見出し画像

アーモンドの花が咲いた


フィンセント・ファン・ゴッホ ーその時のあなたの気持ち


2月の下旬か3月の初旬あたりにフランスにいると、不思議に思うことがいくつかあると思うのだけれど、そのうちの一つに
「桜の開花が早い。」という声を耳にすることがある。
 
私も最初は気が付かなくて、というか花は好きだけれど名前とか種類とかに詳しくない、というか無知である故あまり気にしなかった。

ある日偶然誰かに聞いたのだけれど、その花は桜ではなくてアーモンドの花だということかわかったのはしばらくしてからで、それまでは桜だと信じて疑わなかった。

でも一度知ってしまうとその違いは明らかであった。
では比べてみよう。

さくらの花
アーモンド

区別がつくようにアーモンドの方にはわざと実のついた写真を選んだ。
特に花の付き方で違いがわかるとは思うが、かなり似ている。しかしながら、アーモンドには花柄と言う細い茎のようなものが無いか、或いは短く付いているのに対して桜の方にはしっかりわかりやすく付いている。

あとは開花の時期が大きな違いだろうか?しかしながらアーモンドに関してはフランス国内でも北と南で一週間以上の差があるので桜と比べても、さほど当てにならないかも。


フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)
<花咲くアーモンドの木の枝>
1890年
アムステルダム、ゴッホ美術館



さて、作品をじっくり観ていただこう。
全体をしっかり観賞してから一度、目を閉じてあなたのスクリーンにイメージを焼き付けて、再び目を開けるとあなたの中で何か変ったことが?

私の場合は何か晴々とした、しかしながら空ではなく、川に流れていくアーモンドの花の枝に化身した何かを思い浮かべた。そしてとあることを思い出すのだ。

一筋の涙。

あなたは?

人それぞれだからあなたの意見が私と同じとは思えないので是非聞かせてほしい。
笑いが止まらないとか、怒りの気持ちがこみ上げてきた、或いは座禅を組みたくなったでも良いので。
何かこの絵は人物が描かれていないのに人の心の奥底に隠れていたエモーションを溢れ出させてくれるような気がしてならないのは私だけなのだろうか…?


この絵の作者であるフィンセント・ファン・ゴッホは1853年にオランダで生まれて1886年以来フランスで過ごし、最後1890年にイル・ド・フランス地方のオーヴェル・シュル・オワーズで37歳で亡くなる。
<花咲くアーモンドの木の枝>が完成したのは亡くなる直前ということになる。

この絵は実は弟のテオへの贈り物であったそうだ。

テオに子供が生まれたのは1890年1月31日で、テオはそのことを手紙でゴッホに知らせ、また名前を<フィンセント>にするつもりであるとも告げた。
フィンセントとはゴッホのファーストネームなので、当然大喜び。

その後母親に、「その子のために青い空を背景に白い花のアーモンドの木の絵を書き始めた。」と言うことを手紙で報告したそうだ。
その時のゴッホの気持ちが伝わって来るような絵だなあとつくづく思う。


それにしてもゴッホは花の絵をたくさん描いているが、こういった構成はあまり他にはないのではとふと気がついた。

花咲くアーモンドの木
1888年
アムステルダム、ゴッホ美術館


さらに

桃の花
1888年
アムステルダム、ゴッホ美術館


上の2点に比べて<花咲くアーモンドの木の枝>のフレーミングのテクニックというか、花と枝に焦点を合わせているけれど全体的にはサラッとしているところにまずは好印象がもてる。

また、この絵は<ジャポニズム>の影響が見られるというが、輪郭のハッキリついたところなど、まさにそう言えるかもしれない。
そもそも日本の桜によく似たアーモンドの花を主題に選んだことはハッキリとした意識の現れかと察する。

確かにゴッホの<ジャポニスム>はよく知られている。
noteの他の記事でも少しだけ言及したが、同じ時期(1888年頃)にパリのブロヴァンス通りにあったサミュエル・ビングの店でゴッホはたくさんの日本版画を購入したそうだ。

さらに感動的なのは数枚の浮世絵を模写して油絵で仕上げているところ、またわかりやすい例としては<タンギー爺さん>の絵の背景に浮世絵を描いているところなど、これだけ
<ジャポニズム>を理解しようとした画家はまわりに認められて当然である。

<タンギー爺さん>
1887年
ロダン美術館


では浮世絵に<花咲くアーモンドの木の
枝>のような感じの作品が存在していたのかというと、

葛飾北斎
<鶯に垂桜>
1834年頃


この作品を実際にゴッホが見たことがあったのかは別としてこういったスタイルが影響を与えた可能性はあるかもしれない。


その後ゴッホがテオにこの<花咲くアーモンドの木の枝>の絵を送ったことは確認されているし、テオが受け取ったことも知られている。
それは1890年の5月のことである。

その2ヶ月後にゴッホは亡くなっているが、死因は自殺である。

その場所はオーヴェル・シュル・オワーズであり、パリから車で一時間位でいける。町歩き自体は難しくないので個人旅行でも地図さえあればゴッホとテオの墓や自殺をした部屋(ラヴーの旅館内)など見学可能である。この町はゴッホの他にセザンヌやコロ、ピサロなども滞在したことがあるという芸術家にとっては魅力的な場所なのである。

ゴッホが<花咲くアーモンドの木の枝>を描いたのはサン・レミ・ド・プロヴァンスの精神病院にいたときなのでその時の絵の詳しい情報はオーヴェル・シュル・オワーズにはないと思うが、やはり絵をテオに渡した直後にゴッホがこの地で死を決意してしまったことを考えると世の中複雑過ぎて先に進むことが出来なくなることもあるんだなあと、私は勝手に一人で落ち込んだ。最後には画家はそれまでと明らかに違うスタイルの作品を描くようになった。

オーヴェル・シュル・オワーズに着いてから亡くなるまでにゴッホはなんと70点程の作品を手掛けたが、例えばこの教会の絵のように、歪んだように見えるものが多かった。

オーヴェルの教会
1890年
オルセー美術館


この頃には、ゴッホには目に見えるものがこのように見えていたらしい。
この作品はパリのオルセー美術館に常設展示されているので機会のある方は見逃さないで欲しい。


ゴッホとテオはパリのモンマルトルに同居していたとき仲違いしたこともあったというが、最後には兄弟の絆をアーモンドの花の絵によって以前より尊いものにした。
だからこそこの絵には涙が出てきそうな静かな、また、か細くて儚い気持ちが滲み出ているのと同時に、兄弟、そしてテオの息子のフィンセントとの絆という深くて強い何か(血の繋がりか?)が宿っているような気がしてならない。

人間も動物も描かれていないシンプルな構成なのに何故か目の前の、そして身近な人を思い出してしまう、不思議な力を持った作品と出会った満足感は言葉では言い表わせない。


よろしければサポートお願いします。これからもフランスの魅力を皆様に伝え続けて行きたいです!