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真夏の幻想

母の実家からその場所までは、けっこうな距離があった気がする。

それとも私がまだ幼かったからそう感じただけなのだろうか。

毎年、小学校が夏休みに入ると、母と私は祖父と祖母に会いに行った。父は妻の実家だろうが、自分の親戚だろうが、面倒臭いといい、全く付き合うことはなかった。


その家には従姉妹も居たけど、齢がかなり離れていたせいか、遊んだ思い出がほとんど無い。


私は好奇心旺盛な性格で、チビだけど一人であちこち探検することが好きだった。

その場所を見つけたのも、好奇心のおかげだ。

獣道とすら呼べない茂みの中を、自分より背丈のある雑草を掻き分けながら進んで行く。


麦わら帽子を風に飛ばされないように手で押さえ、祖母が持たせてくれた麦茶の入った水筒を襷掛けにして歩いていると、雑草の間から、

真夏の日差しで水がキラキラ光っているのが見えた。

金色に輝くそれは、とにかくキレイで私は見惚れた。


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ずっと見ていたいけど眩し過ぎて、長くは目を開けてはいられない。

「川なのかな。なんかの水溜り?この先に何かあるのかも」

私は麦茶をごくごく飲んだ。

水筒の蓋を閉め、私はまた歩き始めた。


気がつくと、伸び放題だった雑草の勢いがなくなって、高さも低くなっている。

そして樹々がトンネルを作っているみたいな場所が目の前に現れた。

私は期待と少しの怖さで、自分が緊張しているのが判った。

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「おっ、寧々ちゃん、今年もお爺ちゃんとお婆ちゃんに会いに来たな」

昨日、母と歩いていたら、そう声をかけられた。


町内にある、ラーメン屋さんのオジサンだった。

「よっちゃん元気そうね。こっちに居る間に寄らせてもらうわね」

「おう!澤田も元気そうだな。しかし齢には勝てないな。去年よりオバチャンになってるもんな」


「ちょっと、誰がオバチャンだって?」

「いけね!じゃあな、いつでも食べに来な。寧々ちゃんまたな!」

そう云ってオジサンは急いで店に入った。


「全く、口が悪いんだから。同級生とはいえ女性に云うことじゃないでしょ!」

母は頬を膨らませて憤慨している。

「お母さん、本当にラーメン食べに来るの?」

「来るわよ。寧々もお店ラーメン、食べたいでしょう?口は悪いけど美味しいからね」


それを訊いた私は嬉しくなった。

オジサンが作るラーメンは、すっごく美味しいからだ!チャーハンもワンタンも、美味しいんだ!

私はスキップしたい気分だった。

オジサンの作るラーメンも大好きだけど、私はこの街の持つ、のんびりした時間の流れが心地良くて好きだった。

銭湯の大きい煙突も、100歳近い、お婆ちゃんが焼いている、たい焼きも。

いつも立ち話をして笑っている、豆菓子屋さんのおばさんも。

ぜんぶ……



「ふぅ〜〜」

深呼吸をして、樹々のトンネルを通り抜けると、そこには池が広がっていた。

私は池に近寄って、中を覗き込んで見た。

池の底まで見えるほど、透き通っていた。

小さな火山が噴火しているみたいに、ポコッポコッと動いている場所が幾つかあることに、私は気がついた。

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「これはなんだろう」

正体は判らなくても、見ているだけで面白かった。

「こんなにキレイな場所なのに、なんで人がいないのかな。知らないのかも」

周りを見回した時、一人の女の子がいるのに気付いた。


その子も小学生くらいだけど、自分より少しお姉さんに感じた。

古くなったベンチに座ってる女の子は元気が無さそうに見えた。

迷ったけれど私は女の子に話しかけてみることにした。

ベンチに近づくと、俯いていた女の子はびっくりした顔で私を見た。


私もなんて云おうかと急に弱気になってしまった。

仕方なく、また池を見ることにした。

私を見ていたベンチの子も、視線を池に移した。


どれくらい黙ってただろうか。

私は思い切ってベンチの子に声をかけた。

「池の底でポコポコしてるのは、なにか知ってる?」

女の子は何か云いかけて止めた。

そして小さなポシェットからキティちゃんの絵が描いてあるメモ帳と、ボールペンを取り出して、何か書いて私に差し出した。


 【わきみず】

そう書かれていた。

「教えてくれて、ありがとう。キティちゃん好き?」

その子はムッとした表情で、首を勢いよく横に振った。

「私はマイメロが好き!」そう云うと

またメモ帳に何かを書いて私に向けた。


【ぜんぶ  きらい!】


「……そうなんだ」

私は嫌いなのに、キティちゃんのメモ帳を持っている、その子が不思議だった。

「お話し出来ないの?」

私の不躾な質問に、その子は悔しそうにうなずいた。


そして女の子はベンチから立ち上がると私を見た。

背中の真ん中まである長い髪と、左の頬にあるホクロが印象的だと思った。

いつのまに書いたのか、メモを渡された。


  【ばいばい】


「あ、バイバイ」


そして女の子は歩いて行った。

私も帰ることにした。

その後も私はこの場所に何度も来たけれど、その女の子に会うことは

なかった。

翌年の夏も、その次の夏も……。


あれから20年の歳月が流れた。

母の実家は今はもう無い。

祖父母は亡くなり、叔父と叔母は、

家と共に土地も売却し、マンションに移った。

従姉妹も早くに独立した後、結婚をした。

私も父を早くに亡くし、今は母と二人暮らしだ。


還暦を迎え、母はますます元気で仕事も続けている。

私は弁護士事務所に勤めている。

三度目の正直でようやく司法試験に受かった見習い中の弁護士である。


まだ卵の私は先輩の弁護士に着いて、学ぶことだらけだ。

慌ただしく毎日が過ぎていく。


それでも、ふとした瞬間に、母の実家に遊びに行ってた夏を思い出す。

母の同級生であり、ラーメン屋さんのよっちゃんのお店も今はもう無い。


早くにご両親の介護をすることになったため、店は閉店したらしい。

「また食べたかったな。美味しいラーメン」

たい焼きを作っていたお婆ちゃんももういないんだろう。

あの街は今でもゆっくりした時間が流れているのかな……。


ある日、弁護士事務所で業務をしていたとき、1人の男性が訪ねて来た。

何人かの弁護士が、懐かしそうにその男性と話しをしている。


「あの男性は、どなたですか?」

隣のデスクの人に訊いてみた。

「彼も以前はこの事務所の弁護士だったんだよ。今は独立して個人事務所を持ったんだ」

「そうですか」


どうやら、挨拶に来たようだ。

ベテラン弁護士と会話をしながら、私の傍を歩いて行った時だ。

「そうなんです。親は女の子が欲しかったみたいで。だからって男の僕に女の子の格好させるなんて酷いですよ。お陰で友達も出来ず、街中を歩くのも恥ずかしいから、隠れてましたよ」


私は咄嗟に振り返って男性の顔を見た。

ほんの一瞬だったけど見えたのだ。

男性の左の頬にあるホクロ……。

本当は、話せたんだ。

だけど声を出せなかったのは自分が男だとバレてしまうから。


何でだろう、私は泣いていた。

懐かしさからなのか、判らないけど。

透き通った池の辺りに戻っていた。


  【キティちゃん好き?】 

  【ぜんぶ  きらい!】

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      了


 





















































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