

モナスターボイスのように観光バスが来るような名所でもなく、ケルズのようにいまだ信者が訪れる教会ではないので、雰囲気はあるが荒れてすさんで見える。夜はさまよう亡霊が出てきそうで、朝食前のこの時間でもなんとなく肩が重い気がして、我々はそそくさと立ち去った。

朝食後、チェックアウトを済ませ、街のはずれのドネゴール・クラフト・ヴィレッジを訪れてみた。駐車場まで白黒の犬が出迎えてくれた。

ドネゴールはツイードが有名。ツイードのスーツが並ぶ「スーツのアオキ」みたい店をイメージしていたが、実際は7,8件の銀細工やガラス工房、絵画などの小さな工芸品アーティストの店が立ち並ぶ、こじんまりとしたスペースだった。

「ツイードが欲しいな……。」
日本にいるときから呟いている夫の希望に応えるべく、7,8万円のスーツ代の出費を覚悟したが、ツイードを扱っているのは1店舗しかなかった。しかも店頭にはマフラーやペンケースばかりでスーツの「ス」の字も見当たらない。

「スーツをプレゼントする腹づもりだったんだけど、ないね…。」
「えっ、そうなの。それは特に欲してないけど」
意外そうな顔をした夫は、緑・オレンジを基調としたカラフルなマフラーと、布製のブックマーカーを買って至極満足している。
どうやらツイード=スーツと思いこんでいたのは私だけだったようだ。

その店の奥にある年代物の機織り機を眺めていた私たちに、「これは祖母の代から使い続けているのよ。さわっていいわよ。」と、30代前後の眼鏡をかけた女性店主が声をかけてくれた。

その織機は結構大きくて、畳2つ分くらいを陣取っている。
細くなったカツオ節のような木片の端に糸が付いていて、これを左から右、右から左へ交互に縦糸の間をくぐらせることで織物が出来上がっていくのだ。「やってみていいわよ。」眼鏡の中のチャーミングな瞳が微笑むので、遠慮なくチャレンジしてみたが、なかなかカツオ節がスッスッと動いていかない。コツがいるらしい。夫も挑戦してみたがやはり難しいようである。

しかし彼女に代わると、カツオ節は魔法がかかったように動き出した。
「アイルランドの中で、このドネゴールの風景が一番好き。ここでツイードを織り続けていられるのがとっても幸せ。」ギシギシと動く古い機織り機からは長年使いこなされた木のぬくもりが伝わり、それは素朴なドネゴールツイードのあたたかみにも感じられた。

帰り際に、彼女はツイードでこしらえたオレンジのカエルをプレゼントしてくれた。「いやいや、これがほしかったんだ。」とオレンジ好きの夫はまたまたご満悦の様子だった。

折しもホワイト・デーだったので、クラフト村の角にある銀細工屋で、ケルトの渦巻き紋様をデザインした銀のピアスを夫がプレゼントしてくれた。
スーツを買うはずだったのに、これは立場逆転。大切にします。ありがとう。

その向こう隣にモナスターボイスのケルト十字を模している石屋さんがあることを、銀細工屋のお兄さんが教えてくれた。あいにく石屋のご主人は留守で、ガラス越しに工房を覗くと3Mくらいの巨大な十字架がそそりたっていた。 白い荒削りの十字はまだまだ途中工程のようだった。

どのような情熱が現代にモナスターボイスのクロスを蘇らせようとするのだろうか。石屋の主人にぜひ尋ねてみたかった。

※この旅行記は以前に閉じたブログの記事に加筆して、2023年3月noteに書き写しています。

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