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吊り橋を渡る

    “何かに呼ばれてる”

    僕はここ数年、ずっと
    そんな気がしている。

 

宿までの乗り換え駅で、僕と家内
は下車をして、コーヒーでも飲んで行こうと話した。


駅前にちょうど喫茶店があったので僕等は入ることにした。
店の中は、タイムスリップしたかのような、懐かしさに溢れている。


「落ち着くわね」
家内の日出子も居心地がいいらしい。
メニューを真剣に見ていた家内は
「私はブレンドとミックスサンドにするわ。小腹が空いちゃった」


メニューを受け取り僕が決める番だ。
「僕はアイスコーヒーとショートケーキにしよう」

ちょうど店員さんが来たので、僕は注文した。

「友樹さんは、甘い物が本当に好きね」

家内のいう通り僕は甘党だ。
年齢を考えると、気をつけないと、とは思っているが中々やめられない。

窓の外を見ると、さっきより曇っている。
降らないといいが。


僕ら夫婦は、一男一女を授かった。
二人とも結婚をしたので、夫婦で旅行をすることにしたのだ。


「私、ずっと泊まってみたかったの。
だから今から期待でワクワクしてる」

家内はランプの宿に憧れていたので、今回はそこを予約してある。


注文した品がテーブルに並ぶと早速、僕らは食べ始めた。

「コーヒーも美味しいけど、このミックスサンドもとっても美味しい」
家内は満足そうだ、良かった。

僕等はすっかり寛いでいたが、そろそろ電車の時間だ。


喫茶店を後にして、再び駅に戻ると、僕らが乗る電車が止まっている。

割と人が乗っていたが、僕と日出子は座ることが出来た。

電車はゆっくり発車。

窓の外には雑木林や原っぱが広がっている。

「あ、イノシシが走ってる!野生のイノシシ初めてみた」
興奮した家内が思わず大きな声を発した。

そんな日出子を可愛く思った。
そして1時間後、電車は目的の駅に到着。

宿に電話をして車で迎えに来てもらう。
バスなど通っていない。


15分後、ワゴン車が迎えに来た。

山の奥に入るにつれて、道は狭くなり、下を見れば崖で、かなりのスリルを味わった。

宿に到着。

受け付けで名前と住所を記入して、いよいよ僕等の部屋に向かう。

部屋のドアを開けると、畳が広がっていた。

想像していた以上に広い。

「失礼します」

宿の人がランプに火を灯しに来てくれた。

「ごゆっくりお寛ぎください。夕食は6時と7時になりますが、どちらにいたしましょう」

「7時でお願いします」

家内がそう伝えた。

宿の人が行ってしまうと家内は、

畳に寝転んだ。

僕も隣に寝転んだ。

僕も日出子もランプを見つめている。
時計もテレビもない。
非日常がここにはある。

「あまり混まない内に、お風呂に行きましょうか」
日出子がいう通りだ。
「そうだな。食事の前に入って来るか」


僕等は一応、入浴セットを用意して来た。

なにせランプの宿は初めてで、だから一応石鹸やシャンプー、バスタオル位は持って行くことにした。

日出子と男女別々のドアを開けて中に入った。

「風呂場もランプなんだな」

薄暗い中にも人が2人いるのは判る。
不思議な気持ちになったが、体も髪も洗い、湯船に入る。

薄暗さには人をリラックスさせる効果があるようだ。
日出子はどんな気持ちでいるのだろう。


その時、突然フラッシュバックに襲われた。

何十年も前の出来事が未だに僕を苦しめる。

忘れることなど無く、思い出すと心臓が鷲掴みされたように苦しくなる。

僕は湯船から上がりると狭い脱衣所で、急いで服を着てドアの外に出た。


日出子はもう部屋に戻っているのだろか。
少しの間、廊下で待ってみることにした。

ぼんやりと、窓からの景色を見る。

「あら、もしかして待っててくれたの?」
日出子が風呂場から出て来た。

「待ってたよ」
日出子は照れたような顔をして、
「ありがとう」
そう云った。

部屋に戻ると、幾らもしない内に、
夕食が運ばれて来た。
全部並べると、宿の人は、
「どうぞごゆっくりなさってください」

そう云うと部屋から出て行った。

「頂くとするか」

「私お腹がペコペコ」

では、いただきます。


「体に良さそうな料理だな」

「本当ね。このお豆腐、抹茶の味がする。美味しい」


「一品一品、手がかかってるのが判るわね」

「そうだな。鍋もそろそろ食べられるんじゃないか」

僕は鍋の蓋を開けてみた。

「豆乳のお鍋ね」
「さっきも云ったが体に良いものばかりだな」

「私たちの年齢には、ちょうどいいかもしれないわね」

「出来たらビールが飲みたいけど」

「缶ビールなら受け付けに行けば買えるみたいよ」

「う〜ん、やっぱり止めておこう」


「友樹さん、食事が済んだら外に出てみない」

「いいね、夜の散策か」


そして僕と日出子は宿の外に出た。

辺りは真っ暗で、何も見えない。


