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1000枚限定 紅麗威「1965」雑感

ずっと聴きたくて探していた紅麗威のアルバム「1965」。1000枚限定だったようでどこにも売っていなかったが、ようやくネット通販で購入することができた。まだ聴き込んではいないため深いレビューはできないが、とにかく内容が良かったのでレビューせずにはいられないため急遽アルバムを通しての雑感として書いてみたい。

この作品は6曲入りなのでミニアルバムとなるのだろうか。既にダウンロード配信で2曲購入していたので初めて聴く新曲は4曲となる。

アルバムを通しての感想を一言で言うとめちゃくちゃいい!しかし、紅麗威甦を含む彼らの作品の中で一番いいかと聞かれたらそれはまた違う。ではイマイチなのかというとそんなことはない。めちゃくちゃいいのは確かだ。

なぜ、こうも歯切れが悪い感想かと言うと、一番の理由はやはり曲数が少ないということがある。曲数的に言ったら倍の数は聞きたかったというのが正直なところだ。内容がいいだけにもっと多くの曲を聞きたかったのだ。

また、手放しで大絶賛できない大きな理由として、この作品は紅麗威甦ではなく紅麗威としてのアルバムということ。紅麗威甦を期待して聴くとちょっと肩透かしを喰らうような内容だと思う。結果的にはこれが良かったのだが、最初に聴いた時はちょっと戸惑いを覚えた。

紅麗威甦が活動を休止したのが1984年。それから26年後の2010年に杉本哲太を除く桃太郎、ミッツ、リーの3人で紅麗威として再び活動を始めてこの作品「1965」が発売された。さらにそこからちょうど10年経った2020年にオレがこの「1965」を購入した。

紅麗威甦から26年経ってからの紅麗威のこの「1965」は、紅麗威であって紅麗威甦ではないというのが聴いてみての最初の印象だ。あの当時とは全く違うバンドといってもいいかもしれない。正直言って最初戸惑うくらいに紅麗威甦ではなかったのだ。しかし、それは当然のことで、あれから26年経っているのだ。あの当時と同じことをするために再結成したわけではないのだろう。あの当時を焼き直すわけではなく、26年経ってからこのメンバーで何ができるのか?新しい景色が見たかったのではないだろうか。そんな想いが歌詞のあちらこちらに見てとれる。

しかしメンバーの中で、何をやるかは明確ではなかったような気がする。特に曲的にはまずは3人で集まってみて音を鳴らしてみようというところからスタートしたように感じる。曲調がバラエティにとんでいるといえば聞こえはいいが、とにかく何曲か作ってみて、その中で出来がいいものをチョイスしたという印象だ。曲のメロディーやサウンドは明確に決まっていなかったかもしれないが、歌詞に関してはテーマが明確に決まっていたように思う。メンバー3人は1965年生まれでこの時45歳。身体にムチ打って無理矢理ロックンロールするぜ!というような年齢に負けない俺達というのがテーマな気がする。心もカラダもなかなか思うようにはいかなくなったが四十代だからこその感情を歌にした世界観がそこにはある。

このアルバムのクレジットを見てまず目に留まるのは松野陽介という名前だ。調べてみたがいまいち詳細が分からない。今は趣味でギターを弾いているようで音楽の仕事はしていないようだ。なぜ、彼がこのアルバムに登場したのか分からないが、とにかく彼の存在なくしてこのアルバムは完成していないだろう。そのくらいの高い貢献度で明らかにこの作品の中心人物なのだ。クレジットを見てみると、作曲が3曲、編曲は全6曲、楽器はギター、ベース、プログラミング、そしてバックコーラス、さらにはサウンドプロデュースも彼が行なっている。この松野陽介さんが何者か分からないのが残念だが、この人がいなければこのアルバムは製作すら叶わなかったのは間違いないだろう。

そして、この松野陽介さんと並びこのアルバムで驚くほど中心的な仕事をしているのがギターのリーだ。紅麗威甦時代は作詞作曲ではほとんど表に出ることはなかったが、この26年の間にクリエイティブな部分の成長がかなりあったのだろう。全6曲のうち、作詞が5曲、作曲が3曲だ。アルバム最後に収録されているのが「桃子の唄」のニューアレンジなので、このアルバムのために作られた新曲は5曲ということを考えると全ての曲にリーと松野陽介さんがタッチしていることになる。おそらくこのアルバムは松野陽介さんとリーで最初の大枠は作られたものと見ていいだろう。

紅麗威甦時代には桃太郎の作詞やミッツの作曲が数多く存在したことを考えると、リーと松野陽介さんのコンビでのこのアルバムはやはり紅麗威甦とは全く別物。紅麗威として独自のサウンド構築を目指していたことが明らかだ。

