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一番、爽やかなモヒート

「おはよう、知輝」

「おはよう、姉貴、あれ、もうシャワー浴びてきたんだ。さてはデートだな」

「へへ〜ん。知輝には彼女はいないの?

高2なら、彼氏や彼女くらい居るんもんじゃないの?」

「俺の顔を見ると、いつも同じ話しだな。

俺にだってやりたい事があるんだよ」




「何よ、やりたい事って」

「免許」

「免許?なにかの資格でも取るの?」

「運転免許証だよ」

「それは18になってからの話しでしょう?」

「誕生日の2ヶ月前から教習所には入れるんだよ。仮免とかは18まで受けられないけどね」


「へえ!知らなかった。なら来月には教習所に通えるんだ」

「そう、だから行こうと思ってさ」

「なるほど。ねぇ、それ一口ちょうだい」

「どうぞ」

俺はそう云って、グラスを差し出した。

姉の亜季は一口飲んで、頷いた。


「このノンアルコールのモヒート、美味しいよね。口の中がさっぱりするわ」

「俺も今一番、気に入ってる」


俺の両親は、オヤジの仕事でアメリカにいる。

この賃貸マンションには、俺と社会人一年目の姉貴が住んでいる。

都心からは少し離れているけど、そのぶん広さがあって俺には住み心地がいい。


1時間後、姉貴は出かけた。

俺も着替えを終えて、玄関に向いながら、

チラッとテーブルの上にあるメガネを見た。

「まだ……早いよな」

そう呟やくと、残った水っぽいモヒートを、一気に喉に流し込み、俺は外に出ていった。




梅雨の晴れ間の気持ちがいい日だ。

俺は待ち合わせの公園に向かって歩いている。

離れたベンチに見慣れた後姿が見えた。

「相変わらず早く来てるな」

俺は苦笑した。


「おーい、瑠璃香」

ベンチの後姿がビクッとなるのが分かる。

彼女は、ゆっくりゆっくり身体を捻り、後ろを向いた。

俺が大きく手を振るのを見て、彼女は笑顔になった。


ベンチに着くと俺はスルリと瑠璃香の横へ座った。

「今日も早くから来てだんだろ?

