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お願いだから貸してくれ 2話


火曜日の朝は、雨が降っていた。

私の休みは、店の定休日でもある、水曜と、もう1日は月曜日だ。

つまり火曜日の今日は、一般的には、日曜が終わり、月曜を迎えたのと、同じことになる。


カーペンターズの歌のように、月曜が雨だと気分が沈みがちになる。

だから火曜日に、朝から雨だと、私の気持ちも下がり気味だ。



風邪で熱がある涼介は、休みを取って、寝室で眠っている。


食欲はあるようなので、涼介が食べられるように、卵と三つ葉の、お粥を作っておいた。


「出かけるとしますか」

雨の日用のブルーの靴を履くと、私は表に出て、玄関に鍵をかけた。

「なんだか、さっきより降ってる気がする」

なんてボヤいても、休みになるはずもなく。


「歩いて行ける場所に、仕事場があるだけ、ありがたいことよね」


先輩社員の川谷鏡子さんは、有給を取り、田舎の両親に会いに行っている。

90を過ぎたお母様が、最近
ボケて来てると、同居している妹さんから連絡があったのだ。


「妹夫婦に、任せっきりだから、たまには様子を見に行かないとね」

川谷さんは、そう云っていた。


私の母は、まだまだ元気に、一人暮らしをしている。
父は随分前に、亡くなった。

私には兄がいる。
けれど、兄嫁と母は、折り合いが悪いみたいだ。


「母に何かあったら、私が同居することになるわよね。
涼介とも、きちんと話しておかないと。あちらにも、ご両親が居るのだし」


そんなことを考えながら、歩いていると、店の前に傘を刺した人が立っている。


「急いでシャッターを、開けないと」
私は雨の中を走った。


すると、傘を刺した人は、店から離れてしまった。


「ま、待ってください。いま行きます!」


しかし、私の声は届かなかったらしい。

その人の姿は、見当たらなくなってしまった。


私はゼーゼー言いながら、店の裏口の鍵を開けて、中に入った。


自動ドアのスイッチを入れて、シャッターを開ける。


「何か飲もう」

私は小さな冷蔵庫を開けると、自分用のスポーツ飲料を取り出し、ゴクゴクと飲んだ。


「は〜やれやれ。一息ついた」


スケジュールが書いてある、ホワイトボードに目が行く。


今日は、お昼からパートの林さんが来てくれる。

林由美子さんは、川谷さんより長く、ここで働いているベテランのパートさんで、頼りになる人だ。


とても小柄な女性だが、乗ってる車は、かなりごつい。

それを、身長が145センチの、林さんが運転するのだから、乗せて貰う度に凄いと思う。

大きいハンドルを、回す時の林さんは、怒ってるように見えるが、怒ってるわけではない。


真剣にハンドルと、格闘しているからだ。
まるで林さんの方が、ハンドルに振り回されているように見える。


「久しぶりに、林さんの車に乗ってみたくなったな」

その時、自動ドアが開いた。
手にしている傘を見た私は、さっきの人だと直ぐに分かった。


「いらっしゃいませ。どうぞ、お掛けになってください」

その人は、入り口に置いてある、ビニール袋に傘を入れると、店内に入って椅子に腰を下ろした。


遠かったし、後ろ姿が傘で隠れていたので、性別が分からなかった。
だが、いま分かった。


デスクを挟んで、私の前に座っている人は、男性で、年齢は70歳くらいだろうか。

疲れた顔をしている。

たぶん、ここへ来る前に、既に不動産屋を何軒も回ったのだろう。

けれど、断られたのだ。
お年寄りの一人暮らしに、部屋を貸す家主さんは、日に日に減少している。

60代も、後半になるとかなり厳しい。

70代、80代のお年寄りが借りられる部屋は、限り無く0に等しい。

これが現実なのだ。
この男性も、何度も断られたにちがいない。


「少々、お待ちください」

私はキッチンで、お茶を淹れた。
緑茶ではなく、ほうじ茶にした。