「友樹さん!空を見て!」

日出子の興奮した声に、思わず上を見上げた。

「うわ……」

「すごい……」

これだけの星空はプラネタリウムでしか見たことがない。

「ちょっと怖くないか」

「何故、怖いの?」

「見てはいけないものを、見てしまったみたいな。畏怖の念のような」

「あゝ、判る気がするわ」

「湯冷めをしたらいけないから、部屋に戻ろう。受け付けで缶ビールを買って」

「やっぱり呑むんじゃない」

そう云って日出子は笑った。

「私はお菓子を買って行くけど」

「あれ?ダイエットは?」

「暫く延期にします」


僕等は笑いながら宿に戻った。


テレビが無いのでやることといえば、スマホを弄るくらいだ。

日出子もお菓子をつまみながら、スマホで小説を読んでいる。

その晩は早く寝ることにした。


僕は睡眠導入剤を飲まないと眠れない。

もう何十年もずっと。


「友樹さん、友樹さん」

日出子の声で僕は目が覚めた。

「すごくうなされていたけど、大丈夫、友樹さん」

「あ、あゝ大丈夫だ」

「また……あの夢を見たんでしょう」

僕は目を閉じ、頷いた。

「友樹さん、私はずっと思っていたことがあるの」

僕は日出子の顔を見た。


「あんなことがあれば、誰だって記憶から消せはしない。そして人は簡単に『赦しなさい。そして忘れるの』と云う。だけど、犯人を赦すことなど出来ないと、私は思う」


日出子は泣きながら、続けた。

「友樹さんの妹さんが、まだ小学生の時に誘拐されて、その後、痛ましい姿で見つかったこと」

僕は黙って日出子の話しを訊いていた。


「犯人の中年男性は直ぐに捕まったけど、じゅうぶん過ぎるほど友樹さんのご家族は辛いのに、イタズラ電話がかかってきたり、誹謗中傷する手紙まで届いて。被害者の遺族なのに」


日出子は泣きじゃくっていた。


「日出子、ありがとう。もういいよ」


日出子は強く首を振った。

「一番友樹さんに伝えたいことをまだ話してない」

日出子は胸に手を当てて、呼吸を整えている。

「友樹さん、犯人を許さなくていいのよ。私は許さなければと、ずっと苦しんでいる姿を見て来た。
友樹さんにも幸せになる権利はある。だからもう赦さないとと自分を追い詰めるのはやめて欲しいの」


「赦さなくていい……」

「そう、私たちは生身の人間なの。神様じゃない。『赦しなさい』などと云う人たちは、地獄を経験したことがないから、そんなことが云えるんだと私は思ってる。偉人の他には」


「日出子……」

「ん、なぁに友樹さん」

「僕は犯人を憎んでる。どんなに時間が経っても。それが僕の本心なんだ」

「憎んでもいいのよ」

「憎んでもいい……赦せなくてもいい……」

僕は口に手を当てて、泣き続けた。

こんな夜更けに大声を出しそうだった。

日出子は僕の隣りに横になった。
そして僕の体を優しく摩ってくれた。

ずっと。ずっと。


いつの間にか、寝ていた。
目を覚ますと窓から陽が差し込めている。

「起きた?良かったら朝食前に、外の新鮮な空気を吸いに行かない?」

「そうだな、行こうか」


山にある宿だから、空気もかなり冷たく感じる。
それがとても気持ちがいい。

「友樹さん、あれを渡って見ましょうよ」


「僕が極度の高所恐怖症なのを日出子も知ってるだろ。無理だよ」

「大丈夫よ、私が支えているから。
絶対に大丈夫。私を信じて」


日出子はよほど渡りたいみたいだ。

「よし!行くぞ、絶対大丈夫!」

「そう大丈夫!さぁ行きましょう」
恐る恐る脚を橋に乗せる。

当たり前だがやはり揺れた。

「友樹さん、はい、渡りましょう」

僕はなるべく下を見ないようにして、橋の真ん中を歩く。

日出子が僕の腰に両手を当ててくれている。

僕は、スローペースながら、少しずつ前に進んでいる。

気がつくと橋のほぼ中間地点まで来ていた。


「友樹さんすごい!あと半分のところまで来たね」

日出子の嬉しそうな声が訊こえる。

あと半分だ、いくぞ!

僕はゴール目指して歩み出す。

見た目より揺れないのがありがたい。

そして遂に渡りきった。

「友樹さん、おめでとうございます」
日出子が拍手する。


「日出子が支えてくれたからだよ。
お陰様で、生まれて初めて吊り橋を渡れた」

笑顔で訊いてた日出子の表情が急に変わった。

カサッ

僕は音のする方を見た。

するとそこには


僕のことをジッと見ている鹿がいた。

少しの間、僕と鹿は見つめ合っていた。

  お兄ちゃん、幸せになってね。
  そしたら夕子は、すごく嬉しい。

夕子……。

そして鹿は山の中に消えた。

日出子はそっと僕と手を繋いだ。


僕を呼んだのはキミだったんだね、大事な夕子、僕の妹。

日出子は僕の顔を見て、優しく
微笑んでいた。


      了




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