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【笑って散る】横浜銀蝿40th総括〜全ての夢を叶えてくれたオリジナルメンバー

この2年間どのくらいのお金と時間と想いを費やしたのだろうか。そしてその何倍ものプレゼントを横浜銀蝿40thからいただいた。全ては思い出としてオレの宝物であり、この先の人生の友として師匠としてそばに寄り添ってくれるはずなのだ。横浜銀蝿40thの結成を知ってから活動停止までの845日間。横浜銀蝿40th、さらには銀蝿一家の音楽を聴いて、夢のような時間を過ごしてきた。その夢の時間もいよいよ終わりが近づいてきた。このコラムの最終回として横浜銀蝿40thの活動を振り返りたい。

大阪に住む友達からLINEで「やばい!Johnny復活やで!」と連絡がきたのは2019年の9月9日。まさかと思ってオフィシャルサイトへ飛んでみると、そこにはJohnnyを含めた4人のオリジナルメンバーの写真が。

信じられなかった…
あれだけ参加を拒んでいたはずのJohnnyがメンバーとして写っているのだから。冷静になってオフィシャルサイトを読み進めてみると、2020年の1年間限定での活動ということだった。あの時はまだ単なる同窓会的な復活なのかなと思っていた。まさか横浜銀蝿40thがここまでシャカリキになって活動し、日本中の横浜銀蝿ファンを歓喜させてくれるなんてことは想像できていなかった。

中学生だったあの当時はファンクラブに入るお金もなく、どうやったら入会できるのかも分かっていなかったから入会していない。ライブも行けてないからグッズも購入できていない。あるのは地元で売っていたパチもののステッカーばかりだった。

好きだ、ファンだと言いながら、当時のオレは横浜銀蝿に何も貢献できていなかった。ただひたすらに横浜銀蝿の曲を聴いていただけだ。学校内で一番横浜銀蝿のことが好きだというしょうもない自負があったが所詮その程度のものだった。最後の新宿コマ劇場にも行ってないからあの時しっかりとお別れもできていない。

そんなことを大人になったオレはずっと後悔していた。できればあの青春時代をもう一度やり直したいと思ってきた。あれだけ憧れて夢中になれたのは横浜銀蝿が最初だった。そう、横浜銀蝿はオレの全てにおいての初期衝動だ。そんな横浜銀蝿に何もできていないまま大人になっている自分はこれを一生後悔して生きていくんだと思っていた。

それがまさかのオリジナルメンバーでの復活だ。青春時代の象徴が帰ってくるのだ。このニュースを知った瞬間オレの頭の中では二つの約束事が生まれた。「できることは全てやる」「笑って散る」このふたつをオレは横浜銀蝿40th結成を機に決めたことだった。もう後悔するのは嫌だった。

ファンクラブの会員証が届いた時は震えた。あの時出来なかった夢がひとつ叶ったのだ。ファンクラブの会報も毎回楽しみであの茶色い「フォーティーズ」の封筒が届くのをワクワクしながら待っていた。誕生日に届く直筆のサインも我が家の家宝だ。活動期間が1年延びたおかげで2種類のサインをいただけたのはラッキーだった。

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ライブチケットのファンクラブの会員先行は必ず当たるというのは置いといて…やっぱりいい席が当たりやすいのもありがたかった。40thのライブでは2回最前列を引き当てた。ただ個人的には、前じゃなくてもいいから端っこだけはやめてもらいたいタイプなんだが、残念なことに何度か端っこが当たってしまった。Zepp東京のファイナルはどうしても端っこが嫌でチケットを買い直して真ん中を取ったりしていた。そして何より肝心な銀蝿一家祭が端っこという泣きたくなるほど悲しいことがついに先日起きたところだ。

ファンクラブのイベントは2回。1回目が川崎クラブチッタでのファンクラブ発足記念ライブ。これが生まれて初めての生銀蝿。Johnnyのいるオリジナルメンバーのライブが見れるだなんて。ここでまたひとつ夢が叶ったわけだ。でも実はこのライブ、あまり期待はしていなかった。Johnnyはブランクがあったし、他のバンドでも再結成のライブで良かったことがあまりなかったからだ。

この川崎クラブチッタは学生時代にライブでステージに立ったり、その後仕事でも何度か使わせてもらった会場で、自分が立ったあのステージに銀蝿のオリジナルメンバーが立って演奏しているのを見るのは不思議な気持ちになった。もちろんバンドを組んだのも仕事も横浜銀蝿の影響を受けて始めたものだったから余計に感慨深いものがあった。

