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初 恋 ~あの頃の時間より~

    


「えっ、初恋の人?玲子の?」

「うん……」

「守山先生が……そうなんだ」


窓から5月の風が教室に入ってくる。

カーテンと戯れるように、初夏の匂いを連れて。


「それで、玲子はどうしたいの?」茜は続ける。

「それが……自分でも分からないの」

「それって、今でも守山先生が好きっ云う

ことなの?」

「本当に、自分で自分の気持ちがハッキリしなくて……幼かった頃に戻ってるだけなのか、それとも今の自分の気持ちなのか」


         ✴️✳️


「急に現れたんだものね。初恋の人が。

玲子が戸惑うの、分かるよ」

「ありがとう茜。でも気がつくと先生のことを目で追ってる私がいるの。これって何なんだろう」


「う〜ん。でも、それは自然なんじゃないかなぁ」

「そう?」

「うん、だって自分の初恋の相手だもの、特別な存在でしょう?私でもつい見ちゃうと思う」

「特別な存在かぁ」


「だからって、玲子がどうしたらいいのかは、分からないけど」


         ✴️✳️


私は途方に暮れていた。

毎日、どんな気持ちで過ごせばいいんだろう。


守山先生は予想通り生徒たちの人気者になった。

いつも生徒に囲まれている。

じゃあ、そんな光景を見て、私が不快かというと、全然そんなことはなかった。


焼きもちも感じない、これって私は守山先生に、恋愛感情を抱いてはいない、そういうことになるの?


でも、姉には守山先生の事は、絶対に話したくない!

この感情はなんなのだろう。

ライバル心?

