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白井聡「武器としての『資本論』」③

今日も引き続き白井聡さんの「武器としての『資本論』」を紹介していきます。今日は「テクノロジーはなぜ人を幸せにしないのか」というテーマです。

馬車の時代から車になり、紙の時代からパソコンになり、パソコンの時代からスマホになり、どんどんテクノロジーは進化しているのに、一向に仕事は楽にならないのは、なんだか不思議ではないですか。この本にはその答えも書かれています。なぜなら、テクノロジーは人を幸せにするためではなく、資本の自己増殖を加速させるためのものだからです。

パソコンがない時代には何か報告書のようなものを作るにもいちいち手書きしなければならず、かなり時間が掛かったはずです。そして、資料も紙媒体で保管されているので、探すのに一々手間がかかったはずです。しかし、今はWordがあればタイピングでサクサク資料が作れますし、欲しい資料も電子化されているので、検索をかければすぐに見つかります。どうでしょう、昔よりもかかる時間は十分の一近くになったのではないでしょうか。その事により、人々は創出された時間を好きな事や愛する人との時間に使い幸せになりました、めでたしめでたし、とは全くなっていません。なにより過労死する人も絶えていません。

紙の時代にとある会社がパソコンを導入すれば、他の会社と同じ時間で何十倍もの仕事ができるので、その分だけ儲ける事ができます。つまり、そこで資本が増加します。しかし、やがてパソコンが浸透していくにつれて、その優位性も消えていきます。最後には、みんながパソコンを使って忙しく仕事をしている光景が残るだけです。
携帯電話もそうじゃないでしょうか。そんなものがない時代は、職場を一歩出たら自由の身だったはずです。携帯電話が普及していない時代に導入した会社は、いつでもスピーディに密に情報のやり取りができるので、他の会社よりも優位に立てていたはずです。しかし、どの会社持つようになればその優位性も崩れて、そして家に帰っても、休日でも、いつ仕事の電話がかかってくるか、ビクビクしなければならない、そんなストレス一杯の状況しか残りません。

テクノロジーの世界では、最新の技術をより早く取り入れたもん勝ちです。なぜなら、ぼやぼやしているとみんながそのテクノロジーを使い始めて陳腐化するからです。だから、法人、個人を問わずに儲けてやろうという人は、最新のテクノロジーにアンテナをビンビン張っているのです。

話が脱線しましたが、そもそもテクノロジーによる生産性の向上とは、単位時間あたりの仕事量を増やす事です。しかし、テクノロジーが普及すれば、結局みんな同じ量の作業をやる事になりますので、お給料は上がる事はありません。なので作業一つ一つの労働の価値が下がった、という事だけが残ります。
昔は報告書一枚作るだけで時給千円貰えていたのが、今はパソコンがあるから十枚作らなければならず、みんなも同じように十枚作るから、時給千円は変わらないまま。つまり、報告書一枚作るという労働の価値が下がっただけ、という事です。

それだけならまだいいのですが、いくらパソコン使ったからといって、今まで手書きで一時間一個の報告書を作っていたのを、パソコンで十個作ったら、それは後者の作業負担の方が大きいです。なので、テクノロジーが進化していっても、給料が上がらずに、ただしんどさだけが増していくのです。今の人が昔の人と比べてゆとりが無いのは、ある意味当然の帰結なのです。そして、この流れは資本主義が続く限り歩みを止める事はありません。

以下、「武器としての『資本論』」より抜粋しました。
資本主義以前の時代にも技術革新はありましたけれども、ペースが全然違います。なぜ、そうなるでしょうか。正解は「資本は相対剰余価値の生産を追求するから」です。「イノベーション」問いう言葉は、マルクスの用語で言えば、「特別剰余価値」の獲得を指します。要するにそれは、高まった生産力で商品を廉売することによって得られる利益です。しかし、それで得られる剰余価値は、あくまで期限付きのものです。なぜなら、同業他社がすぐに模倣してくるからです。

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