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never say ねば

人のふり見て我がふり直せ

以前、アロマの勉強をしていた時のことです。
一緒に講座を受けていた人が数人いて、切磋琢磨していました。節目には試験があり、私はことごとく落ち続けました。アロマは好きだけど、その講座で必要な知識は奥深いものでした。

悩みながらも、いろんな方法で勉強していた時、講座を一緒に受けていた1人のSNSが目に入りました。
彼女も、勉強の意気込みを記していたけど、文章の終わりを、”頑張らねば”でくくっていました。

何故でしょうね。。。その最後の”ねば”に、異常に嫌悪感を抱きました。
”彼女も頑張ってるんだ、私も頑張ろう”と感じることなく、どちらかというとアレルギー的な感じを受けました。彼女が言っているから嫌なのか。。
”ねば”に堅苦しさや義務感を感じるというか、もちろん、彼女の真面目さがその言葉を選んだんだと思いますが、激しく抵抗を感じました。
そして、私は”ねば”は使いたくないなとも強く感じるようになりました。
”〜ねば”という言葉は、どこか強い意思を感じさせますが、どこかがんじがらめなイメージがするのは私だけでしょうか。”頑張らねば”を発したい時、私ならば、”頑張らないと”か、”頑張らなきゃ”を選ぶかもしれません。

背景にはいろいろあるかもだけど

どうして、彼女の”ねば”に異常なほどにアレルギー反応したんだろうと考えてみました。きっと、彼女の”いい子”な態度であるとか、私が頑張っても受からない試験に1人合格したとか、気に食わないことがあったからかもしれません。
一緒に勉強始めたのに、私だったら落ちこぼれさんがいたら、励まして応援するのに。。。とか、甘えや一種のヤキモチもあったのかもしれません。
自分さえ良ければという態度は、講習を受けている時にも何度も見かけることもありました。でも、きっと私とは講習に向き合う真剣さが違うんだろうな、と反省もしました。

”ねば” again

私は、いろんな理由からアロマの勉強は挫折しました。アロマは、仕事ではなく趣味でも十分楽しめるし、生活の中でうまく使っていければいいと感じるようになりました。
一方彼女は、将来を見据えて引き続き頑張っているんだと思います。固定のお客様もついているようで、資格を取得して活躍していることと思います。
でも、相変わらず彼女は”ねば”を多用していました。
きっと、彼女の生き様が”ねば”を引き出しているんでしょう。離婚後、2人のお子様を育て色々歯を食いしばって歩んできて、自然とその言葉が出たんだと思います。
そもそもの、私とはいろんな意味で向き合う熱量が違うんだなと実感しました。
見るたびに嫌悪感を感じるのは嫌なので、彼女のSNSは見るのをやめました。

しかし、”ねば”は、どんなに彼女の人生を少し理解したとしても、自分自身が使うのは気をつけようと思うのでした。
ねば”という言葉自体には何の罪もありません。私の勝手な思い込みなんです。

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