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【浜辺の記憶】
《大好きな海岸は?》
もし、そう訊かれたら、私の答えは昔から変わらない。
神奈川県の逗子海岸です、もうずっと、ここなんです。
《何故?》
大好きな人と、何度も来たからです。
海水浴にも来ましたよ。
けれど夏以外の季節が多かったです。
人の少ない砂浜に、シートを敷いて寝転びました。
私は、どうしても波の音を録音して、自宅でも聴けるようにとラジカセを持っていきました。
私にしては、上手く録音できたと思っています。
波の音
風の音
遠くから車の走る音
散歩に来ていた犬の声
そして、予想もしなかった嬉しい音が、
はいっていました。
貴方がシートの砂を手で祓う音です。
“さっさっさっ”
今と違いカセットテープの時代です。
私は何度、このテープを聴いたでしょう。
目を閉じて、音に集中して、
“さっさっさっ”
貴方が隣に居るように感じられて、聴くたびに、幸せを感じられました。
🔸🔹🔸
美夜は今日が誕生日だ。
30代も、折り返しになった。
人はよく「アッという間に歳を取る」
「時間が過ぎるのが早くなる」
そういうけれど、美夜は違った。
一日、一ヶ月、一年。
とても永い。
それはたぶん、《待ってるから》
何かを待っていると、時の流れは遅くなる。
早く早くと急いてしまうから。
美夜は本当は分かってる。
“待つことをやめた方が自分が楽になれる”
分かっていることと、
それを出来ることは違う。
苦しいと思っても、やはり待つ、待ち続ける。
それが美夜の出した結論なのだ。
🔸🔹🔸
会社にいても、家に帰ってからも、美夜は携帯を離さない。
いつ電話がかかってきてもいいように、しているから。
とにかく一日中、美夜は待つ生活を送っている。
どんなに、クタクタに疲れようと。
最近、同じ夢を見る。
極度の高所恐怖症なのに、高層ビルの、非常階段で、動けずにいる自分。
少しでも、下を見ると震えが止まらなくなっている夢。
目覚めると、いつも、汗をかいている。
本当は美夜は怖いのだ。
待つことが、とてつもなく怖い。
何故なら、期待をしているからだ。
待った先に、自分が望んでいる答えが、なかったら、私はどうなってしまうのかを考えると、不安にやられそうになる。
🔸🔹🔸
美夜は月に一度、自宅がある東京から北海道に行っている。
逢いたい人が北海道の病院に入院しているからだ。
今日も早朝の便でやって来た。
病室のドアを開ける。
美夜の逢いたい人の、お母さんが迎えてくれる。
「毎月、遠いところを、ありがとうね、美夜さん」
優しい言葉をかけてくださる、そのお母さんは、お会いする度に、痩せていく。
そして、お母さんは、美夜が逢いたい人の枕元に行って、
「弘樹、美夜さんが来てくれたわよ」と、云うのだ。
その人、弘樹さんは、顔にも体にも、たくさんのチューブを付けている。
お母さんの言葉に、何も反応はない。
美夜も弘樹さんの傍に行き、顔を見ながら、
「弘樹さん、こんにちは。今日の気分はどうですか。外はかなり吹雪いてますよ」
そんな風に、毎回、話しかけている。
🔸🔹🔸
弘樹さんは、目を瞑ったままで、ベッドに横になっている。
その後も、帰るまで、ずっと話しかけてくる。
会社でのことや、テレビで話題になっていること、美夜がいまハマっている食べ物のこと。
どんなに無反応だとしても、美夜は話し続ける。
もう数年になる。
「少しでも目を開けてくれたら」
「指先が動いてくれたら」
弘樹さんのお母さんは、そう云って涙を流すのだ。
美夜は必ず、泣いてるお母さんを抱きしめる。
「お母さん、奇跡は起きます。だから、信じましょう」
そう云って、美夜は病室をあとにする。
病室のドアを閉めた途端、美夜の目からは涙が止まらなくなる。
🔸🔹🔸
“弘樹さんが、トラックに跳ねられた。”
深夜、美夜に連絡があった。
2人の共通の友人からだった。
美夜は急いでタクシーを呼び、救急病棟に向かった。
弘樹さんは緊急手術中で、廊下には家族の他に、たくさんの友人が集まっていた。
中には美夜を見つけると、泣き出す人もいた。
その様子から、美夜は事態はかなり深刻な事を知った。
弘樹さんは、一命は取り留めた。
だが医師の口から出た言葉は、残酷なものだった。
《植物人間》
その時点から先、数時間の記憶が、美夜にはない。
味わったことのない衝撃だった。
それは今でも続いている。
🔸🔹🔸
弘樹さんは、最初は都内の病院に入院していたが、ある時、北海道にある病院が、
弘樹さんの様な病気の専門であるのを家族が見つけ、そちらに転院したのだった。
弘樹さんのお父さんは、北海道でも都会に仕事を見つけ働いている。
少しでも収入の多い仕事に就くためだ。
お母さんは病院の近くに部屋を借りて暮らしている。
美夜もよほど北海道に住もうかと考えたのだが、弘樹さんのお母さんに強く説得された。
「弘樹はこの先どうなるのか分からない。
美夜さんを巻き込むわけにはいかない」
泣きながらそう話す、お母さんの言葉に美夜は北海道で暮らすのを諦めた。
そして今の生活を変えずに月に一度、弘樹さんに逢いに行くことにした。
ひたすら眠りから目覚めることを待ちながら。
🔸🔹🔸
弘樹さんの病室にも、ラジカセを置いている。
元気な頃に弘樹さんが好きだった歌を、流したり出来るように。
ある日美夜は自宅で、今度、弘樹さんに聴かせたい曲が入っているテープを選んていた。
その時、あるテープを見て美夜は、次に行った時に必ず弘樹さんと聴きたい。
何故だかそう思っい立った。
北海道に、来るようになって、何度目かの春だった。
病室の窓を開けると、桜の花びらが入ってきた。
「弘樹さん、桜の花びらが入ってきたよ、きれいだね」
美夜はそう話しながら、ラジカセに、テープをセットした。
「今日はね、すごく懐かしいテープを持ってきたの。弘樹さんと逗子海岸に行った時に録った音。一緒に聴こうね」
そう云って、美夜はスタートのスイッチを押した。
病室に波の音が流れた。
寄せて……返す……。
美夜は弘樹さんの枕元で目を閉じて聴いていた。
「はっ!」
お母さんの息づかいが聞こえた。
「弘樹が……弘樹が……」
その言葉に、美夜も弘樹さんを見た。
涙が……弘樹さんの目から涙が流れている。
美夜は言葉が見つからなかった。
ただただ、弘樹さんの手を握り締めた。
さっさっさっ
さっさっさっ
さっさっさっ
ゆっくりと、彼のまぶたが、開いた。
そして、ゆっくりと美夜を見た。
力強く、手を握り返した。
《お帰りなさい》
《ありがとう ただいま》
了
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