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女の物語ーー『THE W』と『クイーンズ・ギャンビッド』

昨晩は、真剣に女芸人No.1決定戦『THE W』を観た。

女性芸人であるということ以外は、編成(ピンだろうが、コンビだろうが、トリオだろうが…)も形式(漫才だろうが、コントだろうが…)も問われない。今年は例年にも増してその枠組みの自由さが際立っていた。異種格闘技戦であるうえに審査競技であるゆえ、途中「???」と思われる勝敗もあったけれど(お笑いの好みによるところが大きいので、審査する方も大変そう)、優勝した吉住さんは文句なくおもしろかった(ネタ自体がジェンダーロールものであったがゆえに議論は呼びそう)。番組終了後、ピン芸人さんが、「本当にすごいことだ!」と何人もつぶやかれていて、ピンで芸ごとを磨くハードさに思いをはせ、勝手にしみじみと。

「もし、対戦の順番が違っていたら?」と思ったのは間違いなくAマッソ(それをうちまかした、ゆりあんの強靭なお笑い筋力は、もうスーパーサイヤ人のよう)。プロジェクトマッピングを使い新しいお笑いのあり方を提示し、今一つパンチが足りていなかった『THE W』の格を思いっきり底上げしていたように思う。

番組をとても楽しく拝見したものの、M-1、キングオブコント、R-1などと違い、出場者を「女芸人」でくくることに、私は確実に違和感を覚える。お笑い界が男性社会で成立しているゆえに、活躍機会を提供する場の存在意義はあるのは十分に理解できる。けれど、スポーツのように体格差などが問題にはならないお笑いの世界で「性別」にこだわる理由はあるのだろうか? その意義があるうちは、お笑い界、強いては社会にはジェンダー格差があることが明確になっているだよなぁ、と思う。

チェスの世界で才能を開花させた主人公が登場する『クイーンズ・ギャンビット』を思い出す。

観た直後に、私が書いたInstgramの投稿とコメントより。

ジャンプ三原則(友情、努力、勝利)を内包する、ひとりの天才の成長譚。主人公が女の子というのが時代!
恋愛ストーリーに転ばないのがいい!

以下、『クイーンズ・ギャンビッド』の論考より。

ポストフェミニズム時代の男性性の一大特徴に、「助力者」となることがあると論じた。例えば宮崎駿作品が分かりやすいだろう。現代の「戦う姫」の原像とも言うべきナウシカの周辺には、アスベルやユパといった、彼女の「助力者」となることに積極的な意味を見いだしていると思しい男性たちがいた。(中略)このような男性像は、ポストフェミニズムの「強い女性たち」に対応する形で生じてきた新たな男性像である。(中略)『クイーンズ・ギャンビット』ではポストフェミニズム的個人主義の限界を乗り越えるために、そのような男たちへの「依存」を学ぶという最後の一手が指されている。

願わくば『キングオブコント』で、吉住さんやAマッソが、この物語の主人公がごとく、勝ち進んでいく姿が観たい。もちろん、紅しょうがさんがM-1で勝ち進んでいく姿も観たい。その他、昨今、増えてきた男女コンビの活躍にいっそう期待したい。

『THE W』が、その役割を終える時を目撃したい。

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