この夏、お盆に起きた不思議なこと。わたしに託されたことに想いを馳せてみる。

我が家にとって長い夏が終わろうとしています。

マレーシアで暮らし、8歳の一人息子を育てています。イギリス系のインターナショナルスクールに通っています。

長い長いインター校のタームブレークは、約1ヶ月半。この間、私たち母子は、ほぼ毎年夫婦いずれかの実家にお世話になっています。

「子供が小さいうちは、毎年帰ってきて欲しい。」

うちは特に初孫で一人しかいないので、遠く海外に住む娘の一家に(というか孫!孫!笑)少しでもいいから会いたい。両親の気持ちが痛いほどわかるので、毎年時間を見つけては帰るようにしています。

会社員時代には叶わなかった「夏は丸っと帰省」をするようになって今年で5年。毎回思うのですが、住み慣れたクアラルンプールの家を離れて旅をしながら暮らすのは、なかなか大変。

正直に言えば、二週間が過ぎたあたりからウズウズとマレーシアの自宅に帰りたくなって来るのです。

うちの母は70代ですがまだまだ元気で、甲斐甲斐しく私たちの世話を焼いてくれます。はっきり言うと、上げ膳据え膳です。孫もばあちゃんといると楽しそうです。その街には夫婦や息子にとっての大切な親友もいます。楽しくて最高です。

なのに、帰りたくなるなんて。

それでも、自分のテリトリーを離れる心許なさの方が勝り、逆ホームシックにかかる、というのが例年のわたしだったのです。

ただ、今年は何かが違っていました。

ずっと言語化できずに、マレーシアの自宅に戻ってきてからも、そのことについて時々考えていました。

ふと、今朝起きた時に、

あーなるほどそういうことか!

と気付きがあったので、書いてみます。

これまで13年の海外生活で、思いっきり逆に海外の方に振れていたわたしの感覚のメーターが、日本に少しずつ戻り始めているんだ。

子供の頃から英語が好きで、海外に住むようになってからも自由で開放的な雰囲気が好きで、日本の外での暮らしを愛し続けてきたけれど。

「日本を離れたくない。」

いよいよあと数日でマレーシアに帰るという日、わたしはそう感じて、自分でちょっとびっくりしてしまいました。

そうしたら、なんと生まれて初めて自分の乗る予定の飛行機が欠航になりまして!!(台風10号の影響で)結局次のフライトが取れたのが二日後。

もう少し一緒に居たかった友達とまた過ごせたり、本当だったら会えなかったであろう人とタイミングが合って出会えたり、そうして初めてご縁が繋がって出会えた人との間にびっくりするほどたくさんの共通点があったり。

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わたしのフライトが欠航になった日はお盆の8月15日。
(奇しくも戦後初めて旧盆7月15日と重なった満月の日だったそうです。)

テレビでは超大型台風が直撃!と大騒ぎでしたが、東に進路を変えわたしの地元山口県は、風も吹かない雨も降らない穏やかな一日だったのでした。

狐につままれたような不思議な体験をしました。

帰ってきたご先祖様たちが

「せっかくだからもう少し日本でゆっくりして行きなさいよ。」

と言ってくれているかのような。


この夏は、福岡県久留米市にある本家に住む叔父を訪ね、色々と尋ねてみました。

わたしのご先祖様は、おそらく海外で暮らした人はいないとのことでした。わたしが生まれる前年に60代で亡くなったお祖父さんは、お酒が大好きで(すっかり血を引いてしまいました笑)身体がとても弱かったので、戦争の頃は陸軍病院に入院したりして、出征せず国内にいたそう。

それ以前も、ずっと百姓の家系だし、おそらく九州から筑後地方から出たことがほぼないんじゃないか、とのことでした。

わたしの父が戦後すぐにこの家の三男として生まれ、若くして就職列車に乗って横浜に移り住んだ時が、初めて九州の外に出た時だったことだろう、と。

わたしの父は戦後急成長した、日本を代表する製造業のグローバル企業に定年まで勤めました。

わたしの父の長兄である元看護師の伯父は、70代後半の今も元気で、地元の神社を守る氏子総代として地域社会に貢献しています。

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今思えば、わたしが生まれた横浜という港町、は国内有数の国際的な雰囲気が漂う場所だし、子供の頃から英語が大好きで、いい先生に巡り合えたこともあり小学校の頃から質の高い学びの機会を得られていたように思います。

もしかしたら、その頃からいつしか海外に住むというお導きがあったのかもしれません。

これは単なるわたしの壮大な妄想でしかありませんが(笑)

だとしたら、代々命を繋いでくださったご先祖様は、東南アジアのマレーシアに住み、母親になっても自由に暮らす現在40代のわたしに、何を託すのだろう、と思いを馳せてみたくなりました。

数日遅れでマレーシアに戻りました。こんなことを考えていたせいで、やりたいことはたくさん山ほどあるけれど、それについては、長くなったので、またおいおい書いて行きたいと思います。

とりあえず、考えたことを残しておこうと徒然ですがnoteを更新しました。

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息子も新学期が始まり、わたしも少しずつペースを取り戻しています。まずは、自分を整えることに集中します。身体は一つしかないのでね。一つ一つ丁寧にやっていくしかありません。

9月10月は次々とお仕事などのオファーを頂戴しています。

まだまだマレーシアで頑張りなさい!

と言われてるのですよね、きっと。

当面はこのお仕事を通して日本のために出来ることを自分なりにやって行きたいと心を新たにしています。

もうすぐマレーシアは独立記念日を迎え、街中に国旗がはためいています。

また、落ち着いたら書きますね。
こんな徒然日記、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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