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お願いだから貸してくれ 4話



(お名前、木下右京さんと仰るんですか)

(はい。両親が2人共あの人気ドラマのファンなもので。全く人の気も知らないで。お恥ずかしいです)

(恥ずかしいですか? 私もあの
ドラマは好きで、毎週録画して観てます。杉下と木下。センスいい)

(センスいいって、変わってますね。山根さん)

(変人ですから私。あはは)

(お聞きしたいのですが、山根さんの、名前はなんて読むんですか?)

栞菜かんなです。読むの難しいですよね)

(でも、可愛いと思います)

(ありがとうございます。嬉しいです。木下さんは獣医学部なんですか)
(はい。子供の頃から動物が好きでした。それで)

(“動物のお医者さん”ですね)
(あの漫画、面白いですよね)
(はい。全巻持ってます。大好きだから)
(同じく。はははは)



「木下さん、家賃の滞納はないわよね」


「木下さんの家賃は、ご両親が毎回振り込んでますから。
彼がどうかしたんですか?」

「う〜ん」
川谷さんが難しい顔をしている。


「大学に行ってないみたいなの」

「行ってない」

「そう。それに同じマンションの人たちも、ずっと見掛けないし、階下の人も、両隣りの人も、何の音も聞こえて来ないって云うのよ」


林さんが、オヤツのプチシューを摘みながら、
「そんなもんじゃない。同じマンションに住んでいたって、顔も見たことが無い人っているもの」
と云った。


川谷さんは、考え込んでいるようだ。

「林さんの云ってることも、分かるんだけど、上の階に住んでる人の音って、たまに訊こえたりしないかな。ギシッとか。それで『居るんだ』って分かったり」


「私の家の上に住んでる人は、かなり大きなくしゃみを連発するから、
訊こえないと、逆に心配になりますね」

私の意見を訊いた、林さんと川谷さんは、笑いながら、
「花粉ね。間違いなく」


私が初めて木下さんと、会ってから、まだ半年も経っていない。

例の、名前の話しをした時だ。
木下さんが、ここでマンションの契約をした頃は、私はまだ、この不動産屋で働いてはいなかった。

あの日は、たまたま木下さんが、頂いたというGODIVAのチョコレートを持って、ここに立ち寄ったのだった。


甘い物が苦手なんですと云って、わざわざ届けに来てくれた。


「GODIVAのチョコレートなんて、高級なので、私も2、3回くらいしか食べたことが無いですよ。凄い物を頂いたちゃった」

と、そんなたわいも無い会話をしたくらいだ。


動物が好きで獣医学部で学んでいる木下さんに、いったい何があったのだろう。


「心配した学校側が、木下さんの携帯にかけたらしいんだけど、出なくて。それでご両親に連絡をしたらしいの」

「ご両親は、何て?」
林さんが、最後のプチシューを食べ終えると、川谷さんに尋ねた。


「心配はしてるみたいだけど、お父様が入院しているので、付き添っているお母様も簡単には来れないんですって」


「木下さんの実家は、遠いんですか」
空になったプチシューの容器を、林さんから受け取ると、私はゴミ箱に入れながら、そう訊いてみた。


「かなり遠いのよ。八丈島だもの」

「八丈島。それじゃあ簡単には、出て来れませんよね。ましてや、ご主人が入院してるなら、なおさら」


川谷さんは、そうなのよ、と云い、困った様子だ。


「ただ、お母様は、もう少し待ちたいと仰るの。あまり騒ぎになって欲しくないからって」


その時、裏口から社長が入って来た。

「だが、何かあってからでは遅いだろう。川谷くんと山根くん。明日彼の部屋の様子を見に行ってください」

「はい。分かりました」



「他人の部屋に、黙って入るのって、なんとなく嫌な感じがする。
仕方ないけど」

私は半額になっていた、お寿司を食べながら、不満と不安を口にした。


「まぁね。栞菜の気持ちは最もだけど、これも仕事の内だからな。仕方がないんじゃないか」

涼介は、ネギトロの軍艦巻きを、醤油につけて、ポイっと口に放り込んだ。


「あ、あ〜!」

「な、なんだよ。驚かせて」

「そのネギトロは、最後に食べようと、とっておいたのに」


涼介は、ニヤッと笑い、
「食べたい時に食べるのが、
美味しいの。残念でした」
と、憎まれ口をきく。


「いいわよ。なら、これは頂くわね」


「や、止めろ!穴子は僕の」

「ん〜美味しい」

「ヤな性格だな、栞菜は」

「どっちがよ」



私たちは、暫く黙って食べることにした。


「その大学生、何もなければいいな」

「うん……」


翌朝、1番で川谷さんと2人で、木下さんの住むマンションへと、車を走らせた。


「学生さんでマンションって、凄いですね」

「山根さんは、初めて行くんだったわね。マンションっていっても、3階建ての小さな建物なの」

「そうなんですか。安心しました」

「どうして山根さんが、安心するの?」

「ん〜。どうしてでしょう。