この方が、お客様の好みの気がしたのだ。


出された、ほうじ茶を、男性は美味しそうに飲むと、疲れ切っていた顔が、少し晴れやかになって見えた。


「僕は、ほうじ茶が好きなので、美味しく頂きました」

「良かったです。直ぐにおかわりを、お持ちしますので」


「どうもありがとう」


「おはようございます」
古田社長が、裏口から入って来た。

「おはようございます社長」


古田社長は、お客様の男性を、チラッとみると、

「山根さん、お昼休憩にしてもいいですよ。お客様は僕が引き継ぎますから」


私は、そうすることにした。

バックを持つと、
「お先に休憩に入ります」
そう云って、裏口から表に出た。


目の前には、プレハブの建物がある。

古田社長が、従業員の休憩場所にと、
建ててくれたのだ。


私は店を出る時、鍵も持って来たので、ドアを開けると、靴を脱いで畳の部屋に上がった。


部屋には、小さなちゃぶ台と、テレビがある。

空気が澱んで蒸し暑い。


少しの間、窓を開けて空気の入れ替えをすることにした。

いつの間にか、雨は止んでいた。


「先ずは涼介に電話をかけてみよう。寝てるかな」


「もしもし、僕だよ」

「寝てたらごめんなさい。体調が気になったから、電話したんだ。どう、熱は下がった?」


「うん、平熱になったよ。いま栞菜が作ってくれた、お粥を食べたところ。美味かった。ありがとう」


「良かったね。風邪薬は、まだある?」


「ちょっと待ってね。え〜と、3回分あるよ」

「それなら今日は買わなくても良さそうね」


「うん。あのさ、栞菜にお願いがあるんだけど」

「お願い?なに」


「仕事を頑張ってる栞菜に、云いにくいんだけど」


「だから、お願いってどんなことよ。お昼休憩が終わっちゃうよ」


「そうだった。夕食に肉が食べたい。ガッツリ食べたいんだけど」


「了解。ステーキ用のお肉を買って帰る」


涼介、子供みたいに、はしゃいでたな。
赤身でいいよねって云ったら、「え〜〜〜」ってブーイングしてたけど。


分かってますよ。
ちゃんと脂身のある、お肉を買いますから。


「さて、早く食べよう。本当に、休憩時間が終わっちゃう」


私はバックから、朝作って来た、おにぎりを取り出すと、
ラップを剥がしながら、食べることにした。


「感謝して、いただきま〜す」


今日は鮭と梅干しのおにぎりにした。


パンも好きだけど、お米も好き。
日本人だなぁ。

リモコンで、テレビをつける。
どのチャンネルも、面白い番組をやってない。


スイッチを消すと、私は畳に寝転んだ。

「お腹が満たされて、眠気が来そう。眠らないように注意しよう」


しかし私は寝ていたらしい。

時計を見て、慌てて部屋を片付けた。
あと2分で休憩時間が終わるところだった。


急いで店に戻ると、社長が私を見て笑ってる。


「そんなに急がなくても構わないのに」

「でも時間ですから。先程のお客様は、帰られたんですか」


「いま、林さんが物件を案内しに行ってるよ」


「見つかったんですね!良かった」


「いつもの澤田さんのお陰でね。ありがたいよ」


建設会社の社長である澤田さんと、古田社長の付き合いは長いと訊いている。

アパートを何棟も所有しているし、一軒家もある。

どこの不動産屋でも、断られてしまい、困ってる人に、澤田社長は空き部屋を提供してくれる。


器の大きな、優しい人柄に、
澤田社長には、たくさんの人が集まってくるらしい。

弟子志願のような人々だろうか。


「澤田社長と僕は、似たような境遇で生きて来た。だからお互いの気持ちが、よく分かるんだ」


古田社長の両親は、社長がまだ、幼い頃に離婚している。

社長は母親に引き取られたが、2人で生活をするアパートを探しても、当時は今以上にシングルマザーと、まだ小さな子供に、部屋を貸してくれる大家さんを見つけるのは難しく、暫くは、母親の知人宅に住まわせてもらったという。


