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  幼なじみ

キツイ日々だった。

どうしたらいいのか分からくて、だからと云って今もまだ、そのキツさは川底を、見え隠れしながら時折チラッと気配を見せている。

そんな中で、今日も私は生きている。



「真麻、歩くの早い」

「あ、ごめん鈴」

私は立ち止まり友達が追いつくのを待った。

息をハアハアさせて鈴が来た。


「真麻は最近、以前にも増して歩くスピードが早くなったね、何かあったでしょう?」

「う……ん、そうねぇ、あったかな」

曖昧に私は答える。

そんなことで怒る鈴ではないことを知っているから。

「だと思った。変だったもの、このところずっと。訊いても云わないことが分かっていたから黙ってたけど」


「ごめん鈴」

そう云って私は頭を下げる。

本当に申し訳ないと思う。

「真麻の性格はある程度は知ってるから」

そう云って鈴は笑ってくれる。

彼女の笑顔は私の救いだ。


「で、それはもう解決済みなの?」

「そう信じたいと思ってる」

鈴は頷き、私の手を取った。

「行こう!信号が点滅してる」


私たちは急いで横断歩道を渡った。

渡り切ったところに目的のお店があった。

「ここだわ。入ろう」

鈴が顔を輝かせる。


最近、オープンした焼肉屋さん。

かなりの評判で連日混んでいる。

店内に入ると霧がかかったように煙で白っぽい。

今どき珍しいと思った。


「あの、予約した……」鈴が話そうとしたら

「はい、こちらへどうぞ!」

威勢のいい店員さんに席に案内された。

私たちはその席に着き、早速コートを抜いでハンガーにかけた。

それでも臭いが付くのは覚悟して服を選んで来ている。


店員さんがオーダーを取りに来た。

鈴はテキパキと注文をする。

一通り注文してから、

「真麻、飲み物は何にする、お酒にする?」

「今夜は止めとく。そうだなぁ。あ、珍しいくルイボスティがあるからこれにする」

それを訊いて鈴が生ビールとルイボスティをオーダーした。


店員さんが居なくなって直ぐに、

「ルイボスティがいいの?あれはエグミが強くない?」

鈴にそう訊かれた。

「強いね。でもそのエグミを体が欲してる時があるのよ」

私の返事に鈴は妙に感心している。


「飲み物です!生ビールとルイボスティになります」

私たちは『乾杯』の代わりに『スランジバール』と云うことにしている。

BARを舞台にしたマンガで使われているから。

意味は……確か『お互いの健康の為に』

だったかなぁ?

