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たった一週間でも素晴らしい  展覧会

ルーヴル美術館特別展<肉体と魂>-ドナテッロから ミケランジェロまで。見学レポート及び感想文。

2020年10月22日から2021年1月18日迄の開催予定であった。しかしながらフランスは2020年10月30日から外出制限と共に美術館も含む文化施設はすべて閉鎖を余儀なくされたので開催期間は今のところ僅か一週間。私はそれでも最終日の10月29日を予約してあったのでこの素晴らしい企画を逃すことなく見学する事が出来たが、最初は12月半ばに再開予定、それが2021年1月初旬に延期、今では1月20日に2月以降どうなるかの決定が発表されるとの事、もしかしたらこの展覧会に関して希望は閉ざされたかもしれない、たとえ2月に美術館自体再オープン出来たとしても、この特別展は1月18日終了予定なのでもうチャンスはないかもしれない。延期予定ありという情報もあるが、ルーヴル美術館は春以降既に様々な企画予定があるので難しいかもしれない。運を天に任せるしかない。

その様な理由でいきなり最終日になってしまい、あまりゆっくり観る事ができなかった事もあり(人数制限の為に予約制にしているので長居は不可能)、というのはこの特別展は彫刻中心なのて写真ではなく肉眼で間近でじっくり視たかったので非常に残念、また、絵画にはないボリューム感や、後ろから觀たりするのも彫刻を現場で鑑賞することに意義があるのに…、実は見学が終わった後に、開催中にもう一度来たいと強く思っていた。まさかこんな事になるとは思わなかった。

ルーヴル美術館にしても、前年のレオナルド・ダ・ヴィンチ展大成功の後、誰もが期待していた企画であったので残念と言う言葉の他には何もない。

さて、このルネッサンス彫刻展に入れたのは一体何人か知れないが、そのうちの一人として、また日頃頻繁にルーヴル美術館に出入りしているものとして、私個人の意見ではあるが、この目で見たものと感じた事を皆さんに報告しよう。

入場制限など、コロナ感染対策については問題ないかと思うので今回はあまり触れないでおくが、感心したのは入場のセキュリティチェックの列を2つに分け、例えば10時予約の人を右、10時30分の人は左に並ばせて流れをスムーズにして、さらに間隔もとれる様に工夫していたところである。一昨年モナリザを(館内で)数カ月間移動させた時に大混乱になって以来ルーヴル美術館も学んだ様である。

会場はナポレオン・ホールという、ガラスのピラミッドの地上入り口からエスカレーターを降りてすぐのところである。地下にあって、特別展は大抵いつもそこで行われる。作品同士は広々と間隔をあけて展示されている。ルネッサンスの彫刻と言っても対象のピリオドをかなり絞っていて、1450年から1520年という短いが重要な時に焦点をあてている。何故なら<新スタイル>を求めてフィレンツェからヴェネツィア、ローマ迄とこの動きが広まった時だからである。

さて、内容を私個人の見解でまとめてみると、ルネッサンスの特徴と言われる古代への回帰、肉体の表現、カノンの美、バランスの追求に加えて、このおよそ70年の間に、肉体だけではなく魂、情熱、感情をよりリアルに表現する事によってそれまでにないスタイルをアーティスト達は探し出したのである。まさにルネッサンスの絶頂期を築いたと思われる。さらにそのスタイルを表現するのに、それまで使われていなかった<sublime(荘厳美)>という言葉が生まれた。

具体的に作品を例に挙げるのがわかり易いと思うが、いくつか「選ぶ」のが簡単ではない。どれも鳥肌が立つほど感動的で魂に訴えるものがある。が、敢えて5点ほどと言うのなら…。

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バッカスとアリアンヌ             トゥリオ・ロンバルド(1455?-1532)       ヴェニス                  1505年頃                   大理石                    ウィーン、美術史美術館

今回の展覧会のアーティストの中ではドナテッロとミケランジェロが圧倒的に知名度が高いが、その他にもこんな素晴らしいアーティスト達の作品に出会えた事にも感謝しなければいけない。その一つがこれである。左がワインの神バッカスで、右がその妻アリアンヌ、注目すべきは2人の美しさだけでなく素材として選択した大理石を見事に使いこなしている点。肌の滑らかさと、まるで血がかよっているような温かさが肉眼でまじまじとみるとよく伝わってきて、うっとりしてしまう。私のチョイスの5点は素材の多様性も基準に(そうでもしなければどれもこれも素晴らしい作品の中から選ぶなんて無理である)考慮したのだが、同じ大理石でも(勿論、素材自体の質にもよるが)私がイチオシで選んだミケランジェロの <奴隷>と比べて欲しい。  また、二人は顔を寄せ合っているがその傾き加減の角度がまるで計算されたかの様である。お互い信頼しあっているんだなとわかる。髪の毛のしなやかさとボリューム感、さらに全体の陰影のつけ方や細かい演出、例えばバッカスが唇をほんの少しだけ開けているところに何ともいえない色気を感じさせる。理想の美と言うのはまさにこれであろう。

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死刑執行人の姿                アンドレア・デル・ヴェロッキオ(1435-1488年) 1477頃                    テラコッタ                  個人所蔵 

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聖ヨハネの斬首                アンドレア・デル・ヴェロッキオ       1477年                    シルヴァー                  フィレンツェ                 主教座聖堂美術館