この日のライブは動く銀蠅を見れただけで感動だった。曲数は少なかったけれど、ヒットナンバー連発でかなり充実のライブだった。「お前サラサラサーファーガール おいらテカテカロックンローラー 」のイントロのJohnnyのアルペジオを聞いた時の感動は今でもはっきり覚えている。Johnnyには若干のブランクを感じた部分はあったけれど、想像していた以上に銀蝿のライブは熱く興奮させられた。まだこのライブの時は声を出しての声援ができていた。この後いろいろな意味で想定外のことが起こる2年間になるとはまだこの時は知る由もなかった。

ライブの帰りに夢見心地でふわふわした状態で自転車に乗りながら「この想いを何か形にはできないだろうか…」と結果的にこのコラムを書き始めるという副産物もあり、オレにとってあのライブは本当に記念碑的なライブとなった。

ファンクラブ『フォーティース』発足記念集会 
~Johnny All Right~ #CDJ決定!でもやっぱ最初はお前らに会いたいからね2019フライング編 2019年12月2日 川崎クラブチッタ
セットリスト

1.ぶっちぎりロックンロール
2.羯徒毘路薫'狼流
3.男の勲章
4.ツッパリhigh schoolロックンロール(登校編)
5.お前サラサラサーファーガールおいらテカテカロックンローラー
6.だからいつものロックンロール
アンコール
7.横須賀Baby

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2回目のファンクラブイベントは横浜市教育会館。川崎もそうだったが、ライブの前に1時間程のトークがあった。トークよりライブでいっぱい曲やって欲しいタイプだが、銀蝿に限ってはトークがとにかく面白いから時間はあっという間だった。そしてなにより聖地である横浜市教育会館に行けたことが嬉しかった。想像ではホールのような造りだと思っていたが、実際の教育会館は小ぶりな体育館のような感じだった。ここで銀蝿を見れたことはまた記念になった。


ファンクラブ限定イベント 新・東海道三次『横浜大名行列』
2021年9月20日 横浜市教育会館
セットリスト

1.Pappaparira Partyだ!
2.土曜の夜だぜ!
3.羯徒毘路薫'狼流
4.雨の湘南通り
5.哀愁のワインディングロード
6.ツッパリHigh School Rock'n Roll(在宅自粛編)
7.男の勲章
8.銀ばるRock'n Roll
アンコール
9.横須賀Baby


40thは新作リリース前後にプロモーションでラジオによく出ていた。全部は追いかけられなかったが地方のラジオまで聞くことができた。今はradikoやリスラジで全国どこの放送局も聞けるという便利なことも学んだ。中学生の頃、関西地域のMBSラジオで放送されていた「ミュージックマガジン」での嵐さんのDJをなんとか聞けないものかとラジオのアンテナを家の外まで延長させて悪戦苦闘していた時代が懐かしい。

エフエム戸塚で毎週放送している「大ちゃん歌さんの人生楽しみま翔」では、翔くんに相談に乗ってもらったり、翔くんの直筆サイン入りポストカードが当たったりした。昔からハガキが読まれたりプレゼントが当ったことのない人だったので嬉しかった。ポストカードは部屋にしっかり飾ってある。もちろんこの番組は40thの活動が終わってもずっと聞き続けるつもりだ。

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マリンFMで放送中の「サタデーナイトメーカー」に翔くんがゲストに出た時は横浜のハンマーヘッドのサテライトスタジオまで行ってみた。憧れの翔くんに初対面し「青くてごめん。です!」とご挨拶させていただいた。「おー、いつもありがとな!」と翔くんに言われ感激。中学生の時に憧れた人に40年近く経って実際に会えるだなんて考えたこともなかった。サインまで頂いて、生きていて本当に良かったと思えた瞬間だった。これは夢が叶ったというよりも、夢にも思ったことがない出来事が起きた一生の思い出。

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リリースものもしっかりと出してくれた40th。アルバム2枚はどちらも良かったが、やはり最初の「ぶっちぎりアゲイン」がオリジナルメンバーとして最初の作品だったので印象深い。どの曲もいいものが揃っているが、特に「Johnny All Right!」と「Again」が好きだ。曲に関しては過去にコラムで書いているので割愛するが、「Again」は当時の解散ライブから今に至るまでの歌詞というのが自分にとっては大きくて、この曲が聴けただけでも横浜銀蝿40thが活動を始めた意義があるとすら思っている。

シングルとしてリリースされた「昭和火の玉ボーイ」には無限の可能性をを感じて、これは紅白歌合戦出場も夢じゃないんじゃないか?と真剣に思えた。曲の痛快さ、歌詞の面白さ、MVでのメンバーの振り切れ具合。何もかもが最高で、令和の時代に昭和のスーパーバンドが見せた渾身の一発だった。まぁ結局は紅白歌合戦には出場出来なかったし、そこまでの大きなうねりを作り出せなかったのは、オレたちファンの力不足もあるので少し悔いが残る。

