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敬語よりもため口の方が難しい

二回目の出会いの同年代の方にたまたま遭遇することがる。出会うまではいかないが、連絡を久々に取る友達もいる。

前までは、ため口で話せた人でも、今は敬語のほうが話しやすい人もいる。
ため口の相手と敬語の相手とは何だろうかと考える。

相手と会話するときに、生産性を生むようなときには敬語を多く使っていることが多い気がする。そして、特に仲のいい相手にはため口を使っている。

目上の方でも、なんとなくため口で話せる良好な関係の相手も中にはいるだろう。

敬語で話すというのは、幼少期の課題でもある。相手を敬う語としての認識だ。しかし、いざ敬語を使っている子供を見つけると
「なんて律儀な子なのだろうか」
「子どもなのに敬語を使っているのは違和感を感じる」
といった二通りの意見が出るだろう。

しかし、学校に進むにあたって敬語を習得していくことになる。なんとなく、どこからか身についていく。時には、敬語ではないほうが話しやすい時もあるだろう。

敬語には美的センスを感じるときもあるが、この間柄でため口ではないのかと変に感じるときもある。

横断的にみると、心の距離。縦断的にみると、権威や年齢といった要因が考えられるのではないだろうか。


自分としては、昔は初対面や外の環境の人に対してつかうものが敬語であった。ここ数年では、いろいろな方とお話しする機会が確実に増えたこともあり、敬語のほうがずっと使う機会がある。

音声の文字化をしてくれないかという依頼があり、引き受けた。なんという人使いの粗さなのだろうと思いながら1時間分作業をしなければならない。任意位であるがためにとてつもなく疲れる。

講演事業の話し手の言葉はとても固く素養のある文章だ。まだまだ知らぬ言葉もたくさん飛び交う。彼らは、社会の荒波にもまれながらどこでその手法を手に入れていくのだろうか。

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