フランスの田舎でチーズ修行
シェーヴルのチーズはお好き?その1
シェーヴルとはフランス語で山羊の事で、今回は山羊のチーズと私の真(?)の出合いについて書いてみようかと思います。
かれこれ今から20年以上の話しですけど、ここでお披露目しておかないともう一生人前にさらけ出す事無いだろうなと思い切って投稿させていただきます。
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当時は日本からフランスに到着したばかり、リヨンの語学学校に通うために半年間の滞在を決めてその後ボルドーに移動する予定の直前だったので、散々仲間達と出かけたり、日本から遊びに来てくれた友人達とグルメ体験など(当時私はなんと1年で9kg肥えたという記録保持者)謳歌したものの何かあまり人がしないことにチャレンジしたいと考え、ワイン生産者訪問は皆よくするみたいだし、自分でもコート・デュ・ローヌは結構回ったのでそれ以外のこと、例えばチーズなんかどうかと思い、リヨンの観光局に問い合わせた。なぜチーズかと言うと、やはりフランスでワインの他にというとチーズかなと単純に思ったから。
もらったリストには僅か3件のみ。場所柄すべて山羊のチーズ生産者、それはそれで良かった。と言うのはそれまで美味しい山羊のチーズを食べたことがなかったから。日本でもフレンチレストランやワインバーなどでチーズは好きでよく食べていたけれど正直なところシェーヴル(山羊)はあまり美味しいとは思ったことがなかった。なんか妙なくせがあったのでむしろ避けていた。
観光局のリスト上の3件の住所は聞いたことのない所ばかり。何処が一番リヨンから近いかと聞いて教えてもらったところはあっさり断られ、2件目のサン・クロード・ユイッセルと言う全く聞いたこともない地名の生産者にチャレンジしてみた。
その名も<ドミニク&ピエール>、電話に出たのはご主人のピエール。最初はいやそうだったけど(たどたどしいフランス語を話す外国人の女がいきなりチーズ作りの研修をさせてくれと言うのだから当然だけど)[一週間位ならいいよ、ただしチーズ作りはそんな簡単じゃないから短期間じゃ無理だよ。]と、でもそれまでチーズ作りなんて見た事なかったし、ご好意に甘えて図々しくも私の一週間のスタジエ(研修生)生活が始まった。今考えるとほんとに怖いもの知らずというのが明らかだけど、また若気の至りだけでは済まないよね。おそろしや。
行きはアンプルピュイの駅(リヨンから1時間30分くらい)まで電車で。事前にピエールに行き方を聞いたときに駅からバスはないだろうと。では歩きかと思ってどの位と聞いたら[3kmくらい]と言うことなので、じゃあ何とかなるかと思った。家を見つけるのはどうやってと尋ねたら[すぐわかるよ。山の上に建物一軒だけだから。](1番上の写真参照)はあーでもとりあえず行ってみるしかないか。
さて当日早朝駅に到着して歩き始める。迷う事はあまり心配しな年かった。道は一本だけだし、標識が要所要所にあったのでそれを頼りに。ただし景色が単調というか、いや、実は途中で牛の群れに遭遇したのだがその時はかなりビックリした。だって彼らの顔って私の数倍あるんだもん。おとなしそうではあったけど時々[モーッ]というより[ボーッ]と鳴くのもいて、怒らせたらやはり恐いだろうと察し、静かに退散。盛り上がったのはそこだけであった。
その後かなり歩いたところで一台の車とすれ違った。そしてその10分位後にまた違う車が…、しかもその車は私に喋りかけてくる。ピエールだった。ピエールが先程すれ違ったご近所さんからアジア人の女が歩いている情報を聞いて、迎えに来てくれた。後日談だが、ピエールの家のスタジエは村中でかなり有名だったそうだ。おそらく村で初めてのアジア人だったかも知れない。
迎えに来てくれて正解であった。と、言うのもおかしいが、その直後に山登りをしないとたどり着かない凄い所に一家は住んでいた。距離も、3kmなんて可愛らしいものではなく、後で調べたら8kmであった。よくある話で、田舎で地元民に道を聞くと、よく言っても大雑把、が実際は適当すぎてあてにならない事がしばしば。隣というのが数キロ先だったりする。徒歩5分といわれたら20分位は覚悟しないと。
ドミニクとピエールは山の上に住んでいた。隣人は隣の山、1家族につき1山って贅沢といえばそうだし…。子供は3人。上の2人(長男と長女)は平日はどっかの町で働いていていないので女の子の方の部屋を使わせてもらった。だからこの2人と私はほとんど会っていない。3人目はメラニー、当時6歳でこの子が私の面倒見係であった。
研修に関しては、何せ日本でもまったく無体験なことなので正直言って何が起こっているのかよくわからなかったが、とにかく毎日が新しい驚きであった。
先ずはご近所の隣の山までご挨拶。ちょうどアペリティフの時間(夕方ディナーの前の食前酒タイム)だったのをよく覚えている。スュズを飲んだ気がしたがどうやって飲んだか覚えていない。いや、パスティスだったか?適当に会話をして夕飯に戻る。夜はぐっすり。
翌日、私の研修は味見で始まった。山羊チーズだけといってもかなりヴァラエティに富んでいる。フレッシュな出来立てはミルクケーキみたいでこんな山羊チーズ日本では絶対味わえない、いやフランスでも以後一度もこんなお菓子みたいでほんのり甘くてクセがないのには出会っていない。その時は6月だったから時期的な関係でもあるかも知れない。後は少々熟成させたもの、またさらに数カ月熟成させたものと、段階的に。でもどれも過去食べた様な妙なクセがない。ハッキリいって最高な山羊のチーズ!