個人的に期待を大きく上回る出来だったのが、「横浜銀蝿40th ぶっちぎり大投票 みんなで決める銀蝿ベストテン」だった。これはファンが選んだ曲の人気ベスト10の曲をスタジオライブレコーディングしたアルバムだ。ほぼ一発録りで行われたというこのスタジオライブ。聞く限りではオーバーダビングされた部分は見当たらない。本当に限りなく一発録りに近いものだったと思う。当初、選曲には若干不満もあったオレだが出来は抜群だった。音質がいいのはもちろん、加えてライブ感もしっかりあってたまらなく好きなアルバムとなった。右のスピーカーからはJohnny、左のスピーカーからは翔くんのギターが流れて、どちらがどのフレーズを弾いているのか注目して聴くのも楽しかった。

ライブDVDは、ライブは良かったのになぜかDVDで見るとあの熱さが込み上げてこないのが不思議。やはり生のライブに敵うものはないのか。実際のライブでも感じだことだが、とにかくメンバーが楽しそうに演っている。見ているこちらももちろん楽しいが、なによりメンバー本人たちが楽しんで演っていることが嬉しい。40thの活動が終わったら、何かあるたびにこのDVDを見て元気をもらうことになるだろう。

中学生だったあの頃はお金がないから全ての音源は集められなかった。だから今回の40thでは必ず全てをコンプリートすると決めていた。グッズも欲しいものは全て集められた。やはり子供の頃とは違って好きなものに好きなだけお金がかけられたというのは、本当にこのタイミングだったからこそで、改めて40thが活動してくれたことに感謝しかない。

40thにのめり込むと同時に、弟分を含めた過去の銀蝿一家の音源もこの2年はよく聴いた。今更ながら持ってないアルバムを買ったりしてかなり充実した銀蝿一家ライフだったといえる。特に紅麗威は本当に良くて、今後ライブがあるなら必ず行きたいバンドのひとつとなった。

ライブでは「これはもちろんやるだろう」と思った曲は全部やってくれた。昔の曲も結構やってくれたのも嬉しかった。個人的に生で聴きたいなと思っていた曲の中で残念ながらやってもらえなかったのは「アイ・メイク・ユー」と「のれのれRock'n Roll」の2曲だけだ。それ以外は全てやってくれたからこれはもう十分な満足度だ。

ベストライブというと選べないのだが、やはりファイナルの神奈川県民ホールでのライブは特別でとても心に残っている。Johnnyもこのライブがベストライブと言っていたが、とにかく会場の一体感は抜群だったように思う。ライブ中、この2年間の様々な思い出が込み上げてきて涙がこぼれた。

ファイナル以外だと秩父での番外編のライブと渋谷公会堂のライブも良かった。そう考えるとバハハ〜イ集会はとても良くできたツアーでセットリストも完璧だったんだなと今改めて思う。

ライブもまた当時は経験できていなかったから40thではできるだけ参加してきた。今年の有給は40thのライブに使うというのを基本線としていて、実際Zeppツアーでは地方にも行けた。しかし、ファイナルツアーがあれだけ細かく地方を廻ってくれるとは思っていなかったので、有給が足りず東京近郊しか行けなかったのは無念ではある。しかし、あの当時には想像でしか楽しめることの出来なかった横浜銀蝿オリジナルメンバーでのライブをこれだけ沢山堪能できたことは一生の思い出となったことは間違いない。

そして、最後の最後に40thはとんでもないものをおまけとして用意してくれていた。銀蝿一家祭だ。40th活動の最後におまけとしては盛大すぎて豪華すぎるものを見せてくれて本当に感謝している。白い衣装に白いストラトキャスターの白いJohnnyは中学生の時に死ぬほど憧れたものだが、まさか白いJohnnyを生で体感できる日がくるだなんて。そしてあれだけの弟分妹分が集まってくれて、銀蝿一家の結束を見せつけてくれた。弟分妹分を見たいと思っていた夢も次々実現していったこの銀蝿一家祭は本当に感動したし、感動の余韻はしばらく続きそうだ。なにより銀蝿一家祭に参加したいと強く思っていた長年の夢が叶って、もうこれ以上はない経験ができた。これも横浜銀蝿40thがなかったら実現しなかったのかもしれない…と思うとつくづく40thの活動は偉大なものだったと思う。

