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「無人」の温かさ。コミュニケーションはどう変わる?

最近、無人販売をしているお店が増えてきているように思う。ソーシャルディスタンシングの観点から言えば、最も理にかなっている販売形態なのかもしれない。もちろん、ここで最も必要なのは「信頼」だ。

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私は、田んぼや畑に囲まれて育った。無人の販売所がそこかしこにあった。道ばたに、台をつくり、そこを簡単な庇(ひさし)で覆い、貯金箱型の木箱がチョコンと置いてあるだけのような。「道の駅」のような直売所もでき、今ではだいぶと減った光景だが、今でも健在だ。私が子供の頃は、一袋ぎっしり詰まった野菜や果物がたいてい100円で買えた。

東京生まれ・東京育ちの夫は、それを見て、「これ、絶対に盗んでいく人、いるよね」と驚いていた。「たまにはそういう人もいるかもしれないけれど、こんなにも長い間続いているから、ほとんどいないんだと思うよ」と返した。さらに、「お裾分けに近い感覚だと思う。美味しくできたので、家族分にキープしていた分をお裾分けします、みたいな」と続けた。

子供の頃、勤め人だった両親は、近所の農家の方に、さまざまな農作物を分けていただいていた。「今年もできたよ。美味しいから食べて。売るほどあるから」が常套句だった。漬け物にしたり、ジャムにしたりして、母親はそれらを配り返していた。

商品には、それが役立つ価値(使用価値)と交換の値打ち(交換価値)がありますが、交換される物に共通するのは「労働」です。つまり、どれだけの労働が費やされたかでその物の価値が決定します(労働価値説)。さらに、様々な商品が交換されていく中で、金(ゴールド)が共通する商品となりました。これが貨幣です。

マルクスは『資本論』で貨幣の意味を問いていたけれど、約1キロ圏内の自粛生活を続けていると、互いの顔が見え始め、信用が生まれやすくなり、貨幣を必要としない、温故知新なエコシステムが小さいけれど確実に再構築されていくのかもな〜。

そんなことをぼんやり考えていたスーパーの帰り道。塀の上の夏みかんに、ホッコリ。

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そこに人はいないけれど、人の温かさを感じるコミュニケ―ションは確かにある。

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