見出し画像

アニック・グタルの選択



アニック・グタルの香水。

でも店の宣伝でもなければ香水の紹介でもなく、ましてや彼女の一生について書くわけでもない。

同じ女性として、また職歴のスタートに音楽の道を選んだものとしてアニック・グタルの人生のほんのいっときに注目したかったのである。その後彼女はモデル、私は飲食の道に進んだ。

更にその後彼女は香水、私はガイドの道に方向転換。

すみません比べるなって?

わかってはいるけれど彼女が香水の道を選んだ動機が気になって仕方がなかった。

何故?

モデルという仕事には若さの限界があるかもしれない。何か他の新しい仕事をと考えるのは当然であろうと思うのだけれど。

でも何故いきなり香水?
それが人ごとながらとても気になった。

<職業>というテーマについてあれこれ考える様になったのは大学で民俗について勉強したからであろうか。

今回はそれを私なりに突き進めてみたいと思う。

アニックよろしくね。

ただし申し訳ないのだけれど、私はもともと調香師という職業については全く無知であった。
ガイドの仕事を始めてから香水メーカーのアトリエ見学の通訳をする機会があったので、その際にフランス香水の歴史や製造過程を聞いて面白いと思った。

香水コレクションなども素晴らしいなと思ったし、何より製造過程の中で<オルガン>と呼ばれる、まさにオルガンのような姿の棚を使って調香師が仕事をしたというのに興味があった。

これが調香師のオルガン


アニックは、とある雑誌のインタビュー記事の中でこのように表現している。

「音符があって、タッチがあって、調律もする。ハーモニーの追求、不協和音もある。この仕事(調香)をすることで私は一生音楽家でいられる。」と。

なるほど、そういう考え方もあるのか。

香水の仕事をしながら音楽も離さずそばにおいて置けるなんて理想的。アニックは欲張りさんなのだな。
私にとって音楽は夢の夢だったけれど、でもそういうところ共感がもてる。


アニック・グタルは1945年、戦後生れ。フランスはアヴィニョンのお菓子屋さんに生まれる。子供の頃からピアノに情熱を注ぎ(ピアノ買ってもらったのだろうな、羨ましいな)16歳のときヴェルサイユのコンセルヴァトワール(国立高等音楽院)のピアノコンクールで優勝する。
しかしながらその後ロンドンでモデルになる。
その時にジャーナリストや有名人などの知り合いの輪を広げたことが香水メーカーとなってからの展開の大きな手助けとなったのだろうな。ただし、モデル時代から全てを頭に描いていたとは思えないけれど。

31歳でフランスのグラースという街に行き、そこでロベルテ社(香水メーカー)で色々と学ぶ。グラースという街は多くの有名香水メーカーで知られており、理想の環境だったのではないかと思われる。

充実した4年間のあと、アニックは
1980年に最初のオリジナルのパルファンを発表し、同じ年にパリに25m2の店を出した。
そこから次々に新しいパルファンや化粧品等を世に送り出す。

でもそこまで一気に文章にしてからそう言えば今までアニック・グタルの店に入ったことがなかった事に気がついた。
用事のついでにヴァンドーム広場とチュイルリー公園の間にあるブティックまで足を伸ばしてみた。

この先真っ直ぐ行くとチュイルリー公園


19世紀にナポレオン三世の命令によって造られたアーケードの一角にある。
店舗の前にモザイクでアニック・グタルと記され、入り口も多くの花で飾られていてとても素敵であったが、とても狭いので入りにくかった。

店内


ドアも重かったのでグズグズしていると、中にいた店員が開けてくれた。
どうやら彼は一人だった。
「ちょっと中を見て、あと香りを試してみたいのですが。」というと感じよく応対してくれた。
しかしこの時期(コロナ禍はまだ終わっていない)他も皆そうだけれど、香水に触れるどころか近づく事もできず、気になる香水の名前を店員に告げてペーパーにシュッと吹きつけてもらってそれの匂いを嗅ぐことしか出来なかった。


予め自分の好みの香水を知っておくか、或いは店員に好きな香りを告げるか(例えば百合の香りとか、薔薇の香りとか、桃の香りとか…。)
香水で自分に合った香りを見つけるにはその場でパッと決めることはできないので、例えば私は2種類の香水をペーパーにそれぞれ吹きつけてもらった後一時間位おいてからもう一度テストする。
そうすると意外な発見があったりする。

その日私は人気の<オー・ダドリアン>と<プティット・シェリー>の2つを試した。
<オー・ダドリアン(Eau d'Hadrien)>はフランスの作家マルグリット・ユルスナールの小説<ハドリアヌス皇帝の回想>から閃いてつくったものだそうで、フルーティーなフローラル系、アニック・グタルでも人気のパルファンである。
<プティット・シェリー(Petite Chérie)>は直訳すると小さな愛しい人になってしまうが、実際は愛しい人だけで充分。
実はアニックが娘のカミーユに捧げたパルファンだと言われている。

まずはその場でそれぞれの香りを楽しむ。そして別々に取っておいて一時間後に匂いをもう一度嗅いでみると、私の判定は明らかであった。ただし香水はいつもそればかりではなくTPOに合わせて変えてみるのもイケるし、またその人の体臭によっても違うし。
良い香水を選ぶというより自分に合ったものを知るということが大切なのである。

実はその日私の気分は<ブティット・シェリー>であった。少し疲れていたのでフレッシュ感を必要としていたのか。
例えばもう少し遅い時間だったら答えは違っていたかもしれない。

香水のそんなところがおもしろいと感じたのと同時にアニックがこの世界に惹かれていった理由もわかったような気がした。


そんなアニックはなんと52歳という若さでこの世を去っていった。
乳癌だったそうだ。
私が選んだ<プティット・シェリー>は娘のカミーユへの遺言書であったといわれている。
そんな悲しいエピソードも含めて、アニック・グタルは香水を通して自分の世界を残していったのであろうと思うと、なんだかとてつもなく凄いことだと思った。

カミーユへの遺言は何だったのかハッキリわからないが、アニックが亡くなったときにはフォトグラファーだったカミーユは3、4年位は兼業していたものの、今では<アニック・グタル>のあとを立派に継いでいる。

アニック・グタル
アニックのオルガン





よろしければサポートお願いします。これからもフランスの魅力を皆様に伝え続けて行きたいです!