うろ覚えだけど、そんな様な意味だったと思う。


お肉が運ばれて来た。

2人で網に乗せる。

「ここのタン、いいね」焼きながら私が云うと、鈴は嬉しそうな表情で、

「でしょう!真麻がタン好きだから、絶対に気に入ると思ったんだ。良かった」


焼き上がったタンの上に、細かく刻まれたネギを乗せて、サンチュで巻くと、

私は塩ダレが好きだから、少しだけ付けて口に運ぶ。

「うん!タンの厚みがちょうどいいし、新鮮なのも分かるし。鈴、美味しいここの!」


「へへ〜ん!」鈴が満足そうな顔を見せた。

鈴は生ビールをゴクッと呑むと、

「何でも訊くよ、真麻がよければ」

そう云った。


「うん、ありがとう。上手く伝わるか、自信がないけど……まぁ、人間関係よ。よくある話しでしょう?」

「よくあるかどうかは、聞いてみないと分からないわよ」

鈴が、辛口のタレにお肉を付ける。


「そうだよね。え〜と、自己防衛のためには、人を疑うことも重要である」

「うん」

鈴はお肉を頬張りながら訊いている。


「自分を信じてあげることは、かなり大切なことである。おしまい」

「ん〜ん、ん?」

「アハハ、鈴いいから飲み込んでよ」


鈴はビールを流し込んむと、

「おしまいなの?」

「そう、それだけのことだったんだと思う」

「真麻とは、付き合いが長い私だけど、さすがにこれだけだと難しいかも」


「でも、そうなのよ」

鈴は私のことを黙って見ている。

そしてカルビを焼き始めた。私がこれ以上は何も話さないことを鈴は理解したからだった。


その後は、ひたすら食べ続けた。

鈴と他愛ない会話をしながら。

私は久しぶりによく笑った。本当に久しぶりに。

『笑う』とは、このことなんだな。

大袈裟に聞こえるかも知れないけど、私の忘れていた“楽しい”という感情を掘り起こしてくれた時間だった。


鈴とは帰る方向が逆なので、お店の前で、

お互いに手を振って別れた。


私は鈴のことを信頼している。けれど……

私は自分の悩みを人に相談出来ないのだ。

中学の時、親友だと思っていた子に、話しを聞いてもらったことがあった。

「分かった。安心して。誰にも話さないから」


翌日、学校に行ったらクラス中に知れ渡っていた。

……そのことがあって以来、私はどんなに苦しくても一人で抱えることにしたのだ。




「今夜も少し蒸し暑いな。スプリングコートは要らなかったかも知れない」

季節は春から初夏へと、確実に変化をしているのが分かる。


新緑の季節が、直ぐそこまで来ていた。

自然界の淡々とした流れが、今の自分を癒してくれる気がする。

私がどんなに嘆こうが、苦しもうが、絶望の手前まで行こうが、自然は自分のやるべきことを、ただ進めるてるけだ。


その、『淡々と』が、今の私に一番、欠けているのかも知れない。

「それと、ジャイアンツの選手だったあの、

長嶋茂雄さんがよく言葉にしていた、

『平常心』。これも欠けているよね」


そう思ったところで、私は自分の頭を拳で、コツンと叩いた。

「またやってる。自分に無いことを数えるより、自分に有ることを数えましょう、真麻さん。最近読んだ本に書いてあったでしょ!」

苦笑しながら、私は駅の改札を通った。




翌朝、いつも通りに起きて直ぐ、メールのチェックをした。

以前は眠りが浅く、メールの届くチリン、といった小さな音で目が覚めていた。

けれど最近では全く覚めたくなった。

自分では、それ程深く寝ている感じはないのだけれど。


「うん、誰からも来てないな。さて今日の土曜日は、どう過ごそう」

部屋の中を見廻す。

「……掃除、だよね、何はともあれ掃除だ」

私は掃除が苦手だ。ハッキリ云って、かなり嫌いだ。


「でも、週に一度くらいはしないといけないよね、だって隅にホコリが溜まり始めているし」

ため息と共に掃除機を玄関脇のクローゼットから出して、ため息と共に床に掃除機をかける。


どうせやるんだから、少しは明るくやりたい。

毎回そう思うけど、今のところは無理である。ダラダラとキッチンも片付ける。

それでも何とか掃除は終了するものだ。


その時、私のスマホに着信があった。

私は咄嗟に身構える。

     《出たく無い!》

縮こまった心が叫ぶ!


でも……もしも友達からだったら?

会社の人からだったら?

