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壁ではなく橋をつくろう! 〜対話ってなんだ?

対話は難しい。大学院でコミュニケ―ションの授業を受けているが、痛感している。ザックリと言うなら、対話と雑談との違いは「当事者性」の有無。そして、雑談と説法の違いは、そこに「答え」あるかどうかの問題(雑談に答えはいらない)。そして、「答え」はあるけれど、当事者性の有無で差がでるのが協議と説法(説法に聞いてる方の当事者性は実は必要ない)……つまり、対話は「当事者性が高く、答えを求めない」=互いの価値観を認め合う=互いの関係性の深度は深まるが、そこには否定も肯定もないコミュニケーションということになる。

と、頭で考えるとよく分からなくもなるが、対話のワークショップなどを通し、はたと気づくのである。日常で私はあまり「対話」をしていないことに。

自分の芯の部分を語り合うには信頼と勇気が必要である。

Netifix製作のオリジナル映画『2人のローマ教皇』を観た。宗教色が前面に押し出された映画かと思いきや、想像以上に人間味溢れる作品に仕上がっている。事実に基づいたフィクションだとは前置きされているが、とにかく驚くほどに、ハートウォーミングなヒューマンドラマなのだ。言葉を選ばず言えば、生きてきた歴史が違うから価値観が真っ向対立するはずの2人のおじいちゃんが、対話を通し深く互いを理解し合える親友になるまでの物語だ。

この映画は「対話」がテーマだ。原理主義的な保守派のベネディクト16世(前教皇/現・名誉教皇)と革新派の現・フランシスコ教皇。2013年の、あの交代劇が行われるまでの交流を描く。2人は、ただ互いの価値観を互いを否定することなく尊重し合い、赦しを求め合う。

結論。価値観は違えども、人と人は分かり合えるものなのである。

私たちの想像もおよばない遠い世界と思いがちの2人のローマ教皇のやりとりは、現在の私たちが必要とするものと何ら変わりがない。

そして、気づく。私たちには「対話」が足りない。

※タイトルは劇中に出てきた言葉。


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