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クイーン・フレディ・ベジャール

スイス・ローザンヌを拠点とするモーリス・ベジャール・バレエ団の"バレエ・フォー・ライフ"大阪公演2020。もう1年経ちますが、去年5/23の大阪公演が、コロナで9/11に延期になり、最終的にはそれも中止となってしまいました。バレエ好きで過去にその舞台の来日公演も体感したことのある友人からも、そのステージのすばらしさを聞いてましたし、私は40年来の(永遠の)クイーン・フレディファンでもあるので、それを見逃すわけにはいかなくて。あのときはほんとにがっかりしました〜。今度いつ同公演が実現するのか、いまはそれを願うばかりです。

"バレエ・フォー・ライフ"のテーマは、生きることへの祝福。 衣装・美術は故・ジャンニ・ヴェルサーチ。音楽は全編クイーンところどころにモーツァルト。この作品は、フランス生まれの振付家・故・ベジャールによって、ベジャール最愛のダンサー故・ジョルジュ・ドンと、故・ベジャールがその声にぞっこん惚れこんだ故・フレディ・マーキューリーへのオマージュとして創作されました。セリフのないバレエとロックの総合芸術でしょか。
フレディは91年にドンは92年に、奇しくもふたりとも同い年でエイズという病(当時は不治の病でした)で早逝しています。

去年公演中止になった5月頃、wowowで、1997年上演のモーリス・ベジャール・バレエ団の"バレエ・フォー・ライフ"が放送されました。その番組で私は初めてフレディとおもわしき役を演じたスキンヘッドのグレゴール・メッツガーに遭遇し、その妖艶で嫋やかなダンスに一瞬に目を奪われました。それでもっとグレゴールのこと知りたいとネットサーチしたのですが、『1998年にベジャール・バレエ団を退団。1998年の"バレエ・フォー・ライフ"日本公演には来日せず。2004年までは何らかの創作&ダンス活動をしていたが、その後の行方は掴めてない』程度の情報しか入手できませんでした。いまも"バレエ・フォー・ライフ"以外のグレゴール出演作品のDVD・Blu-rayかアーカイブ映像探しているのですが。

1️⃣ 躍動するグレゴール(画質粗い)


2️⃣ "The Show Must Go On " ・・それでも人生は続く・・ベジャールもダンサーも横一列で観客の方向へと歩みを進める(暗転後の)フィナーレには、鳥肌立ちます。


クイーン(1973年〜1991年)の活動期間は18年。短いです。その間に誰にも真似のできないオリジナリティ溢れる楽曲を沢山作りました。クイーンは、フレディ、ブライアン、ロジャー、ディーコンの4人とも作詞作曲します。リリースされたアルバムは15枚。アルバム4、5枚目位まではフレディ一ひとりで多くを書いてました。アルバム15枚は、すべて異なるテーマによって制作されてて、新作ごとにチャレンジしてます。アルバムのなかには不評を買ったものもなくはないですが、私は15枚のアルバム全部聴いてますが、捨て曲はひとつも無いです。よく聴く曲、あまり聴かない曲というのはあります。あえて言うなら、私は初期の頃の前衛的で野心的なアルバムが好みです。
クイーンの楽曲のなかにはロックのジャンルにはあてはまらない曲もあるので、音楽ジャンルは"クイーン"でいいかもしれません。

クイーンは、4人の楽器と声との複雑なアンサンブルが絶妙なバンドで、音楽的な技術の高さだけでなく、ステージでの立ち姿や佇まいがスタイリッシュで美しい。クイーンの知性を感じさせる情熱的でシアトリカルなパーフォマンスはライブに向いてました。そしてフレディは、一瞬にしてスタジアムの観衆の熱量を掌握する能力も備えていました。
ライブ映像"ライヴ・イン・モントリオール’81"では、絶好調の頃の完成形に近いクイーンのパーフォマンスを視聴することできます!