家族からだとしたら。

そう思い、スマホを手に取ることになる。


やはり登録されていない番号からだ。

出ないでいると、いつまでも鳴り続ける。

ゆっくり耳に当てる。


《ウフフ コンニチハ》

……。

《モシモーシ マアササン キコエテルヨネ》

……。

《シカト デスカ ソレモ イイデショウ》

……。


《キテルンデショウ?》

《カクシテモ バレバレデスヨ》


「……いつも云ってますが、ここには来てません」

《ウソダネ ウソツキハ ドロボウノ ハジマリ ダヨ マアササン》

「嘘なんかじゃないって、いつも云ってます。

いい加減にしないと、私も考えますよ」


《アラ コンドハ オドシデスカ?》

「私は本気です!」

そう云って電話を切った。


 《まだ、終わっていなかった……》


冷蔵庫から出した、冷えたレモン水を喉に流す。


彼女はいつも、自分の声を耳触りな機械音に変えて電話をかけてくる。

自分の正体が、私にバレていることを知っているにも関わらず。


嫌がらせの為に、そんな工作をする彼女は、私の幼なじみであり、以前、私の恋人だった彼と結婚した女性だ。


そしてその彼も、私と彼女の幼なじみだ。


彼女  高岡 愛弓

彼   坂下 卓也


卓也と交際している時から、愛弓が私から彼を奪うことを考えいるのは感じていた。

愛弓は女友達の間では、『養殖鰤(ぶり)』と呼ばれる程の、むかしで言う、『ぶりっ子』である。


持って産まれた、年齢不詳の可愛さを持つ女性のことを、『天然鰤』


作られた可愛さの女性を、『養殖鰤』


私が以前に在籍していた会社で、この呼び方を知った時、考えた人は天才ではないか?とまで私は感嘆した。



女という生き物は、この天然か養殖かを、見破ることが出来る。

しかし男は、この2種類の『鰤』を見分けることが難しいらしい。


不思議だけど私が知っている男性は、全員がそうであった。

一緒にテレビを観ている時が分かりやすい。


私からすれば、『なに?この養殖』と、嫌悪感を抱く女がテレビに出ている時にも、

『可愛いなぁ』と、男は本気でそう云うのだ。


信じられずに思わず訊いてしまった。

『本気で可愛いと思った?』と。

男達は、『うん、可愛いと思う』

と、真面目に答える。


私が知ってる限り、男性の、ほぼ100%が、

《作っている可愛さ》を見抜けない。

異性からは評判がいい、けれど同性からは、嫌われている女性。


だって女には分かってしまうから。

『天然』か『養殖』か。


そして愛弓の思惑通りに卓也は私と別れ、彼女と交際を始めて、スピード結婚した。

けれど……。

愛弓の余りの嫉妬深さが怖くなった卓也は、家を出て行った。


それからと言うもの愛弓は卓也が、私のところに戻ったという思い込みで頭がいっぱいになった。

いくら私が違うと云っても愛弓は信じようとはしないのだ。


そのことを知った卓也は彼女に何度も何度も『違う!』と云ったが、暴走し出した愛弓の妄想は止まらず、以来ずっと私に電話をかけてくるようになった。


いくら着信拒否の設定をしても無駄だった。

一体いくつの携帯を持っているのか。

この状態が2か月続いている。

踏ん張ってはいるけれど、私はもう心身共にボロボロだった。



私はベッドに倒れるように転がった。

今の私は、睡眠薬を服用しないと眠れなくなっている。

だからメールの音に起こされることは無くなったのだ。


薬を服用して感じたのは、眠れたからといっても目覚めた時の爽快感はない、ということだ。

イメージしていた睡眠薬は、グッスリ眠れて、起きた時には『よく寝たー』と、そう思えるのだと想像していたけれど。


やはり薬なのだ。無理に眠らされた感じがする。

不自然にな睡眠、それが感想だ。

けれど一睡も出来ないよりは、人工的な眠りでも助かる。


そして、私は愛弓と直に合って話しをすることに決めた。



愛弓は離婚の経験があるバツ1だ。

『寂から来て欲しい』

愛弓からの電話で私は彼女のマンションへ行ったことがあった。


会って少し驚いたのは、電話での沈んだ声とは違い、愛弓はかなり元気だったことだ。

「真麻よく来てくれたわ。早く入って」

居間に行くと、そこにはワインやウィスキーの空の瓶が幾つも転がっている。


「きゃあ!恥ずかしい!見られちゃった。

いま片づけるわ」

愛弓は空の瓶を何本も抱えて窓を開けて、ベランダに出た。


そこにはかなりの数の空瓶が、無造作に置かれてのが目に入った。

その中に床に転がっていた瓶も追加された。

「待たせてごめんね、いまコーヒーを入れてくるから」



「コーヒーは後でいいから愛弓も座って」

「は〜い」

愛弓は素直に私の前の椅子に座った。

「毎日、昼間から呑んでるの?」

「うん、呑むよ。だって独りきりで寂しいんだもん」

「……寂しいだろうと思う。思うけど酒に頼るのはよく無いよ。体に悪いだけじゃない。愛弓はますます寂しくなって、立ち上がれなくなるよ」


「フッ、知ったようなことを」

「えっ?なに?」

「真麻は結婚したこと無いでしょう。分かったようなことを云わないで」

……。

「夫にはね、愛人がいたの」

「愛人……」

「そうよ。私が病気で入院してた時、夫が来たわ」


「私は嬉しくて言葉を掛けようとしたら、そしたら、夫は愛人も連れてきてた」

「そんなことって……」

「そして、私のベッドに2人で座った。

夫と愛人はキスをして、そして……私の目の前で、セッ……」


愛弓はそこまで話すとキッチンに行って、

ワインとコップを持ってきた。

ドクドクとワインが注がれたカップを乱暴に掴み愛弓は体に流し込んだ。


ゴホゴホ、フゥ、ゴホ、ゴホ!

私はむせた愛弓の背中を摩りながら、自分が、何て声をかけたらいいのか、まるで分からなかった。

余りに信じられない愛弓の話しを私は、自分が、どう受け留めたらいいのか、本当に信じてもいいのか、それすらも決められずにいた。




ベッドに横たわる私の目に、天井から吊るしてあるライトが薄っすらと汚れているのが映った。

「来週は、これもキレイにしよう」

そう思っていた。




夜になって卓也から電話がかかってきた。

『もしもし真麻、俺だけど』

「うん、何か用?」

『気になってさ。まだ愛弓からの嫌がらせはあるの?』

「昼間にかかってきたよ、例の電話」

『やっぱり。アイツ、愛弓は変だよ。

俺はそう思ってる」


「私から離れて愛弓のところへ行ったアナタでしょ、信じられないの?」

『それは……本当に悪かったと思ってる。

真麻を傷つけて』

「それで、用件は?」

『離婚しようと思う。俺ももう耐えきれない。愛弓のDVに怯えながら暮らすこと』


DV?

