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#【純な彼女】

「お薬手帳はお持ちですか?」

「持ってるに決まっておる」

「では、お預かりします」

「嫌だ!この手帳にはワシが飲んどる薬がぜんぶ書いてあるんだぞ」

「お薬をお渡しするために必要なのですよ」

「嫌だ!これを渡したらアンタにワシが飲んどる薬が知られてしまうじゃないか!」

「…分かりました。お薬ができるまで、あちらの椅子でお待ちください」

まただ。このお爺ちゃんと薬剤師さんは毎回、同じ会話をしている。

私は月に一度、病院に行ってから、この調剤薬局に寄って薬をもらう。

それにしても、こういった頑固なお年寄りが増えた気がする。

歳を取ったから頑固になったのか、若い頃から頑固で、それが歳と共に拍車がかかったのか。

ピンポーン ピンポーンと自動ドアが開く。

今度はお婆ちゃんだ。

このお婆ちゃんも毎回、同じことを言っている。

「わたしは忘れずに、ちゃーんと飲んでるのに、なんで薬が余るのかしら」

ドターン!

薬剤師さんが一人、派手に転んだ。

「お騒がせしました、すみません」

そう言うと、床に散らばったたくさんのボールペンを拾い始めた。

私も拾うのを手伝った。

「ありがとうございます。すみません」

「忙しいから大変ですね」

「はい。患者さまの数は確かに増えています」

「このボールペンの数もたくさんありますね」

「はい、勉強会に参加すると、粗品で頂けるんです。それにわたしはボールペンが大好きなので」

「好きなんですか、ボールペン」

「はい、配られるボールペンには2種類あります。黒、赤、青の3種類のインクが入っているタイプ。もう1種類は黒だけのものです。どちらがお好きですか?」

「私ですか?えーと…3種類のタイプかなぁ」

「なるほど。わたしは黒だけで勝負しているタイプが好きです。ところで、あのお婆ちゃんの薬はなぜ余るのか、分かりますか?」

「分かりません」

「飲み忘れているからです」

そう言うと、薬剤師さんはお辞儀をして、白衣の胸ポケットにボールペンを10本挿して、スタスタと持ち場に戻って行った。

この調剤薬局は、決して広くはないが、常に患者で混んでいる。

隣が小さな病院なのだが、内科、外科、整形外科、呼吸器科を診てくれるので、やはり混んでいる。

私もその病院に通っているのだが、子泣き爺に似た院長が、実に見事に患者をさばいていくので、混んでいても余り待たされない。

院内にはクラッシックが流れて、子泣きじ…院長先生は、ふんふんふんと鼻歌を歌っている。

今日の診察時も、そうだった。

そして急に、「この曲は好きかね」と、振ってくる。

クラッシックにほとんど縁のない私は、「はぁ、いい曲ですね」と、実に曖昧な感想を述べる。

「ラフマニノフの2番じゃよ。名曲だな」と、言われても何の2番なのか分からない。

後で調べたら、ピアノ協奏曲第2番だった。

ピンポーン ピンポーン

「うっ」

「こんにちは。お薬手帳をお願いします」

「あに?」

薬剤師さんは声のボリュームを上げ、

同じセリフを言う。が、しかし

「あに?あんだって?」と、かなりの高齢の爺さまは耳に手を当て聞き返す。

最終的に、薬剤師さんは怒鳴り声になり、ようやく爺さまは、袋から手帳をゴソゴソと取り出す。

私はこの爺さまが来ると、申し訳ないのだが、志村けんの『バカ殿』を思い出してしまい、口元が緩んでしまう。

私の名前が呼ばれたので、立ち上がり、薬剤師さんのところへ行く。

何時も笑顔のボーイッシュな薬剤師さんが応対してくれる。

胸の名札には『黒葛原』と、書いてあり、私はずっと何て読むのか分からなかった。

ある時、思い切って聞いてみた。

「あの〜お名前は何とお読みするのですか?」

薬剤師さんはニッコリとして、

「『くろかわら』と、読みます。難しい字なのでよく聞かれますね。わたしは九州の出身なんです」と教えてくれた。

その翌月も、私は子泣き爺経由で調剤薬局に行った。

黒葛原さんは、私を見て何故だか、クルリと背中を向けた。

別の薬剤師さんが応対に出てきた。

帰り道、何か嫌われることをしちゃったかなぁと、私は寂しい気持ちになった。

それにしても、彼女らしくない感じだったな。何かあったのだろうか…。

そして次に行った時に、黒葛原さんの姿はなかった。

私はほかの薬剤師さんに、「黒葛原さんは、お休みですか?」と訊ねた。

するとその薬剤師さんは、残念そうに

「黒葛原は移動になったんです」と言った。

帰り道、私は寂しい気持ちでトボトボと歩いた。

「あっ、あの時……」

私を見た黒葛原さんが、背中を向けたのは、泣いていたからだと気づいた。

そう思った時、私も泣きそうになった。

そして夕焼けを見ながら呟いた。

「今までありがとう。お世話になりました、黒葛原……勇太さん」

薬の入って袋に担当薬剤師さんの印鑑が押してある。

でも、黒葛原さんは、彼女の魂は女性なのだ!

名前が『勇太』だろうが、女性だ。

このことで、辛い思いもたくさん経験しただろう。

でも本当に素敵な女性だった。

「新しい店舗でも頑張れ、黒葛原さん。私も頑張るよ!」

彼女とは、また会える気がするのだ。

その日まで、お互いにしっかり生きようね。

私は涙を拭って歩いた。

純粋な彼女のことを想いながら。

** (完)**









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