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学校に行く必要あるとかないとかみたいな話。20240718


こんにちは、いしわたり ようこです。
今日は2024年7月の18日木曜日です。
今日は一歩も家を出ないでずっと部屋の中で作業してますね。
たまに洗濯物を干しに外に出ると、非常に蒸し暑くて、皆さま、熱中症に気をつけて日々をお過ごしください。
ということで、いつも私はTikTokの切り抜きとか、YouTube•••ショート動画を見たり、
作業してるときはラジオを聞いたり、音声配信アプリを使ったり、ニュースを聞いたりしてるんですが、
たまたま聞き流していたショートムービーか何かわかんないんですけど、何かの切り抜き動画で「学校に行く必要がある、ない?」みたいな話をしている動画があって、
自分の学生時代ってどうだったかなってふと思い出してみたんですね。

確実に言えるのは、
私の通っていた学校は結構自由な感じで、別の校則がないとかそういうわけじゃなくて、
制服もあったし校則もちゃんと、ルールもあったけども、なんていうか、
先生それぞれがあんまり何かを強制するような感じの人がいなかった気がします。私立のせいだったのか何だか知らないけども、
先生はみんな何となく•••私のイメージですよ。
もちろんすごいお世話んなっていましたが、
仕事の取り込むスタンスが、会社みたいな感じ、
今思うと、なんか、うん、会社員みたいな感じで、
なんか教員室が楽しそうだったっていうか、
やぁ、そういうこともないんだけども、もちろんね、どんな会社にも、なんだろう、もしかしたらイジメがあるかもしれないし、派閥があるかもしれないし、仲いい、仲悪いがあるかもしれないし、大人になってもね、そういうのはどうせあったと思いますが、
外から見ててなんか教員室が楽しそうだなみたいな感じの印象がありましたね。

私自身もあまり学校とか馴染めなくて、
私の場合は小さいときからクラシックバレエをやっていて、生活の主体が学校の外にあったので、そんなに学校だけが自分の世界っていうものじゃなかったから、生まれたときからずっと学校の外に自分の世界があって、自分の生活する場所があって、
学校の生徒たち以外の人と付き合うことが多かったので。

それ以外にも、何て言うのかな?
何年前??中学3年生が15歳とするならば、
30年前ですよね、大体!
30年前になんですけどね、結構その頃は進んでたんじゃないかなと思うんだけど、
カウンセリングルームっていうカウンセラーの先生がいる部屋があって、学校の中に。
そこは登校拒否だったり、学校に行きたくなかったり、来れなかったりする子が、来る場所で、
面談とかする場所で、
でも休憩時間は普通の生徒も出入りできて、
そこには漫画、ジャンプとかマガジンが積み上がってて、小説とか単行本とかもいっぱいあって、結構私は、休み時間はほとんどそこにいましたね。そこで漫画を読んでるか、先生が面談中は、教卓が開いてるので、そこで数学の問題集をずっと解いてました。

そういう場所があったから、学校に行ってもう居場所があった、というか人と関わらないで1人でいられる場所があったというか、そういう存在?空間があったのが、学校生活で私が登校拒否にならなかった最大の理由なんじゃないかなって、今だから思いますね。

あと、ちょっと話がずれますけれど、
私の家は漫画を買っちゃいけなかったので、
そういうとこでしか漫画読めなかったっていうのもあって、
そういうところでジャンプを読んでマガジンを読んだりしていたのかもしれないですね。
そういうところに行かないと漫画が読めなかったんで、自宅で買っちゃいけなかったんですよね。
そういう側面もあったのかもしれないなと思いますね。

あと校風なんだか学校の教育方針なんだか知らないけど、あんまり勉強に関してうるさく言わなかったのか、成績さえちゃんと取ってれば文句を言われなかったのか何だかわからないけども、
記憶が一つあって、
英語が大嫌いだったんだけど、英語の授業の先生が•••女性の年配の先生なんだけども、
その先生が、やりたいことやらせてくれてたんですよ。
英語の時間に私ずっと数学の問題集を解いてたんですよね。数学が好きすぎて。
その当時の私は、数学の問題集はパズルのゲームブックみたいな感覚で、
あれ、パズルだと思ってたんで、ずっと数学の問題集解いてたんですよ。休憩時間も。
本当にだから英語の時間も、英語が嫌いだったから、数学の問題集をずっと解いてたんですよ。
でもそれを、辞めろって言わなかったんですよね、英語の先生が。
それをすごい尊重してくれてて、だから今考えると、あれって今、この令和の時代で言うならば、好きなものを伸ばす、
苦手なものよりも好きなもの、得意なものを伸ばすっていうことをしてくれてたんだな、って思って、