要するに、このアルバムは紅麗威のアルバムであり、紅麗威甦の焼き直しではないのだ。最初にも言ったが紅麗威甦の26年ぶりの新譜だと思って聴くと少し戸惑うことになる。オレもそうだった。しかし、聴けば聴くほど馴染んでくるのが分かる。ボーカルが桃太郎なので馴染むのに時間はかからなかった。個人的には3回ほど聴くとかなりいいアルバムであることを実感できた。その桃太郎のボーカルは、紅麗威甦の時の若々しく荒削りな歌とも違う、BLACK SATANでの情熱的で激情型の歌とも違う。歌い方がマイルドになり自然体な歌い方となっている。どの歌い方も好きだが、このアルバムでの自然な歌い方もまた好感がもてる。

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アルバムと呼ぶには曲が少なすぎるがまずは収録曲をざっと見てみよう。


  1.プルトップに指をかけ
   -Growing Up! Day By Day-
  2.1965
  3.ROCK'N'ROLLでmanshinsoui
  4.逃亡者
  5.四十の幻想
  6.桃子の唄 (Unforgettable Melody)

各曲に軽く触れてみる。アルバムタイトルナンバーの「1965」。おそらくこの曲をアルバムの中心として作成されたのだろう。1965年生まれの桃太郎、リー、ミッツがこの時に言いたかったことが全てこの曲に詰まっているように思う。


  1965

    (Come on Come on)
  HEY YEAH! 65'
  紅く燃えたぎれ
  HEY YEAH! 奮い立て
  麗しく吠えろ

  人生振り返っている場合じゃねえぜ
  次のステージ躊躇する暇はねえぜ
  怯むこともねえぜ 恥じることもねえぜ
  突き抜けろ 俺達の威厳をしるせ
 

    (Breaking through that!)
  HEY YEAH! 65'
  ぶちまけろここで
  HEY YEAH! つかみ獲れ
  最後まで遂げろ

  まわりばっかり
  気にしてる場合じゃねえぜ
  小さなプライド
  しがみついてんじゃねえぜ
  焦ることもねえぜ へこむこともねえぜ
  立ち上がれ 蹴り飛ばせ 今だ目覚めろ

    (Breaking through that!)
  HEY YEAH! 65'
  Never Look Back On The Ground
  HEY YEAH! How Does It Feel?
  For Rich And Poor Ones


こうやって歌詞を書くとちょっと恥ずかしくなるようなストレートで熱い歌詞だ。この時紅麗威の3人が再び立ち上がる気持ちが込められている。THE CLASHを彷彿させるようなポップな曲調のこの曲では新たに紅麗威をスタートさせる宣言ソングのようだ。

「ROCK'N'ROLLでmanshinsoui」は、紅麗威甦の最後のアルバム「ヨ・ロ・シ・ク四」に収録の「デイトは お・あ・ず・け」の間奏で登場したラジオDJ風のナレーションを26年ぶりに復活させている。満身創痍ながらも気合いで無理矢理にロックンロールを鳴らすオヤジの痛快なコミカルソングという感じでゴキゲンだ。アラジンの「完全無欠のロックンローラー」やホタテマンの「ホタテのロックンロール」のパロディーが入っていてなかなか面白い。

続く「逃亡者」は曲調がガラリと変わり、非常に大人っぽいダーティーなロックンロールナンバーだ。ミッツのベースラインが異常にかっこいい。紅麗威甦時代にはなかった大人の雰囲気がたまらない。こういう曲を演奏することで、26年が経って大人になった彼らが再始動する意味があるというものだ。紅麗威甦では出せなかったダーティーな部分が表現されている。

「プルトップに指をかけ」と「四十の幻想」については過去にコラムで触れているので今日は割愛するが、過去のコラムでも書いたようにこの2曲の完成度はかなり高い。特に「プルトップに指をかけ」は本当にいい曲だ。アルバムからシングルカットするとしたら断然この曲がシングルカットされるだろう。そういう位置にいる曲だ。



最後にアルバムラストに収録された 「桃子の唄」に触れておこう。これが今日のコラムで一番伝えたかった曲だ。この曲だけでひとつコラムを書きたいほどだが既に「桃子の唄」ではコラムを書いているのでそれはやめておく。

再録された「桃子の唄」。この曲のためにこのCDを探していたといっても過言じゃないほどこの曲を聴きたかった。原曲とは全く違うアレンジで演奏されるこのバージョン。最初聴いた瞬間からグッときたが、さらに歌詞カードを読みながら、アレンジにも注目して改めて聴くたびにぐっさりと心につき刺さってきた。恥ずかしながら少し涙が出た。