2枚を比べると、上の作品は下の<聖ヨハネの斬首>の一部の習作という事がわかる。(中央の死刑執行人のことである) <聖ヨハネの斬首>は今回の展覧会にはなかったが、元々フィレンツェの教会の洗礼堂にあったもの。上の習作が特に他の作品に比べて目立ったのは素材にテラコッタを使っている事と、その使い方のテクニックがまさに超越した素晴らしさであるという事であろう。肉体の表現力、髪の毛、表情ともにこれこそ<sublime, 荘厳美>そのものではないかと思った。

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キリストの哀悼                ジョヴァンニ・アンジェロ・デル・マイノ他  1493-1494年                 ベッラーノ                  サン・マルタ教会  

このポリクローム(多彩色)の作品は会場内でも一際目立っていた。このピリオド独特の多様性に注目すべし。さらに宗教的テーマと演劇的な演出というアイディアのミックスで見るものの視覚的、また感性に強く訴える事に成功していると言える。

そしてこの展覧会では敢えてドナテッロとミケランジェロの名をタイトルに挙げて2人のアーティストへの注目度を強調しているが、彼らの作品がまたどれも素晴らしい。敢えて1点ずつ選んでみた。

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死せるキリストへの哀悼            ドナテッロ(1386-1466)           1456-1460年                 ブロンズ                   フィレンツェ                 ヴィクトリア・アンド・アルベール美術館所蔵  ロンドン

全体と比べて聖母マリアの大きさ、また、表情、特に悲しみで歪んだ顔が何とも言い難い苦痛を最大限にあらわしている。

そして最後にミケランジェロの名作、<奴隷>は特にじっくり眺めて観察していると様々な要素がにじみ出てくる。ルーヴル美術館は1793年にオープンしたが、初期は展示作品数も極めて少なかった。この<奴隷>は1794年以来展示されているのでルーヴルの美術館としての歴史を語るのに欠かせない存在のうちの1作品である。

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奴隷                     ミケランジェロ(1475-1564)       1513-1516年                 大理石                    ルーヴル美術館                パリ

奴隷の人生とは?一度奴隷として捕獲されてしまったら一生他人の為に自らの身体を酷使して働き、個人の自由時間も無ければ言葉の自由も一切ない。そしてやがて死んでいく運命なのだ。この時代はそれが当たり前であった。選択など不可能であった。そんな中でミケランジェロの提案はこうであった。人間は与えられた同じ運命であっても様々に反応するのだと。考える事も行動も当然異なる。このテーマがあまりにも偉大すぎる。

向かって左が<反逆の奴隷>、与えられた奴隷の運命に向かって目をひんむき、顎を突き出し、肩を押し付けるようにして、片足を前に出して、今にも向かって来そうに見える。また、筋肉がこう叫んでいる様だ、「私は皆とは違う。人に言われるがままに、また人の犠牲になって死んでいくのは嫌だ‼」と。

右が<瀕死の奴隷>、対象的に目は閉じて寝ているか、あるいは既に死んでいるかのようだ。身体の動きもなければ訴える気配もない。筋肉はしなやかであるが力強さはなく、もう人生を諦めているようにさえ見える。

ミケランジェロのこの彫刻という芸術の媒体を通しての叫びは見事に人々の心を揺り動かした。要するに、肉体の完璧な描写に人間が持つ特有の感情表現が加わって、真の<sublime>という言葉を生み出し、更に多くの後世のアーティスト達に多大なる影響を与えた。

ルーヴル美術館常設展示で、この作品の後ろの階段を昇っていくと2階にはフランス19世紀のロマン主義の絵画作品達に出会うが、その中にあるドラクロワやジェリコ等の感動的な迫力満点て今にも飛び出してきそうな物語が広がっている。また、絵がメッセージをそれぞれ語っており、さらには登場人物達の叫びが聞こえるようだ。これらもミケランジェロの影響を受けているのがひと目でわかる。そう考えるとルネッサンスのうちでも、また世界中のアートの歴史のなかでもほんの100年にも満たないピリオドがいかにも重要性をもつかと考えると鳥肌が立ちそうである。

私がこの作品を選んだのは当然である。フランスの政府公認ガイドとして毎日のようにルーヴル美術館で作品のコメントをしているが、<奴隷>の作品は必ずコメントする。美術史の中でのこの作品の重要性は充分理解しているつもりだ。今回再び見直して、また同じピリオドの他の作品と比べて新しい見方が出来るようになったし、今後の自分の仕事においても楽しみである。

ミケランジェロのメッセージは今日フランスの別の場所でも見ることができる。パリから北におよそ40kmのところに位置するシャンティイ城内部は現在美術館となっており、入り口に2体の<奴隷>の彫刻のコビーが堂々と左右を飾っているし、パリの12区のガール・ド・リヨン(パリ、リヨン駅)近くの(私の家の近くでもある)警察署の建物には<瀕死の奴隷>の例の恍惚の表情付きの上半身がズラリと写真の様に並んでいる。

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以上5作品の例を見て、何かそれなりに感じとって貰えたならと思うが、このチョイスはあくまでも私の感じたものであって、皆さんがこの展覧会のその場にいらしたら、全く違う見解で、また全く違う作品を選ぶかもしれない。どれも素晴らしいのだ。

ルーヴル美術館とミラノのカステロ・スフォルツェスコ美術館との共同企画、研究の結果生まれた興味深く、注目すべき内容の発表であるので是非これだけで終わらせずに続けて延長、再開を強く願う。



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