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SEEPSキャンプ「はじまりの話」#1

一橋の横尾です。
私は2020年4月から環境経済・政策学会(SEEPS)の理事もさせてもらっています。
この4年で理事として注力してきた学会事業に「SEEPSキャンプ」というものがあります。
これは環境経済・政策学の未来を担う博士課程院生・若手研究者を集め、交流の機会を設ける学会イベントです。

この記事では、SEEPSキャンプの過去参加者メーリングリストで共有した、SEEPSキャンプの「はじまりの話」という昔話を共有させてください。

SEEPSキャンプ「はじまりの話」#1


2019年9月:SEEPS年次大会の二次会にて「学会は同窓会だ」

話は5年前の秋に遡ります。
この年のSEEPS年次大会は対面で福島大学で開催されました。当時の学会長は東北大学・日引聡先生。
学会初日の夜には大きな結婚式場「エルティ」のフロアを貸し切って、大々的な懇親会が開催されました。
海外からゲストを招待もしていて、当時のニュースレターを見ると学会参加者が334名、懇親会にも200名を超える参加者があったと書いてあります。

一方、その陰ではゆっくりとSEEPS会員が減少しているという現実もありました。
分野自体の盛り上がりは感じていました。
ただ、日本の大学やアカデミアそのものの構造的な研究者減・高齢化といった課題がSEEPSにも忍び寄っていました。
最盛期には約1300名だった会員は年々減少していて、この翌年にはついに1000人を下回ったところでした。

さて、懇親会の後には、自然発生的な二次会がいくつかのグループに分かれて開かれました。
そのうちの一つのグループは、日引会長が自らお店を探して、30名程で駅近くの居酒屋さんに入りました。

私は元同僚でもある日引会長の向かいに座り、同じテーブルには竹内憲司先生(現・京都大学)、田中健太さん(武蔵大学)、石村雄一さん(現・近畿大学)、嶌田栄樹さん(現・産業技術総合研究所)らがいて楽しく飲んでいたのです。
たまたま、この顔ぶれの席だったと思うのです。今思えば、誰かが仕組んだ席順だったのかもしれませんが…笑
その席の会話の中で、在外研究中のオーストラリアから一時帰国していた田中さんが「若手が集まれる場が日本の環境政策学には足りない」「下の世代が減っている危機感がある」的なことを言い出したんです。
さらに田中さんは「学会は研究発表会であると同時に同窓会だ」的なことも言ってました。

自然な流れで、「SEEPSに若手を増やすにはどうしたらいいか」という議論になったんだと思います。
当時の私は田中さんほどの危機感は無く、どこか他人事で聞いていました。
若手向けの研究集会などのアイデアが出て、私は「誰かやってくれたらありがたいな、開催されたら参加しよう」と思って聞いていました。
そしたら、半分冗談だったと思いますが、一通り盛り上がった後に、日引会長が「じゃあ、横尾くん頼んだよ」と笑いをとるように言ったのです。
今思えば、そういう流れになってもおかしくない顔ぶれでした。その時は油断していて「えー!」と思ったことを覚えています。
ただ、飲みの席での思いつき・「乗り」なだけで、すぐに指令が来るようなことはありませんでした。
私はそれも分かっていたので、呑気につっこみを入れていたと思います。
その日は何の約束も無く、翌日の学会でもそんな話は出ませんでした。

「じゃあ、横尾くん頼んだよ」

「若手を集めて研究集会」というアイデア自体はいいなと思いました。
また、SEEPSの持つ学際性を活かした研究集会も欲しいなと感じていました。
私は学部と院で9年も(!)恐ろしく自由な京都大学経済学部にいたのですが、私がいた頃の京大には環境経済学を志す同世代に加えて、他の環境政策学、環境社会科学の先輩も集積していました。
そして、当時の私は地球環境学堂、エネルギー科学研究科、総合人間学部、さらには文学部倫理学教室などにも出入りしていました。
その後に就職した国立環境研究所には(出たり入ったりしつつ)6年半在籍したのですが、ここでもLCA&マテリアルフロー分析の研究室に所属しつつ、工学、国際関係論、リスク学、社会学で「環境学」を志す同世代と知り合えました。
その頃の経験から、環境政策学、環境社会科学をやっていく上では経済学「以外」の同世代の研究者との議論も有用という感覚が自分にはありました。
しかし、2019年頃には少なくとも私の周囲ではそういった「異分野の環境学の同世代と知り合う」機会・環境が減っていました。

