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他人の痛みだからこそ

音がしたのです。

目を閉じたまま聴いていました。

早朝の、雨の降る音です。

ついさっきまで黄金色の風景の中にいたというのに。

もう一度同じ風景に戻りたいです。

けれど、起きる時間が来てしまいました。

そう、仕事に行かないと。


私はお化粧をし、髪もブローし終えて、あとは服だけなのに決まらないのです。

10分後、ようやく着替えてキッチンへいきました。

「おはよう、お母さん」

洗い物をしている母の背中に声をかけた。


母は振り向き、私を見た。

そして哀しそうな瞳になった母は云った。

「聖香(せいか)、あなたはもう、会社に行かなくていいのよ」

「え……」

「聖香は体を壊したから、仕事を辞めたの」


「そうなんだ……わたし辞めたの、仕事」

母はゆっくりと頷く。

「私は病気になったの?」

「そうね……」

    何の病気?

 私はそう訊こうとしてやめた

訊いたら母が、泣いてしまう気ががした


「じゃあ服を着変えるね」

「そうね、ゆっくり休みなさい」

「そうする」

私は自分の部屋に戻ることにした。


    その時

【さっさと出来ないのか林、ホントにトロい奴だな!お前みたいのを

給料泥棒っていうんだ、わかってんのか】


 私は立ち止まってしまった

  頭が痛い、気持ちが悪い


 【林さん、これやっといて】

 【僕もお願いしてもいいかな】

【遠慮しなくていいのよ。ね?林さん、キャア!】


【ウエッ!コイツ吐きやがった】

【やだーー資料がダメになったじゃない】


【林、お前のせいだからな!全部やり直せよ】

【匂いがたまんねーな、帰ろうぜ】

【こっちまで気持ちが悪くなる】

もう……やめてください

やめ……

 助けてお母さん!お母さん

    ドタン!!


「聖香!大丈夫か、聖香!」

お父さんの声が聞こえた

「せい……聖香!」

今度はお母さんの声だ


私が、ゆっくり目を開くと、父も母もホッとして様子をみせた。

「ごめんなさい、お父さん、お母さん」

「聖香は謝ることなんて、これっぽっちも無いのよ」

「だって……心配かけて」

そう云うと私はまた目を閉じた。


とても優しい上司でした。

判らないことは、丁寧に教えてくれて、頼りになる人でした。

私の仕事を誉めてくれてました。



その上司が栄転になったのです。

喜ばしいことです。けれど……

上司がいなくなった途端に社内の人達はガラッと変わりました。

誰も私と仕事以外で会話する人が居なくなりました。

山のように仕事を押し付けられるようになり、私の睡眠時間は毎日

2時間くらいでした。食欲もなくなり、めまいが多くなりました。

新しい上司は、見て見ぬ振りに徹していました。


「聖香、また痩せたぞ。何かあるのなら俺には話して欲しい」

恋人の航は常に心配してくれていました。

けれど私は何も云わなかったのです。

「降って来たね」

「もうすぐクリスマスだからな」

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航に話せば、会社を辞めたほうがいいと、云うことが判っていたから。

確かに凄く辛かった、苦しかった、でも。

辞めることに、抵抗があったんです。

私は何も悪いことはしていないのに、何故辞めなければいけないのかが判らないからです。


私は強くないけど、悔しさはありました。

でも、この時、辞めておけば良かったと、後から思うんです。

こんなに幾つも病気を抱えて、自分も辛いし、大切な人たちを心配させることになるのなら……。


私は自分のベットに寝ていました。

父が運んでくれたようです。

「聖香、起きたか?」


「……航?どうしたの」

「どうしたのってご挨拶だな。聖香に電話したら、お母さんが出てくれて、聖香が倒れたって訊いたから、

会社帰りに顔を見に来たんだよ」


「航も疲れているのに……ありがとう」

航はにっこり笑うと

「聖香のお母さんの手料理を食べられてラッキーだったよ、うまかった」

私たちは笑った。

急に真面目な顔になったと思ったら、

「聖香、俺たちの新婚旅行はドイツに行こうな。クリスマスシーズンの」

「高いよ〜。一年の内、一番高い時期だから」

「でも、前から聖香は行きたがっていたよね。クリスマスシーズンのドイツに」


私はうなずいた。

「高校の時にファッション雑誌に

ドイツのロマンティック街道と呼ばれている場所が、現実とは信じられないほど美しくてね」


「聖香からその話しを訊いて僕はさっそく本を買って写真を見たんだ」

「素敵だったでしょ」

「うん!凄く美しい街だった。だから俺も行くならクリスマスシーズンだなって思った」

「二人でお金を貯めようね。でもね」


「でも、なに?」

「私は病気を抱えているからなぁ」

「俺がいるから大丈夫」

「迷惑かけたくない」

「聖香、俺は迷惑なんて思わない。

約束して欲しいんだ。

これからは、辛さを一人で背負うのはやめて、聖香。何でも話して欲しい。頼むから」


航の真っ直ぐな目を見ていたら、

言葉が見つからなかった。

相手のことを思うなら、正直に話しをすることも必要なんだと判ったから。

そして虐めは虐められる方も悪いという意見には絶対に反対だと、身をもって体験した私はそう思う。


命を守る為に頑張っている人がいることに、注意深くいて欲しいと、

心の底から、願うのです。

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      了




















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