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不自由は自由だ⁉︎

引越しの段ボールの山から逃げるように、東京を出た。2021年から二拠点生活を送ろうと思う場所に、ひとり来て、この原稿を書いている(そして、年始からの怒涛になるはずの日々に備え、粛々と地味な仕事をこなしている)。

私はテレビっ子だった。ゆえに、年末年始はテレビ漬けで過ごすことの多い人生だったが、テレビのない場所で過ごしてみれば、この穏やかさをなぜもっと早く手に入れなかったのか不思議なくらい心地よい。

外界からの音もほとんど聞こえてこない。音楽もかけずに無音で過ごす。

2020年は、本当に不思議な一年だった。ある側面ではもちろん過酷だったけれど、ある側面では私の人生において必要な停滞期だったようにも思う。

「何をしてもいいんですよ」という自由を奪われ
「この中だけで楽しんでください」という制約の中で生きる。

私には選択肢がなくなった苦しさよりも、選択しなくても良い心地良さが確かにあった。通勤時間も、なんとなくの飲み会も、なんとなく顔を合わせるだけの打ち合わせも、「どこかに行かなくちゃ!」と焦燥感にかられて出向く旅も…それらの時間がなくなったことで、本当に自分の中の優先順位がシャープになった一年だった。

一方、そんなことを言えてしまう立場でいられることにも、もっと自覚的であるべきだな、とも思う。

ウィルスは去ることなく、withウィルスの耐性が個人の心身、そして社会と共に備わっていく年になる。そして、一層これまでの古い価値観と全く違う新しい価値観のダブルスタンダードの板挟みになる。ダイナミックな過渡期。数年後に振り返ったら絶対に転換期だと分かる1年に。

個人的には、そう考えている。


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