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ブキニスト募集中


その数は少なくなったとはいえ、パリのモンマルトルの丘のテルトル広場では相変わらず画家達の姿を見かける。
丘を上がって、サクレクール寺院の左横を入って行くと「貴女綺麗ですねえ。」な〜んて私は一度も声かけられたことないのだがよくそのような光景にバッタリ。ポートレートを描く画家がモデルを探しているのである。

広場にいくと、ポートレートからパリの風景画、コンテンポラリーアートまで並んでいて見ているだけで楽しい。値段も殆どの場合表示されているのでぼったくりの心配はない。しかしながら予め確認するのは当たり前のこと。

よくある話がその中の絵に一目惚れして購入して、旅行から戻って部屋に飾って、それがまた良い思い出となって忘れられなくなってしまった。そこでその後再びパリに来てモンマルトルの丘に来てその画家を探してももういない…。

それは当然あり得る。先ずはあの場所で絵を描いたり販売したりするにはパリ市の許可が必要であるが、その為には試験、書類審査を受けなくてはいけない。更に認められたからと言って好きな時に好きな様に陣取って商売をしてはいけないのである。その件に関しての決まりは何かと厳しいそうだ。

地下鉄のミュージシャンにしても厳しいオーディションに合格しなくては皆の前で演奏する事は出来ない。通常車内で演奏する事は出来ないのだから…、

「えっ?だってよく車内で走行中に演奏してる人見かけるのに?」

そう、実はあの人達は無許可なのである。時々素晴らしい演奏家もいるけれどね。

パリのアーティストもなかなか大変である。それでも彼等がパリの街の風景を生み出しているのだからこれからも続けていってほしい。


アーティスト以外にも忘れてはいけないのがセーヌ川沿いの緑のブリキのボックスで古本(最近では特にポスター、葉書、キーホルダーや土産物などが多くなった)を売っている俗に言う<ブキニスト>達である。
ここのところ、パリも観光客激減のせいで、彼らのような川沿いで商売する人達もめっきり少なくなってしまった。

特に最近ではこの緑の箱は殆ど閉まっているので知らなければ「何これ?」、またよく見ると鍵かけられているものだから「個人ロッカー?」と問いかける人が少なからずのはず。

<ブキニスト(bouquiniste)>の定義とはパリのセーヌ川沿いで、bouquin(本)を販売する人のことを示す訳だ。

16世紀の終わりには本のことを俗語でbouquin(ブカン)と呼ぶようになったのでこのようなことになったのである。

始まりに関しては、かのヨハネス・グーテンベルクが活版印刷なるものを発明し、本の大量生産が広がった結果生まれたのだ。

1606年(17世紀初旬)にポン・ヌフが完成するとその橋の上にブキニスト達が手押し車で店を構える様になった。当時は本はすべて毎日持ち帰っていた。ポン・ヌフは商業が盛んで長い期間賑わっていた。

ところが19世紀後半のオスマン知事のパリ大改造の際にポン・ヌフ上の店開きも禁止されてしまった(オスマン知事による改革全体については私のnoteの記事、
<パリ大変身>をご一読いただくと意外と知られていないけれど大切なこの出来事について詳しく書いてある)。

しかしながらそのおかげで現在のようにセーヌ川沿いで店開き出来るようになり、後には決められた場所での営業が正式に認められるようになった。


さらには出店用の緑のボックスを営業終了後も設置したままにしておける権利を獲得した。ブキニストになるにはオーディションの必要はないが、現在でもパリ市役所の許可を貰わなくてはいけない。

世界遺産にも指定され、パリ独自の歴史を我々に語り続けながらセーヌ川のほとりを飾るブキニスト達…、と思いきや、先日耳に聞こえてきたニュースでは、なんとブキニスト絶滅の危機の話しが!?

コロナ禍のせいで外出制限や、とくに観光客激減の為に最近では多くのブキニストが店をたたんでしまったということなのである!

それは大変、やはり自分のこの目で確かめなくてはと思い、早速現場まで駆けつけてみた。

図のようにブキニストはパリの中心でシテ島を囲むようにセーヌ川沿いに並んでいる。私は特にノートルダム大聖堂付近が好きなのでその辺りにまずは行ってみた。

見渡す限り誰もいない。いや、正確に言うと一人だけ、でもポストカードやキーホルダーなどの土産物しか売っていない。昼時近くだと言うのに客はゼロ。その男性は浮かない顔をして店番をしていた。
暫く西の方向に歩き続けてみたが、全くと言って良い程閉まっている。

その後左岸沿いに歩くと、あっという間にポン・ヌフに到着。橋の辺りは散歩をしたり写真を撮っている観光客と稀にすれ違う事はあれども、ブキニストには全く合わない。気を取り直して橋を渡って右岸まで行くことに。もう近くにサマリテーヌ(デパート)の建物が見える。

橋を渡りきってすぐの左に一人の女性が自分のボックスを準備しているところに出会った。観光客らしいカップルにポスターを見せているところでもあった。しかし彼女にしても売っているものは殆ど土産品ばかりで本らしきものは皆無である。その後は見渡す限りグリーンのボックスに人の気配はない。

がっかりしすぎてため息さえ出やしない。これでは今後パリ名物の一つであるブキニストを見ることはできないのか?それともまたパリに元のような活気が戻ってくれば彼らもここで営業再開出来るのであろうか…?と心配してしまう。

↑この写真はポン・ヌフ横の唯一営業していた女性ブキニストの店である。最近ではこんな感じの店が殆どであった。



↑それでもパリの街並アートとブキニストの関係について少し紹介しよう。
こちらはフランス写真家、ウジェーヌ・アジェ(1857-1927)の<レ・ブキニスト>という作品である。場所は左岸のケ・ド・コンティ、そう、パリジャン(といえばパリで生活する男性のことを指すが、そう言えばブキニストも客も男性が多い)はこの写真の様にしてお気に入りの一冊を漁りまくるのである。ボックスの高さは最大2m10cmであるが、それはあまり高いとセーヌ川の景色が見えないからだそう。

アジェは1880年から亡くなるときまでパリの街の姿を撮り続けた人だ。特に1899年からモンパルナスに住むようになってからは、撮った写真を画家達に安く売って彼等の芸術活動のインスピレーションに役立つ様に貢献した。自分の儲けは一切考えなかったそうだ。この様なアーティスト同士の交流も当時のアート発展に役立っていた事に注目して欲しい。

↑ちなみにこれもアジェの<パンテオン>であるが、構成だけでなくテクニック的にも超越したものがあると思う。
主役であるパンテオンの建物をぼやかし、削って、その他の建物より遠くに置いて、さらに光と影の使い方への配慮が飛び抜けている一枚だ。
こんな作品を完成させていたアジェでもあるが、彼の写真すべてにパリの日常の人々や街角を撮り続けた情熱が籠もっており、それは何物にも代え難い宝と思う。

その様な作品を懐かしい思いで眺めるのも素晴らしい事だと思うし、ブキニスト達の姿を見ながらやはりもう一度あの頃のパリを思い出してセーヌ川を歩きたい。

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