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カンカン照り

暑い。暑いしか言葉が出てこない。

真夏の午後3時。

家に居ればいいものを、わざわざ炎天下の道を歩いているのは、私と祖母だ。

本当は、祖母も祖父も、とっくにあの世に逝った。

今は叔母夫婦が2人で住んでいる。


私はいま、5歳くらいの自分に戻って、その頃、よく行った場所を、元気だった頃の祖母と歩いている。

この状況を私はいまいち理解していない。いや、全く理解していない。

祖母が生きている。ということは、夢を見ている?

それとも何故か分からないけど、私が過去に戻っているのか?

タイムマシンにでも乗って?


分からないけど嫌な感じはしない。

祖母のことは大好きだったから、こうして会えて、一緒に居られるなんて嬉しい。


     《梅乃湯》

目的の銭湯に着いた。

祖母はここの一番風呂に入ることを楽しみにしている。

楽しみは、私にもあった。

銭湯の前にある駄菓子屋に寄ることが、それだ。


ガラガラと入り口が開いて、番台のおばちゃんが、暖簾をかけた。

「お待たせしました、どうぞ」

数名の一番風呂マニアがスタスタと入っていく。

私も祖母に手を引かれ中に入った。


「春ちゃんは、今日は何番がいいかな」

靴を入れる下駄箱の番号のこと。

「う〜んとね、8番!」

「末広がりだね、縁起がいいこと。じゃあ、ばあちゃんは7番。これも縁起がいい」

「ラッキーセブン」

「おや、よく知ってるね、春ちゃんは」



お金を払って中に入る。

大きな籠の中に、脱いだ物を入れて、お風呂場に行く。

広くて人が少なくて、気持ちがいい。

婆ちゃんと私は、ザッと身体を洗うと、湯船に入る。


「は〜やれやれ」

お湯に浸かると婆ちゃんは必ずこう口にする。

私はやりたいことがあるけど我慢するんだ。

婆ちゃんは、そんな私の気持ちはお見通し。

「春ちゃん、本当は泳ぎたいんでしょう」


私が黙っていると、婆ちゃんは、

「今は他に人が居ないから、少しだけ、いいよ」

「ホント?」

「ただし、人が入って来たらストップ」

「分かった!」


私は早速、平泳ぎを始めた。

大きな富士山の下で、存分に泳げて嬉しくてたまらない。


ガラガラガラ


「春ちゃん、はいストップ」

人が入ってきたので、泳ぎは終了。

「楽しかったかい?」

「うん!楽しかった!」

婆ちゃんはニコニコしてる。



湯船を出て、体を洗う。

私はこの時、婆ちゃんの背中を洗うことにしている。

そして思う。

“婆ちゃんの背中はまた少し、ごつごつして来た”と。

チビの私でも分かった。

何だか婆ちゃんは、小さくなっていることが。


「春ちゃん、ありがとう。とても気持ちが良かったよ」

婆ちゃんに、タオルを返したら私は髪の毛を洗うんだ。

そう、ピンクのシャンプーハットを被って。

目にシャンプーが入らないから、怖くない。

二人共、洗い終えたら、もう一度湯船に浸かる。


「やっぱりいいねぇ、広いお風呂は」

今日も婆ちゃんは満足そうだ。

脱衣所で体を拭いたら、フルーツ牛乳を買ってもらう。

「おいしい。わたしフルーツ牛乳大好き!」

「春ちゃん、いいねぇ。お婆さんと一緒にお風呂に入って、フルーツ牛乳飲んで」

番台のおばちゃんが、、優しい顔で私を見てる。



8番の下駄箱を開けて靴を出す。

7番に入っている靴も出す。

「ありがとう、春ちゃん、先に行ってていいよ」

私は、うなずくと暖簾をくぐり外に出る。


もうすぐ4時になるというのに、太陽の陽射しは容赦なく照り付ける。

「今日も、カンカン照りの一日だわねぇ」

婆ちゃんが出て来た。

「まだ8月になったばかり。しばらくは続くわね。さ、春ちゃん」