ただ、自分が企画・運営することには躊躇がありました。
準備は手間で時間もとられるでしょう。
当時、私は転職したばかりで新生活でもあり、子供2人もまだ保育園で手がかかりました。
自分自身に余裕も無いものの、「まあ、単発のイベントならやってみるか」という軽い気持ちは徐々に出来ました。
また、当時の私は、科研費・若手Bを2回取り終わってしまって、学際的なチームを組んでより大規模な予算申請にチャレンジする必要性も感じていました。
何かしらの企画で人脈を広げ、強めることが自分の予算獲得にもプラスに働くかも。そんな皮算用もありました。

そこで、あの二次会の同じテーブルにいた田中さんと石村さんに声を掛けて、「若手が企画する研究集会をやろう」という話をメールとスカイプで始めたのです。

気軽な気持ちで、「どんな人の発表を聞きたいか」なんていう議論から開始しました。
SEEPSとは別に自分たちの個人企画としつつ、それでいて、SEEPSから予算的な支援ももらおうか。もらえるか。そんな議論もしました。

2020年3月:幻の「若手による環境社会科学ワークショップ」

さて、「学会は同窓会だ」というのは面白い表現で、別の大学院に通っていた田中さんと私が最初に話したのも、お互いが院生の時のSEEPS年次大会と記憶しています。
他方、この頃には、そして今でも、留学する日本人も増えて学生時代にはSEEPSに参加していない環境経済学者も増えていました。
また逆に、留学しに日本に来てくれている方や海外からいらして日本で働いている環境経済・政策学研究者も増えているという感覚がありました。
そして、こういった方々には「年に一度のSEEPSで再会する」という感覚も無ければ、日本語主体の年次大会はわざわざ足を運ぶまでのものでも無いのかなとも感じていました。

田中さんと石村さんとの企画では、こんな時代に、学生時代は国内外でばらばらだった人たちを集めることを意識しました。
そして、「英語でOne dayワークショップを若手主体で企画してみる」という方向性が固まりました。
2019年末から2020年始にかけて、当時はスカイプも活用し、三人で企画の骨組みを作っていきました。
OIST・Payal Shahさん、名古屋市立大・内田真輔さん、当時は神戸大学の院生の楊潔さん(現・富山大学)。こういった方に声を掛け、私の京大時代とは異なる国際的な登壇者を用意。
加えて、東北大で学位を取得した吉田惇さん(現・東北学院大学)、さらに「はじまりのあの夜」のテーブルにいた嶌田栄樹さんらも呼んで発表してもらい、国内組と海外組が交流できる研究発表会にしました。
期日は2020年3月18日に決定。場所は神保町にある一橋講堂をおさえました。
「若手による環境社会科学ワークショップ」なんていうイベント名をつけました。
ワークショップの最後には「SEEPSの2030年を考える」という意見交換のセッションも設けることにしました。
今までにない「若手による英語での環境政策学の場」をつくり、オーディエンスも増やし、その人たちの「再会の場」としてのSEEPS年次大会の活性化にもつなげる。
そんなビジョンで着々と準備を進めました。

もろもろの調整が間に合わず、SEEPSの後援を取り付けるのは見送りました。
ただ、この一回目の実績があれば、その次はSEEPSの公認にしてもらい、ゆくゆくはSEEPSの事業にしてもらえるよう、日引先生や竹内先生にアピールしようかな。この頃には、そんなプランも頭に浮かんでいました。

この一回目のWSでは、私の人脈に限界があり手法の近い環境経済学の人ばかりになっていました。しかし、SEEPS公認事業になれば、LCA、社会学、法学、政治学、エネルギー科学、システム工学の人など幅広く環境政策学の人たちも呼んでいきたいな…そんなことを考えていました。
2月上旬にはプログラムも確定し、一通りの準備も終えて、あとはオーディエンスがどれだけ来てくれるかな、なんて思っていた頃でした。
2020年2月。聞いたことのない感染症のニュースが増えていました。

#2 はこちら


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