「愛弓がアナタにDVを?」

『そうさ、それもほぼ毎日。仕事から帰ると愛弓は殴りかかってくる、蹴ったりもしてくる』

「卓也が何か悪いことしてるからじゃないの?」

『してないよ。真麻がそう思ってるなら誤解だ。俺は仕事を終えて真っ直ぐに帰宅してたよ』


「それなら何で愛弓が卓也に暴力を振るうわけ?」

『愛弓の頭の中は常に俺が浮気をしてるんじゃないか?それしか無いんだ。誓ってもいい。俺は浮気して無い』


卓也の話しを訊いていると、昼間思い出していた、離婚した元のご主人とのことが浮かんでくる。

『真麻?聞いてる?』

「聞いてる。卓也の好きにすればいいと思うよ。ただ離婚しても愛弓の私への猜疑心は消えないと思うと……」


『真麻の不安はよく分かる。だから一度、愛弓の実家へ行って、事情を両親に話してくる」

「うん。いい方向に向かうように願ってる」

『必ず愛弓が真麻に迷惑かけることが無いようにするから。あとちょっと待ってて。

遅くに電話して悪かったね。おやすみ』

「おやすみなさい」


電話を切ってから、私は今この段階で愛弓に会いにいくのは止めようと思った。




卓也は愛弓の両親に離婚することを伝えた。

愛弓の両親は卓也が詳しく話すと、まるで知っていたかのような反応だったそうだ。


数日後、愛弓と卓也は離婚した。


私たち3人は小学校は同じだけど、中学からは別の学校に進んだ。

私と卓也は公立中学に入った。

けれど学区の関係者で別の中学になった。

愛弓は私立の中学に進んだ。


愛弓は、この中学生の辺りから、話す内容や、行動が何か変に感じられるようになり、両親は悩んでいたらしい。

これといった原因は思い当たらなかったそうだ。

病院に連れて行くことも考えたが、世間からの目を気にして、病院の話しは立ち消えになったらしい。

心配だった娘が結婚出来たことを喜んでいたのだそうだ。

けれど離婚しすることになった。

両親は家に戻るよう、愛弓に話したが、彼女はそれを拒否した。

愛弓の実家は、かなり裕福な家庭だったので、彼女は一度も働いた経験はない。人との付き合いは極端に少ない暮らしをして来た。


『そのことも、娘を狭い世界に閉じ込める形になったのかも知れません。

素人のわたしには分かりませんが……。

ただ、あの時に世間の目などより娘のことを思えば、病院に連れて行くべきでした』


愛弓の父親は、そう話していたそうだ。


今回、愛弓は素直に実家へ戻った。

そして病院に行くことも拒むことはなかったらしい。

詳しい病名は訊いていない。

ただ、メンタル系の、つまり脳の病気だったようだ。

もしかしたら愛弓も自分のことで苦しんでいたのかも知れない。

私はそう思うようにした。


恵まれた容姿、育った家庭……愛弓はたくさんの幸せを自分が持っていることに気付いていなかったのかもしれない。


《もっともっと欲しい。あの人が持っているあれも私のものにしたい》


愛弓はたぶん、決して満たされることは無いのだろう。


《アレも欲しい。あの人が持ってる物の方が私のより素敵。だから欲しい。あっちのも。アッ、それも欲しい》


愛弓と卓也は私の幼なじみだ。




(ねぇ、プールに行こうよ)

(卓也の食べてるそれ、一口ちょうだい)

(寒いね〜、雪が降りそう)

(こんど、真麻の家に泊りに行ってもいい?)

(一緒に原宿に行ってみようよ!)

(あははは、変顔は止めてよ卓也、あははは)



「はい、もしもし」

「鈴、わたし」

「真麻、珍しいね、こんな時間にかけてくるなんて。11時になるよ、まだ寝ないの?私は夜更かしだから起きてるけど」

「……」

「真麻?どうかしたの?何かあった?」

「鈴……話しを聞いて欲しい」


「……もちろんいいよ。何でも何時間でも真麻の話しなら私は訊くよ」

「……ありがとう鈴……」

「お礼なんて水くさいなぁ。ハンカチとかフェスタオルは傍にある?」

「うん、あるよ」

「じゃあ、先ずは涙を拭いて、泣いてるんでしょう?」


「ん、泣いてる。さっきからずっと、泣いてる」

「泣きたいんだから、好きなだけ泣きなね真麻。私は朝までだって、話しを訊くから」

「うん……うん……そうする」

「時々は鼻もかむのだぞ」

「ふふ、はい、ちゃんと鼻もかみます」


ありがとう、鈴……。


この夜、私の心の扉は、ゆっくりと開いた。


    了




















































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