そう云って、婆ちゃんは100円くれた。


「婆ちゃん、ありがとう!」

そう云うと、私は向かいの駄菓子屋さんに飛び込んだ。

「いらっしゃい春ちゃん」

「こんにちは!」




駄菓子屋さんのおじさんに挨拶をして、私はズラリと並ぶ駄菓子を真剣に見て考える。

どれにしよう。

“きなこ餅”は絶対に買うんだ。

あとは、それだ、イカは買うことにしている。


「春ちゃん」婆ちゃんが呼ぶので見ると、

例の昆布の入った箱を持ってニコニコしている。

「婆ちゃん、私はそれ好きじゃないの。知ってるでしょ」

私が嫌いなのを分かってて、婆ちゃんは毎回必ずやる。

それで、お店のおじさんと顔を見合わせて笑うんだ、もう!


駄菓子を買い終わり、家に向かう。

「あら、いけない。書い忘れた物があるんだった」

婆ちゃんは、私を見て云った。

「婆ちゃんはスーパーに寄るけど春ちゃんはどうする。一緒に行く?それとも、お家で待ってる?」




私は早く駄菓子が食べたいので、先に帰ってると答えた。

婆ちゃんは、家の鍵を渡して、家に入ったら鍵をかけて、誰かが来ても開けないように。

そう云って、買い物に行った。


私は早く、きなこ餅が食べたかった。

“当たり”が入っているかもしれない。

足早に家に向かった。

すると、家の玄関の前に人が立っていた。

誰だろう……。


私は立ち止まって見ていた。

すると、その人はくるりと、こっちを見た。

そして、ペコっとお辞儀をした。

「キミは春ちゃんだね?」

えっ。なんで知ってるんだろう。


若い青年だった。

「ごめん、脅かしちゃったみたいだね。僕は昭彦。春ちゃんのお婆ちゃんに会いに来たんだ」

「……婆ちゃんはスーパーに行った」

「そうか、それならお家で待たせてもらってもいいかな」


どうしよう。知らない人を家に上げても、いいのだろうか。

そんな私の顔を見て、青年は慌てて、

「家の中には入らないよ。ただ玄関で待たせてもらえないかなって思ったんだ。

でも、春ちゃんが嫌なら僕は公園で待つよ」



私は少し考えた。

この暑さの中、日陰の無い公園にいるのは危ない気がした。

実際、友達が公園で遊んでたら倒れたらしい。

「玄関ならいいよ」


「ありがとう!助かったよ」

青年……昭彦さんは、太陽みたいな笑顔を見せた。

私は玄関の鍵を開け、靴を脱いで部屋にあがった。

明彦さんは、玄関に置いてある、祖父と祖母が使っていた丸椅子に座り汗を拭いている。


私は、きなこ餅が気になったが、昭彦さんを見て冷蔵庫に行き、麦茶を出してコップに注いだ。

それを、こぼさないように、ゆっくり歩き運んだ。

昭彦さんは、私に気付くと、コップを受け取った。


「ありがとう、春ちゃん。気が聞くんだね」

そう云って、麦茶を気持ちがいいほど、一気に飲み干した。

「はあー!旨い。本当に旨い」

黙って見ている私に、昭彦さんは、

「春ちゃん、ありがとう。僕はここで静かに待たせてもらうから、春ちゃんは好きなことをしてていいよ」



私は和室に行って、買った駄菓子の入った袋から、きなこ餅を出した。

気持ちの中で、当たりがありますように。

そう願いながら一つずつ食べた。

「あっ!」

わたしが大きな声を上げたから、昭彦さんが、こっちを見てる。


「あっ、もしかすると当たりがあったの?」

私は大きく、頷いた。

「春ちゃん、やったね、おめでとう」

私はなんとなく、照れ臭かった。

昭彦さんが、急に静かになった。


見ると昭彦さんは、玄関から、仏壇を見ていた。

とても真剣に、ずっと見ている。

「春ちゃん、あの眼鏡」



仏壇には何故だかわからないが、眼鏡が置いてあるのだ。祖父のとは全然違うタイプの眼鏡。

婆ちゃんに、この眼鏡は誰の?