この後、横浜銀蝿40th ファイナルカウントダウンライブ『ゆくじぇい くるじぇい 配信だじぇい』で最後のお別れとなるが、最後に横浜銀蝿40thがどんなメッセージを残して去っていくのか楽しみにしている。新宿コマの「散る」の時と違って、配信ながらも最後の瞬間を見届けることができる。40th結成を知った時、心に決めた「笑って散る」を実行する時がきた。幸せだったこの2年の夢の時間をくれた横浜銀蝿40thに感謝をして、心を込めて笑顔でお別れする時がきたのだ。

というわけで、長々と横浜銀蝿40thの活動の思い出を振り返ってみたけれど、本当に悔いの残らない素晴らしい2年間だった。「やりたいことは全部やる」という精神のもと、最後までやり遂げられたことに満足している。元々アクティブなタイプではあったが、この歳になってもなおこれだけアクティブに動けたことはシンプルに嬉しい。今後これだけ動けることはなかなか無いのではないだろうか。

この2年間は日々常に40thを聞いて、40thがいつもそばにいてくれた。そのおかげで40thが存在していることが当たり前のように感じてしまっていたのだが、40thはまもなく存在しなくなるのだ。まだ実感は湧いていないが、2022年になったと同時に活動を停止するのだ。

心の底から楽しかった。
もうこの一言に尽きるのである。コロナの影響でいろいろ待たされたり、嫌なことも多かったけれど、結果的には2年間横浜銀蝿40thを楽しめたことはありがたかった。この歳になってこれほど夢中にさせてくれたことに感謝している。

Johnnyが再び表舞台に立つと決めてくれたから今がある。Johnnyが復帰しなかったら何もなかったのである。だから、Johnnyには感謝してもしきれない。おかげで本当に楽しかった。もちろんJohnnyだけではなく、翔くんもTAKUも嵐さんもAtsushiくんにも本当に感謝している。

中学生時代にいろいろな宝物をもらい、この歳になるまで大切にしてきた青春の宝箱。この2年間でさらにたくさんの宝物をもらってもう宝箱はパンパンに膨れ上がっている。あの頃に体感できなかった青春の忘れ物を全て回収させてくれた横浜銀蝿40th。死ぬほど会いたかったオリジナルメンバーに会えて、聴きたくてしょうがなかった曲たちを聴けて、想像の世界だったものを全て現実として見せてくれて、夢の全てを実現してくれた横浜銀蝿40th。

夢のような楽しい時間はもう終わる。
けれど、パンパンに膨れ上がった宝箱は一生大切にする。たくさんのプレゼントをもらい、悔いの残らない2年間を過ごさせてもらった。後悔することも思い残すこともない。こんな青春の続きがあるだなんて想像もしていなかった。最後、もし笑顔でバハハ〜イと散っていけたなら本当に嬉しい。横浜銀蝿40thが叶えてくれた夢の全てを、そしてこの2年間の奇跡を生涯忘れることはないだろう。

ありがとうございました、横浜銀蝿40th!
さようなら、横浜銀蝿40th!


【あとがき】
おかげさまでこの銀蝿一家考察コラムも横浜銀蝿40thが活動している間書き続けることができました。最終的に67のコラムを書いたわけですが、読んでいただいた皆さんありがとうございました。

初めて見た40thのライブに触発されて、最初は自分以外の誰かが読んでくれることは想定せず、単なる独り言として始まったのがこのコラムでした。僅かながらも読んでくれる人が現れて、最終的に読んでいただけた数が本日53000回を越えました。「コラム楽しみにしてます」と言われて嬉しかったあの感情は忘れることはないでしょう。このコラムを通じて出会えた人にも感謝しています。そして、翔くんが「いいね」を押してくれたあのドキドキした感激も一生の思い出です。

実は昨日、初めてのコラムからちょうど2年が経ちました。まさに40thと共に歩き続けてきた2年となります。ただ書きたいことを書いているだけのこんなコラムに付き合ってくれた皆さんには本当に感謝しています。書くテーマを考え、テーマに関する曲を聴き込み、実際にコラムを書くという作業は非常に楽しく、おかげで曲の細部や歌詞の深さに気づかされたり、当時の時代背景を改めて考察できたたりしてとても意義のあるものでした。コラムを書くことでさらに銀蝿一家のことが好きになったのも事実です。時には書くことに夢中になり、気づいたら朝になっていた…なんてこともありました。そこまで夢中になれたのも、読んでくれる皆さんがいたからこそ。

このコラムは今回で終わりますが、銀蝿一家への情熱は死ぬまで変わらない自信があります。それは読んでいる皆さんも同じことでしょう。これからもこの2年間に手にした様々な感動を忘れずに生きていきます。皆さんもお元気で。
銀ばるっきゃない!

it's only Rock'n Roll
Special thanks to 横浜銀蝿40th

青くてごめん。



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