学生さんには、余り贅沢はして欲しくないのかも」


川谷さんは、クスッと笑った。

「何か変なこと云いましたか。忘れてください」


「笑ってごめんなさい。なんかね、それが山根さんの本心なら、何となく昔の、母親みたいだなって思ったの」


「昔の」

「そう。贅沢したいなら、自分で稼げるようになってからにしなさい。私の母のセリフだけどね」


「アハ。そうですね。なんとなく、分かります」


「さあ、着いたわ」
川谷さんは、マンション専用の駐車場で車を停めた。

私はドアを開け、表に出た。

「このマンションですか」

「そう。小さい建物でしょう?ここの3階に、木下さんが住んでる部屋があるの。
行きましょう」


「はい」

私は川谷さんの後に着いて、
マンションに入った。

「3階建てだから、エレベーターは、無いですね」

川谷さんは、頷き階段を昇り始めた。

結構、段差があるので、昇って行く内に、脚が疲れて来る。


「301号室。ここが木下さんの部屋よ。中に入るわね」


そう云うと、川谷さんは、持ってきた鍵を、鍵穴に入れて、左に回した。


カチッ


小さな音が、廊下に響く。

「何回入っても、気持ちのいいものじゃないわね。山根さんは初めてだから、緊張するでしょう」


「は、はい」


「私が居るから大丈夫。では入るわよ」


カーテンが閉まっているせいか、昼間なのに部屋は薄暗かった。


川谷さんが、壁のスイッチを押すと、パァッと部屋が明るさを取り戻した。


これだけでも、気持ちは、だいぶ違う。


部屋の印象は、男の子らしい感じはしたが、たいして、散らかってはいない。


木下さんは、案外、綺麗好きな性格なのかもしれないなと、私は思った。


川谷さんは、もう一つの部屋に入ろうとした。
だが、急に脚が止まった。


「川谷さん?」

振り返った川谷さんの、様子が変だ。

顔色も悪い。


「山根さんは、ここに居て」

「何でですか。私も行きます」


「だめ!」

その声に、私は一気に緊張感が、高まった。


「とにかく、そこに居てね」


訳が分からず、私は返事をするのも忘れていた。


チッチッチッ


目覚まし時計の秒針の音が、やけに大きく聴こえる。


川谷さんが、なかなか出て来ない。
隣の部屋は、どうなってるの。


まさか。

ううん。そんなはず無い。

木下さんは、そんなことを、するはずが無い。


だって憧れていた、動物のお医者さんが、すぐ近くまでやって来てるのだ。


自ら、命を断つようなこと。

木下さんは絶対にしない。


とにかく川谷さんが、中々戻らない理由を私は考えていたが、何も浮かばない。


川谷さん、私はもう限界です。
そっちに行きますから。

私は、隣りの部屋を覗いた。


「!!!」


「山根さん!来てはダメだと云ったでしょう」

どうしたんだろう。声が出て来ない。


私は、後退りした。


私と川谷さんが、目にしたことは。



「あれ?外の電気も点いてないや。栞菜は帰ってないのかな」


涼介はドアを開ける。
家中、真っ暗だ。
急いでキッチンへと向かう。


「キッチンも常夜灯すら、点いてない。キッチンだけじゃなく、家中が闇に飲み込まれているみたいだ」


栞菜の姿がない。

「栞菜?帰ってないの?」


そういえば、今日は姿を消した、大学生の部屋に行くと云ってたな。


嫌な予感がする。


「栞菜、栞菜。居るなら返事をしてくれ」


その時、窓の傍で座っている、月に照らされた、人間のシルエットが目に入った。

「栞菜、どうした。大丈夫か」


黙ったままの私に、涼介は近づいた。


私は床に座って、膝に顔を埋めていた。

涼介は私の隣に、座った。


「泣いてるの?何があったのか、話しは出来そうか?」


私は、ゆっくり顔を上げて、涼介のことを見た。

「今日、木下さんの部屋に入ったの。そしたら、そしたら」


「落ち着いて。ゆっくりでいいから」



川谷さんと私が見た光景は、異様だった。

【山根栞菜】
そう書かれた紙が、部屋中に
貼ってある。

あちこちに、私の名前が書いてある紙が、貼り付けてあったのだ。


何枚も何枚も。
それは貼られていた。
何枚も何枚も。

思い出した私は、涼介にしがみついた。


「よしよし。怖かったね。僕が、ここにいるよ。もう怖がらなくてもいいんだよ」

私は、いつまでも、涼介に抱き付いたままだった。


「あの日、木下さんは、山根くんに一目惚れしたんだろう」
社長は、そう云った。


「自分の気持ちを、どうしたらいいのか。彼は分からずに、栞菜の名前を書いた。
そして壁に貼ったんだろう」


「涼介、寒いよ」
私は云った。


涼介は、私を思い切り、抱きしめてくれた。


「木下くんは、もう直ぐ姿を見せるだろう。そんな気がする。だから安心していいんだよ、栞菜」



涼介の云う通りに、それから
2日後に、木下さんは、友人のところから、戻った。


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