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喫茶店の女(ひと)

会社帰りに週3回。

仕事が休みの日でも訪れることがある。

それくらい気に入っている喫茶店がある。

カフェではない。喫茶店である。

今風に云うなら《レトロな喫茶店》

そんな感じだ。


最初は仕事で疲れ、真っ直ぐにマンションに戻るのことに抵抗を感じたことがきっかけだった。

疲れているのなら、早く帰ってお風呂にでもゆっくり浸かったらいいじゃないか。

ごもっともである。


けれど私は会社から持って来てしまった棘棘しさやイライラや、その他諸々を体に纏わり付かせたままで戻ることに抵抗を感じた。

「どこかで邪気払いがしたい」

その思いから以前から気になっていた

この喫茶店に立ち寄ることにした。


店内は期待を裏切らなかった。

全てにおいて完璧だ。

うす暗い照明も、BGMがかかっていない

静かな空間も、その全部が理想的だ。


音らしい音といえば、サイフォンの珈琲が沸騰した時の音くらいだ。

そのコポコポという音は返って私を落ち着かせてくれる。

床は木であるためウエイトレスの若くて美しい女性が珈琲を運ぶ時だけは、コツッ  コツッと足音が響いた。

決して耳障りな音ではなかった。

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店じゅうに珈琲の香りが漂っている。

まるでアロマのように一日の疲れを癒やしてくれる。

いいお店が見つかって良かった。

しみじみとそう思いながら今夜はお店のオリジナルブレンドを頂いた。


私がそのお店に通うようになって2ヶ月経つ頃。

いつもの通り扉を開けてお店に入った。

そしていつもと同じテーブルに着く。

オーダーを取りに来たのはこの店のマスターだった。

「ウェイトレスの女の子はお休みですか?」

「はい。代わりに中年のおじさんが頑張りますので」

そう云ってマスターは笑った。


モテるだろう、マスターなら。

端正な顔立ちをしているし、話術も持ち合わせている。


背もたれに寄りかかり、ふーっと息を吐く。

その時、気づいた。

珈琲以外の匂いがすることに。

「これは煙草の匂い」


何気なく隣りのテーブルに目を遣る。

チラッとしか見なかったが40代であろう女性が座っていた。

煙草は彼女が吸っていたものだ。

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私自身は吸わないけれど煙草には神経質な方ではない。

子供の頃からヘビースモーカーの父の元、育ったからかもしれない。

「煙草、気になります?遠慮なく仰ってください、直ぐに消しますから」


「いえ大丈夫です。父が吸ってましたから、慣れてますので」

「本当に?」

そう云って私を見る彼女は、女の私ですらドキッとするほど色っぽい。

「嘘などいいません。お気遣いに感謝します」


「ありがとう」

そう云って彼女は微笑んだ。

「い、いえ」

私は自分が汗ばんでいるのが分かった。

パウダールームに行こう。

そう思った。

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鏡を見たら、やはり顔にも薄ら汗をかいていた。

私はファンデーションを直し、パウダーを叩いた。

「まぁまぁかな、何とかなりそう」 


テーブルに戻ったらその女性の姿はなかった。

どうやら帰ったらしい。

私はガッカリと安堵の両方の気持ちになった。


その後、彼女とは何度か会い、少しずつ話しをするようになった。

いつも真剣な顔で厚いビジネス手帳を見ている。

訊くと新聞に経済のコラムを持っているとのこと。

「凄いです。政治経済は私の頭が付いていけない」


「貴女の苦手意識がそう思わせているだけよ。ちゃんと勉強すれば思ったほど難しい世界じゃないのよ」

「そうですか〜?」

訝しげな私の顔を見て、彼女は笑っていた。

「人には向き不向きがあるので無理にとは云わないわ」

彼女はそう云うと珈琲カップを手にした。


「そうだわ、知人からマカロンを頂いたの、良かったらいかが?」

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そう云って彼女は有名百貨店の袋から

箱を取り出して蓋を開けた。

「わぁ!色とりどりで可愛いですね」

「召し上がりません?私は甘い物は好きなんですが夫が食べないの」

「では遠慮なく頂きます」


私はパステルグリーンのマカロンを頂くことにした。

口に運ぶと、サクッとした気持ちのいい歯触り。

その後メレンゲが溶けて口の中で消えた。


「どうですか?お口に合うかしら」

「とっても美味しいですよ、久しぶりにマカロンを食べました」

「良かったわ。そう云ってもらえて」

彼女もマカロンを一つ手に取って、同様にサクッといい音を立てた。

「うん、悪くないわね」

そう云って珈琲を啜った。

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それから私の仕事は多忙を極め毎日残業になり、喫茶店に寄る時間が取れずにいた。

ようやく一段落したので今日は喫茶店に寄れる、そう思うと気持ちが躍った。


しかし、何故だろう。

お店に近づくに連れて、何だか胸騒ぎを覚えた。

「何でこんなにたくの人が集まってるの」

喫茶店の前にはたくさんの人がいて、それを警察の人が数人、両手を広げて制止している。

それから……

パトカーが止まっている、救急車も……


私は全身が震えるのを抑え切れなかった。

“マスター……不倫……”

“三角関係……男女間の……”

え、なに?ーーー。


「はい退がってください!」

警察官が大声で叫ぶ。

その時、マスターを乗せた担架がゆっくりと階段を降りてきた。

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そして救急車に運ばれていく。

目は閉じていたが呼吸はしているように見えた。

次に降りた来たのは、あの女性だ。

経済のコラムを書いている私にマカロンをくれたあの人が手錠をされている。

10歳、老けたように見える。

その時、彼女は私と目が合った。

その瞳からは正気が失せてしまっている

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私は堪え切れずに泣いていた。

彼女は無反応のままパトカーに乗せられ

走り去った。

その様子を2階の窓から見ているのは

ウェイトレスの女性で

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自虐的で歪んだ笑みを浮かべている。

その彼女も警察官に促され外に出て、直ぐに別のパトカーで去って行った。

マスターの不倫相手はウェイトレスの女性。

別れてくれない夫を妻は咄嗟に首を絞めた。

マカロン  サクッ

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    【うん、悪くない】


       了




























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