私は、70、80、90年代、2000年代に、クイーンのほかにもUK、USロックを片っ端から聴いてました。自然と音楽から離れてる時期もありましたし、いまも様々なミュージシャンの音楽を聴きますし、ライブにもたまに行きます。それでも、クイーンはいまも私にとって別格で特別な存在なのです。クイーンと同時代に生まれクイーンに巡り会えた幸運に感謝です。ちなみに私とロジャーの生年月日はまるきり同じ。素敵な偶然です。

"バレエ・フォー・ライフ"では、クイーンの、"Radio Ga Ga" "I Was Born To Love You" "The Show Must Go On"など多くの人に知られてる楽曲の数々が使われていますが、クイーンにはそういうポピュラーな楽曲以外にも、ライブでほとんど演奏されることのなかったバラードにもいいの多くあります。そのなかから、アルトもファルセットも美しいフレディの声を生かした、バラードを中心にメモリアルな楽曲をラインナップしてみます。
ねっとりとした硬質な質感に透明感ある伸びやかなフレディの声が、たまらなく好きです。フレディの声はかみさまからのギフトです。

1️⃣You Take My Breath Away
これぞフレディらしさの溢れる、神秘的でファンタジックな声。歌う吟遊詩人。フレディ独特のユニークでメランコリーなピアノの弾き語り。

2️⃣ Is This The World We Created?
ブライアンのアコースティックギターとフレディの屈託のない艶やかな声。フレディが素直にひたむきに歌いあげます。心が洗われます。ほんとフレディの作る曲はメロディきれい〜。

3️⃣ Innuendo 1991年
フレディ生前のクイーン最後のアルバム"Innuendo"の1曲目。当時フレディの体調は相当悪化しててスタジオに簡易ベッドを持ち込んでのレコーディングだったと。フレディは死を意識し、メンバーもフレディにあまり時間が残されていないことを覚悟し、4人はクイーンという音楽の旅の最終着地点に向けて突き進みます・・・どうにもならない無力感と、一途の望みに祈りを捧げるしかないメンバーの切ない感情が伝わってきます。フラメンコ風の間奏が入った後のフレディの慟哭のようなヴォーカル。繰り返される、"Till the end of time"・・

4️⃣ These Are The Days Of Our Lives 1991年
フレディが最後にクイーンとして撮影されたPV。このPVでは、フレディの外見からカラーでの撮影は限界でモノクロの映像になってます。フレディがパーフォマンス可能なのは上半身のみ、足はピタッと床に着いたまま動いてない。曲の最後に小声で囁くフレディの、"I still love you" それがフレディから私たちファンへの最後のお別れの言葉・・と受け取りました。

5️⃣ Barcelona 1988年
Freddie Mercury & Montserrat Caballé
フレディが大ファンだったスペイン人のオペラ歌手モンセラート・カバリェとの異色のコラボで、フレディは1988年にアルバム"Barcelona"を発表します。フレディにとっては2枚目のソロアルバムとなり、フレディとモンセラートのエキゾチックなクロスオーバーの世界が開きます。クラシック音楽をこよなく愛したフレディにとってこのアルバムの誕生は嬉しかったのではとおもいます。図らずもこれがフレディが健康なときの最晩年のラストアルバムとなりました。
この曲は、1992年のバルセロナオリンピックのテーマソングとなりましたが、フレディが開会式でBarcelonaを披露することは叶いませんでした。1991年11月23日、フレディがエイズであることをスポークスマンを通じて世界に発表されました。その翌日11月24日にフレディは力尽きて天国に旅立ちました。(45才没)
あ〜開会式で、フレディが大好きだったモンセラートとフレデイにデュエットさせてあげたかった・・・

6️⃣ La Japonaise
アルバム"Barcelona"の2曲目。フレディがきれいな日本語で歌ってます。(アルバム"A Day at the Races"のなかの"手をとりあって"「Teo Torriatte」でもフレディはサビを日本語で歌ってます) フレディのジャポニスムの世界、興味深い。メロディラインは中国風。曲調はオペラ"マダムバタフライ"のようです。