そう訊くと婆ちゃんは、その眼鏡が大好きだった人のだよ。

それしか云わない。


「ちょっとだけでいい。あの眼鏡を僕に見せてくれないか」

昭彦さんは真面目な目で、私を見ていた。

私は、吸い寄せられるように仏壇から眼鏡を持って、昭彦さんに手渡した。


昭彦さんは、愛おしそうに眼鏡を、そっと触った。

「一回、僕に掛けさせてくれるかな」

私は何も考えず、頷いた。

昭彦さんは、大事そうに、ゆっくりと、眼鏡をかけた。



そして私を見た。

その眼鏡は昭彦さんに、とても似合っていた。

驚くほど、顔にぴったりだ。

私は眼鏡をした昭彦さんの方が好きだと思った。

昭彦さんは、静かな笑みを浮かべながら、外した眼鏡を、私に返した。

私はそれを仏壇に戻した。



「春ちゃん、色々ありがとうね。僕はそろそろ行くことにするよ」

「でも、婆ちゃんがまだ……」

「いいんだ。春ちゃんに会えたし、そして……あれにも会えたから」

そう云って、昭彦さんは仏壇の眼鏡を見た。


「じゃあね、春ちゃん。元気でいるんだよ」

昭彦さんは、手を振って、夕焼けの方向に歩いて行った。

姿が見えなくなると、私は家に入った。


ほどなく、婆ちゃんが帰って来た。

「春ちゃん、待たせてごめんね、ご近所さんにバッタリと会ってしまって、立ち話をしてたら、こんな時間に」

婆ちゃんは、台所に置いてある、空のコップが目に止まった。


「誰か来たの?」

「うん、婆ちゃんに会いに来たって云ってた」

「それは、どんな人だったの」

「昭彦さんっていう、お兄ちゃん」


婆ちゃんは、慌てて仏壇のところへ行き、引き出しから何かを持って来た。

「春ちゃん、こ、この人かい」

それは古い写真だった。

昭彦さんが、友だちと笑顔で写っている。


「うん、この真ん中の人」




婆ちゃんは黙っていた。

黙って写真を見つめていた。


「あ、そうだ。仏壇の眼鏡を見せて欲しいっていうから、見せた。

それで、かけさせてくれないか?って云うから、かけさせてあげたら、すごく似合ってた」


「そうかい。眼鏡をかけたかい」

婆ちゃんは、寂しそうな、でも嬉しいそうな顔をしていた。




「春、大丈夫?」

目の前に母が居た。私は車の中にいるらしい。

「大丈夫って何が?」

「覚えてないの?お墓参りしていたら、あなたは急に倒れそうになったのよ」

「お墓参り?」


「やだ、何にも覚えてないの?今日はお婆ちゃんの月命日だから、毎月は無理だけど、今日なら家族揃ってるし、それで来たのよ」

「お婆ちゃんの」

「本当に覚えてないのね。朝からかなり暑いからかしら。熱中症じゃあなさそうよね」

「うん、違うと思う。今は気分も悪くないし」

「無理はしなくていいから、出来るようなら、春もお墓参りをしなさいね」




私は車から出て、墓地へ向かった。

父も妹も、そして母も居た。

私はお水を墓石にかけてから、手を合わせた。

目を開けた時、墓石の横に刻んである、

故人の名前と命日が掘ってあるところを見た。


 風間 昭彦  享年17


「お母さん、この昭彦さんて」

「昭彦さんは、お婆ちゃんが最初に産んだ男の子の名前よ。私の兄に当たる人。

でも、たった17歳で病死してしまったの」


「……そうだったの」

「成績も優秀で、とにかく性格がいい子だったらしわ」

「昭彦さん……昭彦おじさんは、眼鏡をかけていなかった?」

「なんで春が知ってるの?会ったことは無いし、写真も残ってないのに」


「眼鏡、かけてたんでしょう?」

「かけてたわ。よく似合ってたっけ」

「そっか、眼鏡をかけると、グンと男前になったものね」

「ちょっと、気味が悪いから春は黙ってて」

「そんなこと云ったって、私は何も悪いことしてないわよ」


真夏のカンカン照りのせいよ。

全部、このカンカン照りが見せてくれた

不思議な時間。

「昭彦おじさん、会えて嬉しかったです」

カンカン照りも、悪くない。

私はそう思っていた。


       了










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