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今夜、歌舞伎町で死ぬのかもしれない。夜明けのミッシェル・ガン・エレファント

社会人になったばかりの頃、仕事が激務すぎて、逃げ込んだ場所というのが何箇所かある。その一つが、新宿歌舞伎町にあったリキッドルームだった。

その日、私は、ひとりチケットを握り締めて、リキッドルームの細くて薄暗い階段に並んだ。

目的は、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェル・ガン・エレファント)。確か対バンで3つくらいのバンドが出ていたはずなのだが、他のバンドは全く覚えていない(フロアの隅で体育座りで体力を温存していた)。彼らがインディーズからメジャーにシフトするような時期だったと思う。

ミッシェルのステージになる時に立ち上がって、ステージ前方へ飛び込んだ。そして、雄叫びを上げながら激しく縦ノリする同志に押し戻されて結局は会場の中程で自分の場所をキープした。

床、抜けるかも。

我に返ると、その恐怖が拭えないくらい床がグニャグニャと揺れていた。新宿のリキッドルームが入ったビルはかなり古かった。感覚ではなく、船酔いさせんとばかりに揺れていた。

ライブ中、ギターのアベフトシがキレてマイクスタンドを客席に投げ込んだ。音が止まった。一瞬で会場は静まりかえった。興奮した観客が水のペッドボトルをステージに投げ込んだ、というのが理由らしい(周りの奇声でよく聞き取れなかったけれど、それが理由だったと私は思っている)。

そして、また、彼らの音が鳴り響くと、さらに会場のボルテージは上がり、床はさらに激しくグニャグニャと揺れた。拳を突き上げた縦ノリ集団の中で、もみくちゃになりながら思った。

私、今夜、歌舞伎町で死ぬのかもしれない。

そんな風に少し陶酔してもいた。ライブは自分の属性とか、生活とかからポーンと抜け出せるのがいい。そんなことが良いライブと悪いライブを分ける自分の中の基準にもなった。

終始、荒れ狂ったライブだったが、彼らは何事もなかったように去っていった。もちろん、アベフトシは最後まで怒っていた(ように見えた)。

前置き(!)が長くなった。

昨夜22時〜今朝5時まで、『RISING SUN ROCK FESTHIVAL2020 in EZO』がYouTubeで配信された。ライジングサンは、ステージ越しに見える夜明けの太陽とともに、毎年、大団円を迎える。「あの興奮を自宅で!」という粋なはからいの配信時間だ。

20余年の歴史をもつライジング・サン・ロックフェスティバルの総集編のような内容である。これまでに出演したアーティストの代表曲のアクトがピックアップされ、流される。「何時まで起きてられるだろう?」と思いながら楽しもうと意気込み、そして、寝落ちした(苦笑)。

ハッと目を覚ましたら、4時少し前だった。フィナーレのラインアップは、ザ・クロマニョンズ→UA→東京事変→ドラゴンアッシュ『ロックバンド』→ナンバーガール『透明少女』→ミッシェル・ガン・エレファント『世界の終わり』→ブランキージェットシティ『D.I.Jのピストル』→サニーデイサービス『恋におちたら』。

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つまりは、ライジングの初回、21年前の1999年のラインアップである。ココには「UA」と書かれていないが、当時のタイムテーブルには書かれている。

以後、何回も出演している彼らだが、ドラゴンアッシュからサニーデーまでは1999年のライブ映像が使われた。

今年で20周年を迎えるライジング。第1回目のアーティストのラインアップが貼り出されていました。バンド名やメンバーが変わっていたり、ソロ活動に転身されてた方もいますが、ほとんどの方が引き続き現在も活躍されているなぁ、と感慨深く眺めてしまいました。ちなみにブランキー・ジェット・シティのドラマー、中村達也氏が唯一の皆勤賞アーティストだということです。(2018年のライジング日記より)

ミッシェルは『世界の終わり』のライブ映像が流れた。アベフトシは仁王立ちで、ただ一点をにらみつけ、カッティングし続けていた。記憶の中のアベフトシ通りに。

あの日のリキッドルームに引き戻された。グニャグニャと揺れる床の上にいるような気持ちになった。眠さで朦朧とし感覚が緩慢になっていたから、自分の中の純粋な部分が剥き出しになっていたのかもしれない。

チバユウスケは曲を終え、「バイバイ」と言っていつも通りクールに、そして、何より色っぽくステージを去っていった。配信終了の5時が近づき、夜は明けかけていた。私の涙腺はグズグズになっていた。

アベフトシはこの世を去った。だけれど、記憶は残る。20数年前の自分と対峙することができる。

自宅で観られるライブ配信はとても楽ちんだ。配信中にチャットもできる(個人的には、他の人の反応をチェックしながらライブを観ることに慣れすぎると自分の感覚がおざなりになるように思う。要注意)。

だけれど、確かにライブ会場でしか味わえない体感や感情がある。人によってはライブ会場は自分らしくいられる居場所となる。その身体の記憶はその後の財産になる。

配信の可能性は模索すべきだけれど、やはりライブ会場に足を運ぶ意義は必ずある。行けない時期だからこそ、逆に私は強くそう思う。

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対話と関係性が実現するため、すなわち非対称性を実践するためには、そこに身体を持ち寄ること、すなわち「臨場性」が欠かせない。なぜか。人間関係の非対称性は、身体抜きには成立しないからだ。

地域に根付いた文化、とくに歌や踊りは、生き生きとしたつながりを育むことができる参加型のアートです。


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