「段々と痩せていく、母を見るのは、子供なりに辛くてね」


そうだったんだ。
だから、古田社長は、困っている人の為に、奮闘してるんですね。


私は、そんな社長のことを、人として、尊敬します。


「澤田社長も僕と似たり寄ったりの経験をしてるんだよ。
かなり儲けたはずの澤田さんが、今だに現役なのは、稼いだ分のほとんどを、アパート等を買うことに使っているからなんだ」


「……御二人には、頭が下がります。本当に御立派だと」

「山根くんは、泣き虫なようだね」


「はい。すみません」

「僕は山根くんが、この店に来てくれたことに、感謝しているよ」


止めてください社長。

涙で、お店がプールになっても知りませんよ。


「ただいま戻りました」

「林さん、お疲れ様でした。
お客様は」

そう訊くと、林さんは笑顔で応えた。


「もちろん、いらっしゃいますよ。あそこに」


林さんの視線の先には、ケーキ屋さんがあった。

美味しいと評判のお店で、たまに取材されることもある。


私も涼介も、あの店のケーキは、かなり好きだ。


「あ、お客様が出て来ましたよ」


自動ドアが開くと、満面の笑みをした、お客様が入って来た。


「ありがとうございました。
あんな住み心地の良さそうな部屋を紹介してもらえるなんて、想像もしていませんでした」


「では」


「はい。もちろん借ります」

「本当に良かったですね」

「それで、あまりにも嬉しくて、お礼も兼ねて、皆さんにケーキを買って来ました」


私はケーキの箱を受け取り、
全員分の紅茶をいれて、皆んなでケーキを頂いた。


お客様は、自分のように困っている友達が、数名いるので、彼等にも部屋を紹介してあげて欲しいと、古田社長に頼んでいた。


「それでは、お先に失礼します」

「山根くん、お疲れ様」


「さて、涼介の為にステーキ用のお肉を買うぞ」

この街で一番高く、品物のいいお店に私は入ることにした。


「滅多にないことだから、少しの贅沢しても、いいよね」


お店に入ると、まるで別世界のようだった。

買い物をしている人達も、ゆっくりと品物を、選んでいる。


これを、優雅と呼ぶのだろうか。

あ、卵。

!!!


ひとパック12個入り、2200円!


何だか見るんじゃなかった。

早く買って帰ろう。

お肉、お肉と。

見るのが怖いけど、ステーキ肉、ステーキ肉は。


あった……。


……ATMは、どこ。


「ただいま」

「お帰り栞菜。お疲れ様」

「ただいま涼介。買って来たよ。ステーキ用のお肉」

「やったー!ありがとー!」


……。


「栞菜?どうかしたのか」

「別にどーもしないよ」


「でも、何だか様子が」


「私が焼いてもいいの?それとも涼介が焼く」


「栞菜に焼いて欲しいけど。いい?」


「私は涼介の妻ですから、夫の為なら焼きましょう」

「ねえ、やっぱり何かあったでしょう」

「それでは、着替えてから早速、作りますので」


「僕がステーキが食べたいなんて云ったのが、いけなかったのかなぁ」



「うまい!何これ。美味すぎだよ」


「あゝ、良かった」

「栞菜は食べないの」

「私はもう、胸が張り裂けそうで」


「え、なんて云ったの」


「涼介が元気になってくれたから、胸がいっぱいで入らないの」


「栞菜、ありがとうね。ところで、この肉は幾らだったの。これほど美味しいんだから、和牛だろうし。高いんじゃない」


「ひゃく……せんえん」


「もう一度、云ってみて」

「あーもういい。云うわよ」

「や、やっぱりいいや」

「涼介のステーキは、300gで、お値段は2万1千円になります」


「ウソ。そんなに高いんだ。
美味いわけだ」


「6万4000円なんて、人をバカにした値段のお肉もあったよ」


「栞菜」

「涼介」


ウワーン!

その夜、私は涼介の胸で、思い切り泣いた。



       次作へ











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