ゆったりとしたアコースティックな「桃子の唄」。スティールギターやおそらくエレキのウッドベース、ストリングスでちょっとハワイアンのようなのんびりした演奏にこれでもかというほど丁寧に想いを伝えるように歌う桃太郎の歌。痺れた。

紅麗威甦が活動停止して26年が経って大人になった桃太郎、ミッツ、リーが奏でる「桃子の唄」には、この26年を噛みしめながら、大切な思い出の曲を心を込めて作り上げている。そんな気持ちが痛いほど伝わってくるのだ。

オレも歳を取ったし、桃くんたちも歳を取った。お互い後悔するような人生ではなかったはずだけど、こうやって振り返ってみると、懐かしさだけでは語れない、なんとも言えない気持ちになる。楽しかったことだけじゃなく、悲しかったことや寂しかったこと、喜びと切なさが交差するような不思議な感覚だ。

この曲のタイトルにはサブタイトルとして(Unforgettable Melody)と名前がついている。Unforgettable を調べてみると、忘れられない/いつまでも記憶に残る/思い出の。という意味がある。このサブタイトルに「桃子の唄」へのメンバーの想いの強さを感じる。よっぽど大事な歌だったのだなあと今更ながら感じた。オレたちにとってもずっと大切な曲だったけど、桃くんたち本人にとってはそんなもんじゃない。それがわかって流れた涙の意味が少し分かった気がする。

このとんでもなく優しい「桃子の唄」に感情が持っていかれた。そこにあるのはただただ優しい桃太郎の声だけだ。大人のバラードだなんて一言で言ってしまうと安くなる。大人になって大切な宝箱を開けてみた桃太郎、ミッツ、リーから、あの頃を忘れられないオレたちへの粋なプレゼントだ。メンバーとファンが長年の思いを共有した瞬間だ。そのくらいこの曲の存在意義は高い。めちゃくちゃ高い。そりゃ泣くさ。

あの当時、銀蝿一家に夢中になっていた人で、この曲を聴いて心が揺さぶられない人なんているのだろうか? そのくらい感傷的かつ優しい気持ちになる素晴らしいアレンジだ。こんなにも優しい曲に出会えたことに感謝しかない。「おれにはちょっとすぎたお前さ♪」と歌う桃太郎の優しい声が本当に心に刺さる。間違いなくオレはこの曲が一生好きなんだろうと確信する。サブタイトルの通りいつまでも記憶に残る名曲として一日に何度もこの曲をリピートしてしまう。あの頃を思い出しながら。

6曲しかない。しかもこれ以降10年新曲は出ていない紅麗威。このアルバムが発売された時オレは銀蝿一家から離れていてしまっていて活動を追いかけていなかったからリアルタイムでこの作品を楽しめていない。追いかけていたら当然ライブにも行ったことだろう。それが出来ていないのは残念だし悔いが残る。この先紅麗威が一切活動をしてくれなかったら悲しすぎる。横浜銀蝿が40thとして再活動している今だからこそ、紅麗威にも活動をしてもらいたいと切に思うわけである。

  立ち止まればそこまでだと
  夢中であがいた過去
  悩み落ち込む時でさえ
  わずかな誇りを忘れず…

  願いを込め All For A Reason, Baby
  ときめくまま Rock'n Roll Baby
  勇気をくれた想いを抱きしめて
  力強く唄うさ

この「プルトップに指をかけ-Growing Up! Day By Day-」の歌詞のように、紅麗威のメンバーにもいろいろと葛藤もあったことだろう。しかし、まだ燃え尽きていないという強い思いがあってこのアルバムを制作したことがうかがえる。この時の感情が今でもメンバーの中に強く残っていることを強く願う。

紅麗威甦ではない紅麗威としてのアルバムがこんなにも心に響くだなんて正直驚いている。そのくらいこの「1965 」はいい。なぜこのアルバムが心に響くのか?それは等身大の紅麗威の気持ちをストレートに表現したからだろう。それが聴くものの心を捉えて離さない。紅麗威甦から26年経った紅麗威の等身大な気持ち。それを聴くオレたちも同じだけ時間が経っているのだ。だから共感できないわけがないのだ。

聴くのが10年も遅れてごめんと3人には謝りたい気分だが、次どんな形でも紅麗威が活動するならば、オレはできることはなんでもやるつもりでいる。そのくらいこのアルバムは心に響いたし、この景色を今度はリアルタイムで体感したい。早く帰ってきておくれよ。五十代でもなお満身創痍ながらも音をかき鳴らす三人に会いたい。また活動してくれることをオレは信じている。「紅く燃え、麗しく吠え、俺達の威厳をしるせ!」という反骨心が今もなお3人の中に燃えたぎっているならば、その時はどこへでも駆けつける。オレたちの熱い夏はまだ終わっていない。

it's only Rock'n Roll





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