日本では山羊を触った事も見たことさえなかったので先ずはご挨拶。
小屋の中では皆仕切りの中でおとなしくしていた。顔も先先日に出っくわした牛達より当然の事ながら小さいし。が、やはり目も合わせられなかった。乳を少し飲ませてもらった。[口つけるなよ]と言われ、おそるおそる…。思ったより薄味で温かかった。先程のチーズは数倍濃厚で、でもフレッシュさは生きていたし。
ちょこっとずつ私にそれでも色々と見せてくれてから、ピエールはすぐいなくなる。そして通常はラボ(実験室)、製造室は関係者以外立入禁止。結局私は肝心なところは何も見ることなく、衛生面からして当たり前だが大事なところが終わってから写真の為に呼ばれるのみであった。
[これを友達や日本の家族に見せてあげなさい。]と言われて今でも後生大事に持っているのが上の写真である。チーズを型に入れて、これが凝固するまで大事に保管しておくのである。室内は真っ白で清潔感ただよっていた。ご察しの通りやっているフリであり、実際にはやっていない。世の中そんな甘くないのだ。
下の写真は実際にピエールが型に入れているところで、やはり見ただけで違う。
実はドミニクとピエールはシャンブル・ドートなるもの(民宿のようなもので、家族の子供達が仕事や結婚などで居なくなった後の部屋を客室に改装したり、また、ピエールの家はかなり広いので別館を使用したりして客を迎えていた。食事は希望に応じて朝だけだったりと様々)を経営しており、そちらはドミニクが中心になって(と言うか一人で)働いていたようであった。一度だけランチを30歳代くらいのカップルとご一緒した。食事はいつも簡単なものであったがその日は冷凍ピザを解凍してオーヴンで焼いたものにサラダ、でも大事なのは皆で一緒に食べること。
さて、肝心の研修であるが、私にとっての難関その1は枯草集めであった。田舎の景色に欠かせないこの枯草を集めて専用のトラクターの予め用意してあるビニールの上に適量載せてガチャンすると写真のようにキレイな円筒形が出来るのであるが、こんなにハードな運動が必要とは思わなかった。ピエールはトラクターを運転するだけで良かったが、私は草を集めてビニールの上に積まなくてはいけなかった。歩いていては仕事が進まないので走るのだが、これきつかったー。ちょっと代わって欲しかったわ正直言って。
ところが翌日は私にとってもっと大変であった。メラニーと2人でヤギ達を朝の散歩に連れ出すという大役を仰せつかった。[大丈夫。メラニーは慣れているから。]とパパさんは自信満々だが、そもそもメラニーはあまりたくさん喋らない。何かを積極的にやるタイプではないし、おそらく私の仕事ぶりをみて飽きれて手が出せなかったのかもしれない。山羊はちっとも言うこと聞いてくれない。おそらくフランスに来て2、3ヶ月の、しかも日本でろくに習っても来なかった私のフランス語は6歳の子供にも山羊にも理解してもらえなかったのであろう。
心配して見に来たピエールは案の定という感じの表情だった。一言[君には難しかったか]とがっかりした様子でため息をついた。私にはどうしたら良いのか、何が行けなかったのか全くわからなかった。が、明らかだったのは私は体力的にも足りないし、またせめてもう少し語学出来ないと何の役にもたたないなということであった。しかし一人で10頭以上の山羊を野原まで連れて行って草を食べさせて帰ってくるのは容易ではないかと…。
この研修は結局一週間という短い期間のおかげで命拾いしたのは私であった。今よりかなり若かったといえ、体はガタガタ、ボロボロ…、しかし精神的には不思議なくらい元気であった。[明日の土曜日は村のマルシェがあるからそこでチーズを売るんだよ]と言われた時はそれでもへえ、やっとリヨンに帰れるのかと少し思った。
ここで一旦お休みです。続きは数日後に。すぐにお会いしましょう。
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