いつも待たせて悪いな」




「なんで知輝が謝るの?私は早目に来て、

一人でボンヤリする時間が好きなの。

それに、せっかちだから」

そう云って、瑠璃香は笑った。


「さてと、今日はどこに行こうか」

その時、俺たちの前を犬の散歩に来た青年が、ゆっくりと歩いていた。


まだ仔犬のフレンチブルドックは、瑠璃香が気に入ったのか、必死に近づこうとしては、飼い主によって阻止されている。


可愛い。

青年はシルバーの縁のメガネをかけている。

俺は瑠璃香を見た。

彼女は下を向いていた。

ジッと、地面を見つめている。


「瑠璃香、もう行っちゃたから平気だよ」

瑠璃香は、頷くと顔を上げた。

「やっぱり、まだ……怖い?」

「……少し」

「そうだよな。あんな事があったら、誰でもそうだと思う」


「知輝、本当はメガネなのに、私のせいでコンタクトにしたでしょう?申し訳なくて」

「そんなことで、申し訳がらないでくれよ。

俺は全然、構わないんだから」


「でも、もう2ヶ月以上経ったわ。私もいつまでもこのままじゃいけないと分かってる」

「焦ることないって。カウンセラーや、医師と相談しながら、ゆっくりでいいから」


瑠璃香は黙っていた。




2ヶ月くらい前に、瑠璃香は交通事故に合ってしまったのだ。


いや、あれは事故ではなく、犯罪だ。


瑠璃香はルールを守って自転車に乗っていた。

そこに急スピードの車が後ろから瑠璃香に体当たりしてきた。


彼女は路に投げ飛ばされた。

突っ込んできたのは、30代の男だった。

痛さで、うずくまっている瑠璃香に、車から降りて男が近づいてきた。

そして、こう云ったのだ。


「なんだ、生きてら。つまんねーの」


瑠璃香は男の顔を見た。


男の見開かれた目は、メガネの奥で笑っていたのだ。

瑠璃香は恐怖で全身が震え出した。

近くで全部を目撃していた人が居て、その場で警察に電話をした。

数分後にパトカーと救急車が到着して、瑠璃香にぶつけて来た男は、笑いながらパトカーに乗った。


救急車で病院に行った瑠璃香は、検査の結果、腰の辺りの脊髄に損傷があり、そのせいで杖をついて歩くことになったのだ。


杖があれば、歩行はできる。

ただ、長時間歩くのは無理になった。


瑠璃香は、この時の、メガネの奥にあった男の見開かれた目が忘れられない。

それ以来、メガネの男性を見かけると、心臓はドキドキして、汗が流れるようになってしまった。


俺は、この日以来、メガネをかけるのをやめた。




「瑠璃香はこのあと、行きたいところある?」

「あると云えば、ある……けど」

「けど、なに?」

「行ってもいいのか、分からないから」

「分からない?えーと、食べるとこ?」

「ううん、違う。人の家」

「ヘえ、誰の家なの。友達?」




瑠璃香は、黙って俺の顔を見た。


「あっ!もしかして俺んち?」

「そう。でも急だし、お邪魔していいのかが……」

「そんな構えるような家じゃないよ。分かった、行こう」

「ホントにいいの?」

「瑠璃香にウソをついてどうする。姉貴も出かけてるし、丁度いいや。じゃあ行こうか」


「嬉しいな〜。実はお土産があるの」

「お土産?なになに」

「今はまだ内緒、じゃあ立つね」

瑠璃香は、ゆっくりとベンチから腰を上げた。


「ゆっくりな、瑠璃香。ゆっくり」

瑠璃香は、頷くと片手で杖を握った。

ようやく、ベンチから立ち上がることが出来た。

「よし!よく頑張った!」

「知輝は大げさなのよ。これくらいなら、大丈夫」

「そっか、よし、行くか」




瑠璃香は片方の手で杖を持ち、空いてる手を俺と繋いだ。

時々、よろけながら歩く瑠璃香を見ていると、捕まったとはいえ、犯人が憎らしかった。

休み休み、ゆっくり歩き、ようやく俺の家に着いた。

真っ白なマンションを見上げて瑠璃香は、「わ〜綺麗だね」

そう云った。


「俺んちは6階だから、エレベーターに乗るよ」

俺と瑠璃香はエレベーターホールに向かった。

ちょうど一階に止まっていたので、直ぐに乗った。

6階の俺んちの玄関の鍵を開けて先に俺が上がり、椅子を持って来て瑠璃香に座らせた。


瑠璃香はゆっくりと椅子に座ると、片方ずつ靴を脱いだ。

杖をつきながらリビングに入った。




「わぁ!明るい。見晴らしもいいね」

俺はテーブルを見て慌てた。

メガネが置きっぱなしだ。

何とかしなきゃと焦っていると、瑠璃香は、

「大丈夫だから、そこに置いといて、知輝」

「本当か?無理しないでくれな」

「無理なんてしてないから」

そう云って瑠璃香は笑った。


ガチャ


あれ?玄関が開いた?

