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『アメトーーク』神回に見た時代の潮目と“ほとちゃん型”リーダーシップ

毎週、『アメトーーク』は録画し、自分が好きなテーマを選んで観ている。唯一、民放で自動録画しているお笑い番組だ。

2人MCだった番組が蛍原さんひとりとなってしばらく経つが、ここしばらくは本当に良い空気になっているな、となんとなく感じていた。

そして、昨夜の神回(私調べ)。

テーマは「トリオの2番手3番手芸人」。トリオの「顔」である1番手は、MC蛍原さん(以下、ほとちゃん)の横で2番手・3番手と評されるメンバーの話を聞き、ツッコミor分析役にまわる。※ヘッダーの写真は公式Twitterより。

昨夜は生で観ていたのだが、「今日は、すごい回になりそうだ」という空気が途中からプンプンと。ちなみに、私がこれまでに神回と思っているのは「どうした!? 品川」というテーマの回で、これも生で観ていたのだが、この回を観ていた時に覚えた興奮度数と昨夜は似ていたような気がする。

ザックリ言うと、4つのトリオが入り乱れ、全員が自分の意見を主張し、トリオの壁を超えツッコミを入れ合う。デビューした時期も、人気のあり方も、お笑いの方向性も違う4つのトリオ。これまでのお笑い界は、かなりの縦社会で、その構図を使って笑いに変換するようなところがあった。傍目で見ていても業界のヒエラルキーやマウンティングが透けて見えすぎ、萎縮している芸人を見ているのが苦しくなって、チャンネルをまわしたこと数知れず。

昨夜は、忖度を感じなかった。自分の思ってきたことを出演者は正直に吐露し、それぞれが感じたことを真正面から指摘し合う回となった。厳密に言えば若者たちの剥き身の本音に耳を傾け、本音でぶつかり合ってるように見せかけつつ、きちんと技で受け止め展開させる先輩芸人たちという構図、か。

なんとも熱い回。ひとつの切り口で全員のアクセルが全開になったものだから、用意されていた企画をとばさないと尺が足らなくなる。プロデューサーの「(この他の用意していた企画は)そのままネット配信に」との現場判断が最大のオチとなったくらいヒートアップした(笑)。

この回の天然役という役回りを請け負っていたであろう、ジャングルポケットおたけさんの主張をどんどん翻訳するほとちゃん。同じトリオのメンバーである太田さんの「なんで、こんなにコイツの気持ちが分かるんですか!」というツッコミを受け、「ん?」と笑いながらもやや不思議そうなほとちゃん。たぶん、ほとちゃんは、「ただただ人の気持ちが分かってしまう」のだろう。つまり、ナチュラルボーンで共感力がすこぶる高いゆえに、自分の特殊性には自覚がない。

途中、ほとちゃんはスパークする出演者たちに向かって優しく言った。「全部出しきっていいのよ」

「学習性無力感」というものがある。「やっても無駄だ」という状況で起こるモチベーションの低下。「何をやっても回避できないストレス過多の環境」でもおこる。「何をやっても変わらない」という環境が長く続けば、メンバーは皆、無力感を学習してしまうのだ。

この回では、その逆の「有効感」が確実に出演者たちのガソリンとなった。

ハーマンミラー社を世界的家具メーカーに育て上げたCEOは、

リーダーは従業員に「場」を与えなければならない。自由に才能を活かせる「場」だ。職場では、互いに成長し、自分らしくふるまい、多様性を活かせる場を与え合わなければならない。アイデア、開放性、敬意、喜び、癒し、仲間意識――こうしたすばらしいものをやりとりする場を与え合うのだ。

と、自身のリーダーシップ論を語る著書で語っている。昨夜の『アメトーーク』は、その「場」がハッキリと可視化されていたように思う。

若手が目上の芸人のダメなところを指摘するシーンもあった。それを場にいる全員で大爆笑。お笑いを求道する姿勢に年齢やキャリアの上下関係などは必要なく(もちろん互いのリスペクトが大前提)、萎縮することなく闊達に発言できる雰囲気が肝要だ。

昨年のM-1でも感じたことだが、「安心」「肯定」の波が確実に到来している。

「失敗しても大丈夫」と思える時、最も果敢に振舞える。リーダーがチームの安全基地のような存在となることで、メンバーの才能、意欲、創造力、エネルギーを解き放つ、という考え方に基づいたセキュアベース・リーダーシップという考え方もある。

ほとちゃんのMCとしての力量=リーダーシップは、これにあたるのではないだろうか?

ヒエラルキーをつくって統制をとり、そこでいちばん立場の強い人がすべての方向性を決定し、コントロールする。私は、そういう時代の終わりを昨夜ハッキリと認識した。

いや〜、すごいぞ、ほとちゃん!

今日のもう一冊

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