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ディングルで安芸の宮島をすすめられる

2009年3月11日~21日 アイルランド紀行25
3月18日 晴天
Killarney - Dingle Peninshura - Dublin④

スリア岬を抜けディングル半島を東へ回り込んでいくと、山の斜面に蜂の巣小屋(Beehive Settlements)と呼ばれる石の居住遺跡が点在していた。

スケリッグ・マイケルの修道僧たちが住んでいたのも、蜂の巣型の石小屋だったとテレビで紹介されていたので、場所は違えどその気分に触れることができるかしらと寄ってみた。
入口で2ユーロを払い、2分ほど丘の斜面を登っていくと、3基の蜂の巣小屋が形を保って現存していた。

かがみながら蜂の巣小屋の入り口をくぐると、大ぶりの石が大雑把に積み重ねられているだけである。ガララス礼拝堂がどれだけ緻密に建造されているのかがわかった。すき間風がヒューヒューと通り抜けていきそうで、どうひっくりかえってもここでは雨風はしのげまい。
このスペースで毎日寝起きしてたとは……ちょっと想像しがたかった。

見渡せば野山にはほとんど木は生えておらず、草が茂るばかりだ。
緑野の斜面には、蜂の巣住居の崩れた跡なのか瓦礫の山がいくつかあり、それを羊たちが草を求めてヒョイヒョイと無造作に越えていく。彼らには歴史的建造物への興味も、風雪に耐えた先人へのノスタルジーも皆無らしく、まことにノホホンとしていた。

丘を下る途中に縦長の物置のような白い箱があったので、もしやと思い、カンヌキを開けてみたら、はたしてトイレだった。
観光地の臭い汚れた簡易トイレを想像して扉を開けたら、素晴らしく居心地のよい空間だった。トイレットペーパーはもちろん、手拭きペーパーはかわいらしいレモン柄、手洗い用液状せっけんも置いてあり、さらに女性の生理用ナプキンまで完備されていた。小さいスペースながら持ち主のライフスタイルが表現されていた。

さらに扉の内側にはこんな英語のはり紙がされていた。

「うちの羊がトイレに入ってきてトイレットペーパーを食べちゃうので、必ずかんぬきしていってね。」

なんとお茶目なメッセージ。
そっか、あの羊がここまで入ってきて、紙まで食べちゃうのか。彼らには草もトイレットペーパーも区別がなく、等しく食べ物なのだった。

はり紙といい、内装といい、素晴らしいトイレに感嘆しながら戻ってくると、入口のおやじさんに声をかけられた。

「日本人かい?」
そうだと答えると、
「そうか、俺は広島のフォードに勤めていたんだが、安芸の宮島へは行ったことがあるか。」
「いや、まだない。」
「あそこは美しいところだ。ぜひ行ってみるといい。」
ディングルの素晴らしい自然を愛でている日に、地元の人に日本の美しいところを知らさられるのは、なんだか新鮮かつ奇妙な気分だった。

「今週はずっと晴れるらしいぞ。いろいろまわれや。」
「いや、残念ながら今日ダブリンに戻るんだ。」と答えると、おやじは残念そうにバイバイした。私も晴れのディングルに何日も滞在できないことが、ひどく残念だった。

車に戻ってシートベルトをしながら、夫が言った。
「君がトイレにいっている間、外で写真をとっていたら、さっきのおじさんと別の人が英語じゃない言語でしゃべっていたよ。きっとあれがゲール語なんだな。」

ゲール語。いまではディングル半島などのわずかな地域でしか話されていないケルトの言語を私も耳にしてみたかった。
かつて日本に勤務し、バリバリのサラリーマンであったろうおやじさんが、今は故郷に戻ってのんびりとゲール語をしゃぺりながら、暮らしている。
思いっきりかわいらしいおしゃれなトイレを観光客のために用意している。彼の豊かな人生が想像された。

日が少しずつ傾きかけてきた。
ダブリン行きの飛行機は20時出発。ケリー空港に19時にはついていたいし、夕食もその前に済ませておきたかった。

ディングルの街にその日あがった魚でしか料理しない有名な店があるというが、ガイドによると18時開店で飛行機に間に合わない。
それならば、インチ海岸の入口にあったレストランで、夕食はどうかとなった。

インチの広々とした海岸を目の前に、外のデッキで食べるご飯は本当にすんばらしかった。夫はビーフハンバーガー、私は海鮮パスタとスープ、それとカプチーノを頼んだ。

小さなレストランなので味はどうかと思ったが、サーモンや小エビたっぷりのとてもおいしいクリームパスタだった。ほんとうにアイルランドは食べ物のはずれがない。

砂浜の前に広がる大西洋にどんどんと太陽が落ちていき、海の色も夕焼け色に変化していく。美しい。
冷めていくカプチーノのカップを手の中であたためながら、ふと今日が父の命日であるのを思い出した。ディングルの美しい景色を見る機会を得たのも、父のおかげと思うと涙がこぼれてきた。

「アイルランド西側の最後の夕食がここでほんとうによかったね。」
「そうだね。また来ようね。」
太陽が水平線に姿を消すまでインチにいることは叶わなかったが、心満ちる最高の晩餐だった。

これにて西側の旅は終了。それはアイルランドの旅が終わっていくことでもあった。
空港へ向けて、再びエンジンはかけられ、元来た道をひたすら急いだ。
暮れなずむケリー空港で、旅に連れ添ってくれた日産MICRAの車体をよしよしとなでながら別れを告げ、一路ダブリンへと搭乗口をくぐった。

※この旅行記は以前に閉じたブログの記事に加筆して、2023年春にnoteに書き写してます。


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