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コロナショック・ドクトリン。さらに格差は広がるのか?

いくつかPodcastを聞いている。ほぼ毎日、近所の公園にジョギングをしにいっている。今までは音楽を聞いていたのだが、最近はトークを聞いていることが多い。映像に疲れて、ラジオを聞いている時間も増えたような気がする。

よく聞いてるpodcastのひとつがロッキングオンの渋谷陽一さんといとうせいこうさんのSIGHT RADIO。その最新の「No.16ポスト・コロナの世界を読む」は、いろいろなことの分岐点にきているな、と頭の中で悶々と考えていたことがとても整理できた。

コロナショック・ドクトリンでさらなる競争・格差社会を生むのか、相互扶助的な社会・文化を目指すのか。世界はその大きな分岐点にいるということが、経済思想家の斎藤幸平さんの解説でとてもよく分かった。

ショック・ドクトリン……経済学者のナオミ・クラインが提唱。自由市場主義の徹底化を非常事態に一気に推し進めること。民主主義的手続きを経ずに自由市場を開放できる惨事を招くとしている。(震災復興の論理 内なるショック・ドクトリンより)

「技術(テクノロジー)が、温暖化や食料不足などの今ある社会問題を解決してくれると、私たちはどこかで思ってきた部分がある。この危機を前にいったん立ち止まって、本当にこれで良かったのか、という考える必要がある。これまで通り、“未来に問題をすべて丸投げ”してしまっていいのか。それが問われている」と締められている。

2007年だが、ここ最近、また多くシェアされている記事。

「最も貧しい人たちを国は援助すべき」と問う米シンクタンクの国際調査結果。これに「完全に同意」と答えた人間が10%台(15%)を超えなかったのは、日本人だけだった。しかも「ほとんど同意」も59%で世界最低。

2007年のこの時の意識で未来に丸投げしたきたことが、その未来だった2020年の今をつくり、そして、問題をかなり鮮明に浮き彫りにしている。

これから、競争・格差社会へ進むのか、相互扶助的な社会・文化へ進むのか。どちらの社会が望ましいかという答えは、明白であると私は思う。

昨日、今朝の検察庁改正案の今国会成立見送りや内閣支持率のニュースを見ても、間違いなく、潮目が変わろうとしていることを感じる。

自分の意志をきちんともって。



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