鍵はかけたはず。

足音はリビングに入ってきた。


「あれ?知輝。あなた出掛けるって云ってなかった?あ、お客様。初めまして。

知輝の姉で、亜紀といいます」

「お邪魔しています。小川瑠璃香と云います」


姉貴の目線が瑠璃香の杖にいっていた。

「失礼ですが、瑠璃香さんは脚がお悪いの?」

「本当に失礼だぞ。杖を使っている人が、皆んな脚が悪いわけじゃない。

瑠璃香の場合は事故で脊髄を損傷したからなんだ」


「知らなかったわ。杖を使っている人は脚が悪いからだと思ってた。瑠璃香さん、ごめんなさいね」

「とんでもないです。普通そう思いますよね」


「ところで姉貴こそ帰宅が早いな。ケンカでもしたんだろう」

「違うわよ。彼に仕事が入っちゃったの。

ところで知輝、瑠璃香さんとは?」

「なに?『とは』って」

「とぼけて〜。彼女なんでしょう?」

「えっ、あ、うん」

「知輝は意外と照れ屋なのね。顔が真っ赤よ。あっ!そうか。瑠璃香さんの為に運転免許証が欲しいのね。ドライブ・デート」

そう云って姉貴が喜んでいる。


「それもあるけど、病院やリハビリの送り迎えが出来るだろ」


「キャー!知輝ってそんなに男前だったっけ」


「うるさいな、早く服を着替えたら!」

「は〜い。大丈夫。野暮じゃなくてよ。

瑠璃香さん、ごゆっくりね」

「はい、ありがとうございます」


「うるさいのが帰って来たな、まったく」

「明るいお姉さんね。あ、そうだ、お土産」

「なんだなんだ!ワクワクするな」

瑠璃香はバックに手を入れて、ゴソゴソ探している。


「あっこれだ!」

そう云って彼女がバックから出した物、

「瑠璃香、それってまさか……」

「モヒートはキューバの飲み物なんでしょう?日本ではあまり無いミントなんですって。キューバの人たちは、このミントでモヒートを作るらしいの。えーと名前は」


「イエルバブエナだよ。一度、このミントで飲んでみたかったんだ!」

「そうそう、その名前だわ!苗木屋さんに売ってたわよ」

「へぇ、普通のところにあるもんだな」

「知輝がいつも、美味しそうにノン・アルコールのモヒートのことを話しているから私も飲んでみたくて」

「よし!作ろう。このミントがあれば、これ以上にない旨いモヒートを作れるはずだから」




ハチミツ、ライム、ミントの葉、塩、氷、そして炭酸。出来ればレモン風味の炭酸がいい。ライムは皮をむいて。

「なるほど、ミントの葉もグラスに入れて、潰すんだ」

「そう。柔らかい先端の部分だけ使うんだ」


グラスのフチに、ライムを擦り付ける。

塩が付くように。

ハチミツやライムなども混ぜて、潰したミント等も入れて、氷を入れたら、最後に炭酸水。


「すごい、すごい、とっても美味しそう。

それにキレイ」

「よし!じゃあ乾杯しよう」

「ちょっと待って、知輝。その前に一つ、お願いがあるの」

「いいよ。何だろう」


瑠璃香は少しの間、黙っていた。

俺は、そんな瑠璃香を見つめていた。




そして、

「知輝、メガネをかけて欲しい」

「えっ……」

「私、メガネをかけた、知輝が好きだから、見たいんだ」

「でもね瑠璃香」

「大丈夫な気がするの」


笑顔で、でも強い意志を感じる瑠璃香を見ていた俺は、

「分かったよ。じゃあ久しぶりにメガネをかけたカッコイイ俺を心ゆくまで堪能しなさい」

「うん、そうする」


俺はテーブルの上のメガネを手にした。

下を向いて、愛用していたメガネをかけると、瑠璃香のことを見た。

瑠璃香は、泣きそうな顔をしながら、でもニッコリと笑い、うなずくと、


「やっぱり知輝にはメガネがよく似合ってる」

そう云って涙を流した。

「大丈夫なんだね?怖くはないんだね?」

瑠璃香は、何度もうなずくと、

「怖いどころか惚れ直したよ、知輝のこと」


俺は瑠璃香を抱きよせた。


「よく、頑張ったな瑠璃香。お疲れ!」

「ありがとう知輝」


僕らは乾杯をした。

そして一口飲んだ。

「うーん、旨い!本場と同じミントを使えるなんて!最高だな」

「本当に美味しいんだね!お酒を入れる時は何を使うの?」

「ラム。これがヤバイ」

「ヤバイ?なんで?」

「ラムは飲みやすくて、どんどん飲めてしまうから、後が、アッ!」


瑠璃香が睨んでいる。


「あの〜、え〜と〜」


「ダメでしょう!まだ未成年なんだよ?」

「ご、ごめんなさい」


姉貴は部屋のドアから、僕らを見て笑っていた。

「完全に瑠璃香さんが勝ってる。カカア天下は決定だね。

モヒート、私も飲みたーい!

でも、今は我慢!2人だけにしておこう。

私って、いい姉だわ〜」


俺と瑠璃香は何度も乾杯をした。

こんなに美味しく感じるのは、もちろんミントの為だけじゃない。


無邪気な笑顔を見せてくれる瑠璃香がいるからだ。

瑠璃香、キミが大好きだよ。


透明な中に、グリーンが新鮮な、この飲み物のように、キミは爽やかだ、とても。


        了















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