だから、数学の点数と英語の点数、
定期テストの点数は最大で80点の差がついたことがあって、
英語が10点で数学が90点とか、
そんくらいの差がついたことがあって、
でも、学校の成績の付け方が、全部の科目の成績を足して割って平均値で判断してくれたもんだから、
英語が10点で数学を90点でも、平均すれば真ん中、みたいな、そういう計算の仕方だったんですよね。
私あの当時、理系の科目と文系科目を足して2で割って卒業できるぐらいのレベルになっていたような記憶があります。

そういう環境だったから、
あの時代に結構好きなことをお延ばし2月なことをしてるっていうことを選択させてもらえてたんだなって今思って
あの学校に行ってたから私登校拒否にならなかったんだ卒業できたんだなって本正直本当に思ってますね。確かにうん。

私の記憶が正しければ、高校1年生のときの教科書を高3まで使ってたんですよね、確か。高校2年生から理系クラスと文系クラスにわかれるんですよ、今こういう分けかたってしないと思うんですけども、
あの当時は理系の学校に行く子は理系のクラスに行って、文系の学校ね進学する子は文系のクラスって別れているたんです。
高校1年で終わったときに、理系に行ったもんだから、文系の科目はほとんどなくなって、
高校1年ときの教科書を使ってやってたりして、たぶん私にはぴったりだった、あのスタンス、すごい居心地がよく、私にとって良い環境だったんじゃないかなと思っています。

ちょっとあやふやな記憶ですが
高校1年ときの国語の教科書を高3まで使ってた記憶がありますね。
もちろん理系の科目はバチバチやってましたけど。
でも基本的に私、エスカレーター校にいたから、
これはもう親の意向で、親がバレエをやらせたかったから、受験をさせたくなくて親が頑張って働いて入れてくれたんですよ。
別に我が家は普通の家庭なんでね。お金持ちでもないわけです。
だからそういう環境だったから、たまたま好きなこともさせてもらえてたし、受験もなかったし、勉強もゆるかったし、予備校も通ったことないし。
そういうありがたい環境でのびのびと育ってこれたんだな、あの学校だったから大丈夫だった、さらにいうなら、親が学校を選択してくれてたからよかったんだと思っています。
今だから思う、わかることってありますよね。

だから、学校へ行く行かない、必要ある必要ない、オンラインで勉強できるからそれで足りるんじゃないかっていう議論とか、話はわからないんです。

だけど、私は、学校以外に、ずっとバレエやっていたから、習い事やってたから、学校てそんなに重要じゃなくて。
私の社会性を築いたところ、基盤っていうのは学校とかではなく、絶対バレエの世界なんで、
子供の頃から大人の世界、組織みたいなところにいて、いろいろし、大人の言葉で、大人としてルールを教えられたり、礼儀を教えられたりしてたことが、
私の基盤になっていて、学校で何かをする前に、それができていて、
学校が必要か?必要じゃないか?はわからないけども、何か、人の中に身を置く、集団の中に身を置くっていうのは必要なんじゃないかなっていうのは思っています。

もちろん、いじめとか派閥とかグループとか、そういうのもあったしね、それはどこの世界でもあるし、学校だけじゃないし、たぶん会社でもね、大人の社会でもあるし、だから逆に考えると、勉強が自宅でできるから学校がいる?いらない?とか云々よりも、学校とかじゃなくても集団の中に身を置く、
そして何かわからないけど、そういう派閥とか嫌な思いとか、楽しい思いとかを、その中でする時間は必要なんじゃないかなとは思いますね。

ということで、ちょっと長く喋っちゃいましたね。もうこのへんでササッと辞めます。
ありがとうございます。いしわたり ようこでした。

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