姉には、もうご主人も子供もいるのだ。

その姉にライバル心を持つ必要などないはずなのに……。


         ✴️✳️

お昼になった。

最近は茜と2人で、食堂で食べる日が増えた。

パンと飲み物を買って、教室で食べるのも嫌いではない。

でも、温かい物を食べると気持ちが、ほっこりする。


それに、守山先生も食堂で食べているのが私は嬉しかった。

「ねぇ、玲子、やっぱり守山先生のことが好きなんじゃない?過去の気持ちではなく、今の玲子が」


茜がそう云った。


そうなのかな……

でも、もしそうであっても、じゃあ何をどうするというのだろう。

「茜なら、どうする?相手に自分の気持ちを伝える?」


「そうだなぁ、私なら黙っているかもしれない」

オムライスを食べる手を止めて茜が云う。

「私もそう、云えない。守山先生が困るだけだから」

「……辛いね」

茜の言葉に泣きそうになった。


         ✴️✳️


放課後、いつもは一緒に帰る茜が、急ぎの用事があるからと、先に帰った。

私は一人で教室を出た。

「長谷川さん」


私に声を掛けてきたのは、守山先生だった。

「は?、あ、はい」

声が、うわずってしまった。


「教室で長谷川さんのことを見た時、もしかして?そう思ったことがあって」

守山先生が真剣な顔で、そう云った。

私はただ黙って先生を見つめていた。


「長谷川さんは、あの小さかった『玲子ちゃん』?違うかな」

先生の問いに、私は“観念”した気持ちになった。

そして「はい、そうです先生」そう答えた。


守山先生は、パーッと、とびきりの笑顔になった。

「やっぱりそうかぁ、あの玲子ちゃんが高校生になったんだ」

「はい、私も驚きました。あの『お兄ちゃん』が、学校の先生になってたから」


「ハハハ、そうだよね」

「あの時は、父の勝手でアパートを出て行く事になって、すみませんでした」

「玲子ちゃんが謝ることはないよ。あの部屋に住んでたことは、僕にとっていい思い出なんだよ。楽しかった」


「私のこと、気にかけてくださったことが、嬉しかったです」

「そんな、堅苦しいこと言わなくていいんだから。玲子ちゃんは、なんていうか、親戚の姪っこみたいな感じだったな。可愛かったから、ついちょっかい出してしまって」


       ✴️✳️


「アイス、美味しかったです」

「そういえば、よく食べたよね。アイスクリーム。実は僕が好きで、いつも冷蔵庫にストックしてあったんだ」


「玲子ちゃんの、ご両親は元気ですか?」

「父は病気で他界しました。母はとても元気です」

「そうですか……お父さんは残念でしたね。帰るところ、呼び止めて悪かったね。でも玲子ちゃんだと分かってなんだかスッキリしたよ」


守山先生はそう云って笑った。


1人、歩きながら私は嬉しかった。

何故なら先生は姉のことは話題にしなかったから。

私は性格が悪いのかもしれない。

けれど、勉強が出来る姉からは、自慢話しを散々聞かされ、父もそんな姉を可愛がった。

私よりたくさん可愛いがられて姉は育った。


私も決して成績は悪い方ではなかったが、常に学年トップの姉の前では霞んでしまった。


それがどれだけ寂しかったか、父も姉も分からないだろう。


母は、そんな私のことを、可哀想に思ったのか、

「玲子、女の子はね、優しいことが1番なのよ。勉強も大事だけど、それ以上に性格がいい事の方がお母さんは大切だと思っているの」


よくこう云っていた。


「お母さん、ごめんね。わたし性格も良くないかもしれない」


         ✴️✳️


翌日、教室では数人で固まって何やら話していた。

こういう時は、間違いなく噂話だ。

「玲子、おはよう」

「茜、おはよう、いつもより早いね」


「うん、一本早いバスに乗れたの。それで玲子に話しがあるんだけど」

「話し?」

「そう、玲子に話した方がいいのか分からないんだけど。いずれは耳に入ってくると思うから、私から伝えた方がいいのかな、そう思って」


「なんだか聞くのが怖いな。でも確かに他の人より茜から聞いた方がいいよね」


そう云って、私は椅子に座った。

「あのね、守山先生のことなんだけど」

「うん」

「先生ね、結婚してたの」

「あぁ、そう……え、してたって過去形なの?」


茜は黙ってしまった。

「茜、どんなことでも大丈夫よ。私は訊けるから、気を使わなくていいよ」


「うん……。実は先生と奥さんには赤ちゃんがいたの。でも……2人とも今は居ない」

「居ない?離婚したっていうこと?」

「違うの、もう生きていないの」


         ✴️✳️


「……」

「奥さんが、育児ノイローゼになってしまって、赤ちゃんと心中したそうなの」


「心中した……」

「守山先生は、普段は育児に協力していたんだけど、仕事に出かけて、奥さんが、赤ちゃんと2人だけになると……辛かったみたいで」

「そんな……」


「守山先生も、ショックが大き過ぎて、引きこもっていたらしいの。何年も」


私は、守山先生にそういった辛い過去があったことは、もちろん知らない。

けれど自分だけ『好き』という事ばかり考えて心が揺れていたなんて。

「幸せ者だな、私は。我ながら呆れるわ」


日曜日、玲子は以前のアパートがあった場所に行ってみることにした。

父が他界したあと、あの土地は売却し、私と母は今の住まいに引っ越した。


「あの辺りもだいぶ開けただろうな。アパートはもう取り壊されて、住宅が建っているかもしれない」

電車の中で、そんなことを考えていたら、最寄り駅に到着した。


駅からは徒歩15分の場所にある。

当時からあったお店を、見ると懐かしくて私は嬉しくなった。

和菓子屋さんにお茶屋さん。

眼鏡屋さん、クリーニング屋さん、皆さん頑張っているなぁ。


         ✴️✳️


そして、アパートがあった場所に着いた。

やはり建物はもう無かった。

キレイに更地になっていた。


それでも私は満足だ。

確かにここで暮らしていた、その匂いのようなものが感じられたから。


こじんまりとした雑木林は残っていた。

「あれ?」

そこには見覚えのある人が、林の傍に立っていた。

「守山先生だ」

先生は目を閉じて、風で揺れる葉の音を聴いているようだ。


私は、黙って見ていることにした。

先生はどんな想いで此処へ来たのだろう。

木々の揺れる音。優しい葉の音。

それらを、どんな気持ちで感じているのだろう。


私はそう思ったら、涙が流れそうになった。

願うのは、守山先生が少しでも癒されることだけだ。


私は帰ることにした。

静かに来た道を戻ろうとした、その時

「長谷川さん?そうですよね?」

見つかってしまった!


仕方がない。私は先生の方を向いて、お辞儀をした。


「やっぱりそうだ。声をかけてくれたら、いいのに」

「あ、はい」

私は緊張気味に返事をした。

「それにしても驚いた。まさかここで会うなんて。長谷川さんは、よく来るの?」


「いえ、今日が初めてです」

「そっか。僕は今の学校で教師を務めるようになってから、この場所に来たのは3回目」

「何故、先生はこの場所に」


「懐かしくてね。長谷川さんのアパートに住んでいた頃は、本当に毎日が充実して、楽しかったんだ。それと……」



「もう知っていると思うけど、結婚してから辛いことがあってね。ようやくここまで立ち直れて教師を務めることが出来るようになった、その感謝の想いをこの風景に伝えたいから。大好きなんだ、ここが」


         ✴️✳️


私は先生に背を向けた。

泣くことを我慢できなくなったから。


「今のネット社会はすごいね。その人の過去など直ぐに分かってしまう」

「なんか、残酷な気がします」

私は涙を拭いて、先生の方を向いた。

守山先生は、優しい眼差しで私を見ていた。


「そろそろ帰ろうか。もうすぐ日が暮れる」

私は、頷いた。

すると守山先生が、こう云った。

「長谷川さん……いや、玲子ちゃん。僕はまた、人を愛してもいいのかな」


「お兄ちゃん、いいに決まってるよ。だって、いけない理由なんて、一つも見つからないもん」


「ありがとう、玲子ちゃん……」

お兄ちゃんの頬を涙がつたった。


その顔は、大学生だった頃の守山さんだった。

美しい夕焼けが、空一面に広がっていた。


      (完)















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