#あなたが戻る日
あの日も雨の夜でした。
あなたは、私の知らない遠くへ行ってしまいました。
あなたが今、いる場所は、寒くはないですか?
暑過ぎたりはしませんか?
あなたに逢いに行きたくても、そこは余りに遠過ぎて、飛行機でも行けないのです。
遠く遠く、空の彼方。
あの日から、今夜と同じ雨の夜は、私は一人で泣きました。
あなたの居ない、雨の夜。
もう慣れなくてはいけないと、頭で分かっているのに、やっぱり涙が出てしまいます。
両親は、実家に帰って来なさいと何度も云います。
いったい、何年経つと思ってるんだ。
父には、そう叱られます。
友達は、もう何も云わなくなりました。
諦めたのだと思っていました。
でも、違ったみたいです。
《あの子はもうダメだ。どうやら狂ってしまったらしい》
そう思ったから、何も云わなくなったみたいです。
☔️🎇
すごく愛した人を、ずっと想うということは、狂ったことに、なるのでしょうか。
あなたと暮らしたこの部屋を、私が出て行ってしまったら、あなたが戻って来た時に、帰る場所がなくなってしまう。
私は年に2回、あなたが遠くから、戻ってきた時に、迷わなくて済むようこの部屋にずっと居ることに決めたんです。
それを、狂っているというのなら、きっとそうなのでしょう。
窓から見えるこの風景が、あなたがとても好きだった。
特に今夜のような雨の日の、路面に移る信号の色が、取り分けあなたは好きでしたね。
『キレイだな』
独り言のように、呟いていた、あなたの横顔が好きでした。
今夜は私は泣かずに済んでいます。
一人で過ごす、雨の日に私が泣いてばかりいては、あなたが心配してしまうから、だから私は頑張ってるの。
あら?
いま母の声が聞こえたような。
ピンポーン ピンポーン
ウソ、だってもう10時を過ぎてる。
誰?
「開けなさい、起きてるんでしょう?」
やっぱりお母さんだ。
私は玄関ドアを、開けた。
すると、入ってきたのは父だった。
知らない人もズカズカと、勝手に部屋に入ってきた。
私は恐怖で体が震えた。
「驚かせてごめんね。でももう、こうでもしなと、あなたはここから出てはくれないでしょう?」
そう云いながら、お母さんは泣いている。
い、やだ、ここにいる。
父が私も睨む。
「いい加減にしないか!お前がこの部屋に居たところで、死んだ人間はもう帰ることはないのが分からないのか!」
父がそう怒鳴ると、一緒に入ってきた人達が、素早く部屋から荷物を持って外へと出て行く。
「怖がらなくても大丈夫よ。引っ越し屋さんだから」
お母さんが、私の背中を摩りながら、そう云った。
引っ越し?
私はここを出ていくの?
何で?
ねえ、何で?
「いやあああああ!」
お母さんが慌てて私を抱きしめた。
「いやだ、絶対に出ていかない。ずっとここに居る」
「もう、10年、あなたは一人でこの部屋に居たのよ?分かる?」
何年だろうが関係ない!
私がお婆さんになっても、この部屋に居るの。
☔️🎇
引っ越し屋さんが、次から次へと部屋の物を運び出す。
いやだよぉ……持っていかないで、ねえ、お願いだから……
お母さんに抱かれたままで、私は云い続けた。
涙が次々と流れてくる。
お母さんも泣き続けていた。
「終わりました」
その声に、私は部屋を見た。
何もかも、残っていなかった。
「よし、帰るぞ」
父が云う。
「さ、行きましょう、ね?」
お母さんもそう云う。
私は、力がなくなっていた。
お母さんに、支えられて、ようやく立つことが出来た。
「ゆっくりでいいからね」
お母さんは、そう云いながら、私の腕を持って、玄関まで連れ行った。
ドアから出る前に、私はもう一度、部屋を見た。
何も無い、その部屋の窓の外では、信号機が、赤く点滅していた。
「さ、行くわよ」
玄関から外に出た。
雨はまだ、静かに降っていた。
明日は、お彼岸の中日だ。
あなたが戻ってくる日なのに。
私が居なくなっていたら、あなたは困るでしょうに。
ごめんなさい、ごめんなさい、
待っててあげられなかったね。
誰も見ていない信号機が、青に変わった。
(完)
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