祖父の櫛

祖父は、わたしが物心ついた頃にはすでに頭髪がすこーし寂しくなっていた。それでも、夏休みに祖父母の家に泊まりに行くとお風呂上がりには目の細かい櫛で、いつも丁寧に自分の髪を整えていた。

そして、私や妹がお風呂から上がるとすぐに「おいで」と膝に乗せ、私たちの髪もその目の細かい櫛で丁寧にとかしてくれるのだった。

少ないけれど黒くてツヤツヤのわたしたち孫の髪をきれいに整えながら、女の子は髪の毛が大切だからね、ときれいに分け目で分けて櫛の通りがするっと完璧になるまで、何度もなんども、丁寧に優しくまるで撫でるようにとかしてくれたのだった。


春先に祖父が亡くなった。

足を悪くして歩くのは遅かったけれど、のんびりでもたくさん歩いて美味しいものを食べるのが大好きな人だった。

今も脳裏に残るのは美味しい、の笑顔。

年始に会った時は、親戚の中で1番よく食べて、とびきり元気だったのに、「入院した」という報告から、ひと月も経たないうちに本当にあっけなく逝ってしまった。

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朝方まで飲み会が続いた日、夜中まで仕事が終わらなかった日、帰って来る頃にはすっかりヘトヘトで、メイクもそのままにバタンとベッドに倒れこむ。

大抵その翌朝は、歯磨きを怠った気持ち悪い口のネバつきと、顔にベッタリ残ったメイクで、寝起きから罪悪感たっぷりの1日のスタートを迎える。

多分誰にでもあるありきたりな不機嫌な朝。
そして残念ながら、私にも時々ある朝。

先日も夜遅く飲み会から帰宅し、お風呂に入らなきゃという気持ちと、もう今すぐにでも寝たい体が反発して、体がベッドに吸い込まれそうになったそのとき、なぜかふと祖父を思い出した。

そうだ、「女の子は髪の毛を大切にしなさい」と言われたな、と祖父の膝に乗って頭の上から優しい声をかけられた温かいお風呂上がりを突然思い出す。

ベッドに吸い込まれそうになった体を、お風呂場に連れて行って、いつもよりしっかりと、まるでおじいちゃんがとかしてくれた時のように、丁寧に髪を洗って、丁寧に乾かして、トリートメントで艶めく髪を触りながら「これからも大切にするね」と小さく呟いて天に誓うのだった。

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