フレディは、ゾロアスター教徒であるインド生まれの両親の元に、1946年にザンジバル島(現タンザニア)に生まれ、インドで幼少期の大半を過ごし、8才でインド・ムンバイの全寮制の英国式寄宿学校に通い、17才でイギリスに渡り芸術学校に進みます。クイーンのアルバムの裏ジャケットのロゴマークや衣装のデザイン(全部でない)などは、フレディが手がけたものです。

クイーンの人気が高まるにつれ、フレディは、創造の充実感、ライブの達成感、メンバーとの友情、恋人友人にも恵まれ、私生活も満たされる一方、映画"ボヘミアン・ラプソディ"の冒頭で、ゾロアスター教の信仰の厚い父親と敬虔な信徒ではなかったフレディとの確執も描かれていますが、同性愛を禁じるゾロアスター教の家族の中で育ったフレディのセクシャリティーの悩み、表現者としての葛藤、なにをしても過剰である彼は、酒、薬、セックスにも深く耽溺し、人一倍繊細で複雑なフレディの精神的葛藤は想像に難くなかったと推測します。そんな情況で作られたフレディの音楽は、彼の混沌とした内面が楽曲に直接に投影されるのではなく、フレディの図抜けた天性の想像力、空想力によってソフィスティケートされ人間の情感豊かな作品となって仕上がっています。

フレディのインタビュー嫌いは有名で、彼のインタビュー記事やプライベート映像はあまり残されていません。死後出版されたクイーン、フレディ関連の本や雑誌、ドキュメンタリーなどに可能なかぎり目を通したとしても、複雑な民族的宗教的背景をもったフレディが、自身の出自、生い立ちについて語ってるものにはであえることできませんでした。ブライアンが、フレディはあんなに思索的でロマンチックな詞を書くのに、彼が本を読んでるところを見たことがないと答えてたことがありました。私はフレディのことだからきっと人のいないところで密かに読んでいたに違いないと踏んでます。フレディが日本の古い歴史、美術などに相当に詳しくて驚いたことを、フレディ来日際の馴染みの日本語の通訳さんが話してました。
フレディの恋人や身近な友人たちは、"フレディは家ではクラシックを好んで聴いていた、ロックンコンサートよりクラシックバレエやオペラのほうに多く足を運んでいた" "フレディは本来内向的な人、真面目で理知的でユーモアのある人、自分のことより周りの人を優先する優しい人だった" "ケンジントンの自宅で闘病中でさえ周りの人に気遣い、病気の痛みや苦痛に弱音を吐くことはなかった"と語ってます。"もちろん誰でもそうであるように困った点もいくつも持ち合わせていたけどね"とも。
ネット情報では、フレディの葬儀はゾロアスター教式で執り行われたとのことです。フレディの埋葬場所は公表されていません。

フレディならではの3曲をどうぞ!

1️⃣ The Fairy Fellers Master-Stroke
フレディがリチャード・ダッドの絵に触発されて作詞作曲。これ傑作とおもう。こんなおもちゃ箱ひっくり返したような曲、フレディしか作れん。

2️⃣ Killer Queen
初めて聴いたとき、なにこの曲?って。それから病み付きになった。

3️⃣ Don't Stop Me Now
1970年代フレディは、ロックシンガーとして最高のパフォーマンスを披露しています。フレディならではのリズムの刻み方がおもしろい。

2011年にQAL(クイーン+アダム・ランバート)が結成されました。私はいままでQALの来日ライブに3回参加してます。3回とも、フレディのポジションに在ったアダム・ランバートは、フレディの代役を飛び越えてアダム・ランバートとしてのパーフォマンスを、重圧に負けることなく見事にやり抜きました。私は大満足でした。ただ満足した分だけ、フレディの不在が顕在化し、フレディが恋しくてたまらなくなりましたが、同時に、ブライアン、ロジャー、アダムの心の中にいまもフレディは生きていることを確信できたことに感動しました。
Queen + Adam Lambert - The Show Must Go On

現在40年以上たった今でも、私たちはアーカイブでクイーンの映像をインターネットでも楽しむことできます。ほんとにこれ至福です。

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https://note.com/yokokawase/n/n087f65fa84a1/edit



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