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しんどいときの、正しい逃げ方

ここ最近ずっと考えているひとつのテーマがあって。それは「逃げる」ということ。


私はこの「逃げる」という行為に対して、おおむね肯定的である。自分の身を守るために逃げることを選ぶのは、間違いではない。私だっていろんなことから逃げてきた。



最近住む場所を変えたことにより、今まで接点を持つ機会がなかった人たちと知り合うようになった。そんな新しい環境の中で、私は「逃げる」という行為について全面的に間違いではない! という言い切ることができなくなったのだ。なんていうか、感覚的に。



こんな人に出会った。

その人は高校をドロップアウトして、その後大きな失恋をし、失恋相手がいる母国にいることが我慢できなくなり、東南アジアの国々を転々と移動しながら生きている人だった。

彼女は言う。

「自分が生まれ育った場所のこんなところがイヤで、外に出た。学校では理解してくれる人が一人もいなくてやめた。失恋相手が私を裏切ったから、母国には帰りたくない。今のベトナムで見つけた仕事の職場では言葉(自分の母国語)が通じないから、やめる」


うんうん。できないこと、いやなことはやらなくてもいい、逃げたらいいよね。と思いながらも、ずっとずっと自分の中で彼女の逃げの経歴が消化できずにいた。



もしかして、彼女は自分で逃げたことに気づいていないのでは?



今日、ふとひらめいた。

「逃げる」という行為。この行為の中に含まれる動機には、2種類あるんじゃないかなって?

逃げるときに「弱さ」を認めている逃げ

「弱さ」を認めずに、さらには逃げたことも気づいていない逃げ



ある環境の中で、自分が不快に感じたこと。自分の体と心が重くなってしまっていること。もう、いやだ続けたくないと言う全身から発せられる声に気づいていること。

「弱さ」を認めて逃げた後は、傷ついた自分の身体と心を癒やすことに目を向けられる。また自分がどんな環境で、何をすれば負荷がかかるか分かると、その後は不快な環境を避けることができる。

弱さを認めることは本当にしんどいことだけど、少なくとも未来の自分のためにいったん立ち止まり、態勢を整えることができる。



じゃあ、自分の弱さを認めずに逃げてしまったとき...。自分に原因がないのだから、逃げる原因はきっと「私」ではない何かになるだろう。友人が悪い、会社が悪い、社会が悪い、タイミングが悪い...。

こうなってしまうと、不快に感じた身体と心を癒やすことが出来ない。視線が内なる自分ではなく、外に向かっている。

そして心身が整わない状態で、次の場所に行くことになる。さらには、どういった環境で調子が悪くなるのかを認識できないから、また同じような場所に飛び込み...同じような間違いを起こしてしまう。



こんな思いつきがふと湧き上がったのは、私は今まで自分の弱さを認められずに逃げてきたことが多かったからだ。自分に「弱さ」があるわけではなくて、たまたま体調が悪かったから、仕事が忙しかったから、ぐっすり寝られていなかったから...。

だから、不快を感じるループから抜け出せず、毎回同じところでつまづいていた。



今は、私は本当に弱い人間だな〜、ということを腹落ちするまでちゃんと認めてあげられるようになった。

疲れているな。
最近よく寝れていないな。
騒がしい場所に行くとぐったりしてるな。
イベントの後は1日、余白の日が必要だな。

これまでの私は自分が弱くて、ケアが必要な存在であることが分かっていなかった。でも昨年体調を崩して、やっとわかった。

あぁ、笑っちゃうぐらい私は弱っちい。と。



今は色んなことから、私はあいも変わらず逃げているけど、元気だ。逃げて、いったん自分が逃げ出した場所を振り返っている。そして未来の自分のために、次はどの道を歩いてみようかなぁ。こんなことを考えられるようになった。


もちろん、人生はハプニングがつきもの。自分にとって良い! と思ってた道に上から大きな石が落ちてくることも。

大きな挫折をすること。でっかいストレスを引き受けること。ガミガミ愚痴っぽい人の隣りにいなきゃいけないこと。仕事が忙しすぎて目が回ること。

きっとそんな環境に放り込まれても、今ならたぶん、私は「良い方の逃げ方」をできると思う。ちゃんと自分の弱さを認めて、すーっと音も立てずに逃げるだろう。


そんな自分が逃げ出す場面を頭の中描いてみて...、不思議と悪い気持ちにはならなかった。また態勢を立て直して、歩きだせばいいって分かっているから。



今度、私と同じ逃げグセをもった彼女に伝えてみよう。

いやならやめていいよ。でもね、ちゃんと自分を見て癒やしてあげてねって。

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