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解散前、最後のシングルの肩透かし感

このコラムではこれまで銀蝿一家を好意的な内容で書いてきた。その数26記事。我ながらよくここまで続いたものだと感心するが、今回のコラムはあえて否定的なことを書こうと思う。否定的な記事を書くのは初めての試みだ。

今日書こうと思っているのは、簡単に言えば不満であり、当時なんでだろう?と不思議に感じていたことだ。けしてこのコラムに悪意はない。好きだからこそ当時納得いかなかったと言ったら分かりやすいかもしれない。

前置きがダラダラと長くなっているのは、ここで不満をぶちまけることに少し緊張しているのかもしれない。ここで引っ張っても仕方ない。さっさと本題に入ろう。

今回のテーマは、ずばり「哀愁のワインディングロード」はラストシングルとして有りだったのか?だ。当時中学生だったオレにとって大好きなアーティストの解散は初めての経験だった。だから、ラストシングルがどんな風になるのかは未知の世界であったが、実際に「哀愁のワインディングロード」が発売されて正直残念に思ったということをここで告白する。

なぜ、残念に思ったのか。「哀愁のワインディングロード」という楽曲自体が残念だったわけではない。けれどもこのシングル盤にはがっかりした思いが強かった。シンプルに言うと、ラストシングルってこんなものなんだ?というのが感想だった。

まずジャケットがいけてなかった。これは最後のシングルだ。例えば過去のジャケット写真やアーティスト写真のコラージュしたものはありがちだけど今までの総決算としてはありだったと思う。けれど、このシングルのために撮った写真なのか分からないようなメンバーの顔を4つ並べただけで、その写真の下に大きなロゴ。さらには曲のタイトルもありきたりなフォントでとにかくあっさりとしてしまっているのだ。

曲名のデザインだけを見てみても、過去のシングルでシンプルなフォントとデザインだったのは「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」と「ツッパリHigh School Rock'n Roll(試験編)」だけだ。それ以外はその曲名のためにデザインされた独自のフォントやデザインだった。さらには「お前サラサラサーファーガール おいらテカテカロックンローラー」以降は赤や水色のカラーも配色されていた。

この「哀愁のワインディングロード」の味気ないデザインの下地にはグレーのストライプが入っていた。このストライプがいっそうに味気なさを強調していたように思う。そう、このシングル盤はとにかく味気なく、解散前に無理矢理もう一枚シングルを作った突貫作業感が溢れてしまっていたのだ。

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今の時代だったらデジパックや、特典映像の付いたBOX的なものが存在するが、この時代はまだシングルレコード盤700円の時代だ。特殊なパッケージなどは期待できない頃の話である。でも記憶が正しければこの「哀愁のワインディングロード」はいけてないジャケが一枚ペラで入っていただけだったような気がする。それはさすがに味気なさすぎる。

このシングル盤に入っている曲に目を向けてみると、A面の「哀愁のワインディングロード」は、恋人と失恋したストーリーのラブソングだ。別れた恋人を忘れられない内容なのだが、もしかしたらその恋人は横浜銀蝿のファンのことを遠回しに言っているのかもしれない。そうとも取れる。そう考えると、解散前のセンチメンタルな気持ちを表したかったのかもしれない。しかし、それは深読みしすぎで単なる失恋ソングに聞こえてしまうのは残念ではある。


  涙 止まらない・・・・・・
  時は戻れない
  思い出は帰らない(だけど)
  いまはさびしさを
  かみしめる事が
  やさしさと知ったから・・・・・・

  そして たどりついた浜辺
  今でもわからない
  雨にけむった
  哀愁ワインディング・ロード


タイトルに「哀愁(わかれ)」と入っているのでラストシングルとしては間違ってはいないのかもしれない。もしかしたら、ストレートなお別れの歌にはしたくなかったとも考えられる。しかし、この曲が最後のシングルカットだというのは銀蝿らしさがないように思うのだ。ただひとつ、翔くんの絞り出すような声のボーカルはとても聞き応えがあり印象的ではある。

そして、個人的にこのシングル盤で一番納得いかなかったのはB面の「スイート・リトル・キッス」だ。もはや何について歌っているのか、歌詞が心に響くことはなく内容を調べる気にもならない。え?これが最後の最後の曲なの?と完全な肩透かし状態だ。例えば、先日発売された「ぶっちぎりアゲイン」のラストの曲「Again」のような魂のこもったタイプの曲かつ歌詞がストレートで分かりやすいもので締めてくれていたら、この肩透かし感は全くなかったように思う。あの当時なら「アイ・メイク・ユー」でも良かった。曲が終わった時に余韻として残る名曲で締めて欲しかった。「スイート・リトル・キッス」には残念ながら終わった後の余韻が全くないのだ。

恋した瞬間を歌にしたような歌詞で、詞も曲も悪くはない。しかしずば抜けていい部分は残念ながら何もない。これが活動最後の楽曲と呼ぶには寂しすぎる内容だ。

これは完全に個人の好みの問題なのではあるのだが、最後のシングルA面は「あせかきベソかきRock'n Roll Run」や「銀ばるRock'n Roll」のような後期銀蝿を象徴するファンへのメッセージ性があり、聞いてる者を元気にさせるロックンロールで笑ってお別れするようなナンバーがよかったと思っている。そしてB面はしっとりと、翔くんのザラついた声がずっとループしそうなエンディングの「アイ・メイク・ユー」でよかったのではないかと思ってしまう。

もしかしたら、もうこの時にはすでに横浜銀蝿の中には曲のストックがなくなり、ネタ切れだったのではないか?とさえ思えてくる。ファンを驚かせ、喜ばせるだけの余力がなかったように感じる。それともすでに燃え尽きてしまっていたのかもしれない。しかしながら、とにかくどんな形でもいいから最後にもう一枚!と絞り出してくれたのであればありがたいが、正直満足するにはほど遠く、虚しさだけが残る作品となってしまった。

バンドというのは生き物で、調子がいい時もあれば絶不調の時も必ずある。最後の最後に銀蝿らしさが薄く、味気ない作品を作ってしまったことは残念でならない。そう考えると解散ライブの最後の曲が「横須賀Baby」でファンと一緒に大合唱できたのは良かったエンディングだとは思う。思い入れのあるアーティストとの別れは、メンバーとファンが別れを共有できた方がいいに決まっている。あの時ファンは銀蝿と一緒に散りたかったはずだ。銀蝿が勝手に散っていくのを傍観して終わるのは悲しすぎる。先日のコラムでも書いたが、この終わり方が解散したあの時に忘れ物として残されたような不完全燃焼を感じた要因のひとつなんじゃないかと思う。



このコラムを書くために、改めて「哀愁のワインディングロード」と「スイート・リトル・キッス」を何度も何度も聞き直してみたけれど、やはりラストシングルとしてのインパクトは見つからなかった。

ひたすら「哀愁のワインディングロード」に対しての不満をぶつけてしまったが、あの時の肩透かし感は本当に残念だったし、復活してくれた今だからこそ笑って話せる話だと思って書いてみた。想像とはまったく違ったあっさり感で活動を終えてしまったあの時の横浜銀蝿。今回の期間限定の活動では、あの時の忘れ物は全て回収して、ファンもメンバーも笑顔で散れることを願っている。


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