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戦争に反対する唯一の手段は?

2002年に発売されたピチカート・ファイブのトリビュートアルバム『戦争に反対する唯一の手段は。ピチカート・ファイヴのうたとことば』。

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発売された時、そのタイトルを「なんとも!」と思っていたのだが、その約20年後の世界は「まるで第三次世界大戦」と物騒な形容をされるくらいの時代になってしまった。

ピチカートの小西さんが、「(吉田茂の息子である)文化評論家である吉田健一氏の随筆からの引用した」ということは、どこかのインタビューで読んだ。

戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。吉田健一『長崎』

現在は、クオモNY州知事のリーダーシップが目立っているように思う。戦時中に国家や軍を率いる時に必要とされる統率力に似ているのかもしれない。「不透明な世の中では強制力のある監視体制と強引なまでの統率力が効力を発揮することは歴史が証明しているよな」なんて思いつつ、なんとも羨ましい気持ちでクオモNY州知事の発表を眺めている。

今の時代を戦時中にたとえたいわけではない。でも、悲しいかな、少なからず似ている状況はあるのだとも思う。

ドイツのモニカ・グリュッタース文化相の言葉。

「私たちの民主主義社会は、少し前までは想像も及ばなかったこの歴史的な状況の中で、独特で多様な文化的およびメディア媒体を必要としている。クリエイティブな人々のクリエイティブな勇気は危機を克服するのに役立つ。私たちは未来のために良いものを創造するあらゆる機会をつかむべきだ。そのため、次のことが言える。アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ。特に今は」

なんだか泣きそうだ。

ウィーンのミュージアムでは、コロナ禍の市民生活の写真を収集しているのだそうだ。今、この状況下で目先ではなく後世のことを考える動きをとれるのは、文化の強度というものなのだろうか。

昨日、延期された東京五輪の日程がオフィシャルに発表された。宙ぶらりんになっている選手を思っての判断とも思えない。備忘として記しておきたい。


吉田健一氏の引用は、「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」だけが有名になり、一人歩きしている印象だけれど、前後まで含めて読むとまた違ったニュアンスも感じる。

戦争に反対する最も有効な方法が、過去の戦争のひどさを強調し、二度と再び、……と宣伝することであるとはどうしても思へない。戦災を受けた場所も、やはり人間がこれからも住む所であり、その場所も、そこに住む人達も、見せものではない。古傷は癒えなければならないのである。
 戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。過去にいつまでもこだはつて見た所で、誰も救はれるものではない。長崎の町は、さう語つている感じがするのである。」

吉田氏の言葉も引用されるRHYMESTERの2015年のインタビューも、今改めて読むといっそう感慨深い。

「いつから日本はこんなことになっちゃったんだ」と感じていて。そういう風潮に対するカウンター、大きく言えば不寛容というものに対する有効なカウンターとは何か、と。そういう現実を踏まえた上で、酸いも甘いも込みで、せめて美しく生きようとすることはできる、みたいなことは言えるんじゃないかって。

【追記】

オブリストはこのプロジェクトを、1930年代に起きた大恐慌のときにアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が設立した「Public Works of Art Project(PWAP)」と「Works Progress Administration(WPA)」と比較。「WPAとともに、アーティストたちは地域社会に出ていった。ニューディール時代には、彼らは給料をもらい、研究したり作品をつくったりすることができた。多くの人には最初の仕事とコミッションが与えられた」と説明している。


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