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私よりもすぐれた言葉を持つ人たち

雨季だというのに、毎日ピーカン照りだったハノイ。乾いた大地に、昨日の晩からしとしとと雨が降り続いている。

暑い国に住んでいると、雨音が聞こえて来るだけホッとする。肌がひりひりするような暑さが和らぐのと同時に、まだ生きていけると思えてくるのだ。もちろん水不足になることもあるんだろうけど、水道が整備されて飲水に困らない私たちは、渇きが原因で死ぬことはないだろう。でも、水を求める本能が残っているんだろう。めったにない優しい雨音を聞くと、まだここにいてもいいのだと思う。

最近、脈々と受け継がれてきた私を作る素材の提供者。本能を作り上げた人たち。そう、はるか昔の祖先に思いを馳せることが多い。

彼らは石器をつくって、土とわらで家を作って、木の実を拾い生きてきた。ひとつの生活共同体を作り、助け合って、時には争って。

稲作を覚えた人たちは定住するようになった。堤を整備し、日本中の水を治めていく。一部の人以外は、同じ場所で農業を営み生きてきた。

私が日本史で習ってきた知識はこれくらい。浅くて少ないからこそ、おのれの想像力を付け足す遊びができる。


木の実を食べていた頃の祖先たち。昼間に働いたあと、夜はどんな話をしていたんだろう。私は思うのだ。今の私たちが持っているボキャブラリーよりも遥かに優れた言葉を、彼らは持っていたに違いないと。もっと感覚をストレートに表現できる言葉を。そう「いとおかし」が生まれる前の話。

いいなぁ。焚き火を囲んで色んな話をしていたんだろうな。五感がとぎすまれた彼らは、何を感じ何を愛し、そして何を憎んでいたんだろう。

目を綴じて、ここではない私がかつていた場所へ旅をする。



ブーーーーン!

外から聞こえるバイクの音で現実に戻される。ここは2019年の6月18日、ハノイの西端に私は今いる。

身体を触ってみる。思考と感受の方法は変わったかもしれないが、祖先と同じ肉と骨を持った私がいて。なんだか自分の身体が愛おしくなった朝だった。


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