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雑誌の意義とは? ずっと頭に残っている編集長の言葉


その人と出会った時のその人の年齢に近づいてきた。その人とは、私が社会人となって初めて携わったファッション誌の編集長。その雑誌の提案するファッション、いや、そのすべてを体現しているような人だった。

その雑誌は、おしゃれで曖昧にされがちな部分をきちんと言語化し、誰にでも実現できるセオリーにおとしむことに注力していた。当時、パリジェンヌ推しだった女性誌群の中で、ミラネーゼを推していたのも特徴的な雑誌だったと思う。端正なジャケット、スラックス、ドライビングシューズ、モダンなゴールドのジュエリー…… コーディネイトの提案でテイストをミックスすることを「甘辛バランス」、質感や色を全身の中で繰り返すことを「リンクコーディネイト」など、普遍性のあるルール提案を信条としていた。

私は好きなものを自由に楽しんでいたカジュアル全盛の学生時代を経て、そのルールばかりのファッションにどうしても慣れなかった。毎号、毎号、同じような服ばかりリースしてくることを求められた(当時、その編集部では、スタイリングも編集者が担当していた)。そして、毎号、毎号、同じようなコーディネイトを組んでいく(ような気がしていた)。窮屈だった。

ある時、生意気にも編集長に「この雑誌が提案しているファッションは退屈だ」というようなことを言ってしまったことがある。今、40半ばの私が新入社員ほどのキャリアの後輩からそんなことを言われたらどんな気持ちになるだろう。けれど、彼女は落ち着いた様子で「女性がきちんと服を着て、社会で軽んじられないように。私は読者の方を全員、妹だと思っている。妹たちが社会で活躍できるように。ファッションはそのための道具。私はそう思ってる」と言った。「この人はいったい何の話をしているんだろう?」とまったく話が噛み合ないことにガッカリした(それは、もちろん当時の私の力量不足のよるところなのだが)。けれども、ずっとその言葉は頭の片隅に残った。

その雑誌は、1989年に創刊し、当時、編集長はファッション班のデスクだった。とにかくバブル期に東京を席巻したファッションに一石を投じたかったのだ、ということを後に聞いた。彼女が退いた数年後、2007年にその雑誌は役目を終えた。

当時の彼女の年齢に私は近づいた。彼女が雑誌を通し伝えたかったのはルールではなく、フィロソフィーであったことが今ではよく分かる。今、『ヴァンテーヌ』があったのなら、私はいったいどんなページをつくっていたのだろうか。時々、考える。

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