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社会人に訪れる、学びのターンと実践のターン。原体験を伴うような学びは、使わないともったいない。

山羊座は、「あ、この人も山羊座だな」と気づくことがある。

山登りの星座と評される通り、「修行期間」が明確にある。人生が重い。修羅場をくぐっては乗り越える人間独特の空気を纏う。
今週、お仕事で会った同い年の人に(同じ星座かな?)と誕生日を聞いたら、1日違いだった。それくらい「学びのターン」を経た匂いがするのだ。

社会人には「学び」と「実践」のターンがある。

学生時代は毎日学びと実践を高速回転している。社会に出ると、継続性や成果の再現性が求められ、「学び」と「実践」はターン化する。

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Photo by GR Stocks on Unsplash

本来「学び」には、知識を身に着ける勉強も、経験も入っているが、この「経験からの学び」が曲者。手法と形だけに目を向ければ惰性になるし、頼り切ると妙な自信で体系的知識を軽んじてしまう。
①精神的な脱皮を伴った「原体験のある」学びにできているか?
②自分の経験頼みにならない「体系的知識」の学びを忘れてないか?

を時々チェックして、陳腐化を防ぐことになる。
また、原体験のある学びは、起きている瞬間は幸せとは限らない。
価値観をアップデートするような出来事なのだから、目から鱗の体験や苦い失敗も含まれていて大体しんどい。
「あ、今、学びのターンなんだ」と受け入れて対応するうちに、精神面もスキル面も脱皮し血肉となり、言葉に魂がこもるような気がしている。

そして、「実践」のターンも、必ずしも準備万端では来るわけじゃない。
パーフェクトじゃなくても「やべぇ、実践のターンだ」と球を打たなきゃ、新たな学びに出会えなくなってしまう。

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Photo by Moises Alex  on Unsplash
実践のターンでも、
①打席を見つけたり作ったり立ったりする努力をしてるか?
②過去の経験との共通点は?新たに学ぶべき部分は?
③自分の学びは仲間や相手に活かせる形で吐き出せているか?

が大事で、③でどんどんオープン&シェアすると全体レベルが上がる。

一番役立つのは、「原体験が伴う学び」を実践する時だ。
九死に一生を得たような体験や大失敗など強い原体験から得られる学びは、人類全体で見ると案外普遍的で、陳腐化しにくい。
血肉となっていると自分が冷静になれるし、誰かを助けることもできる。
そこに、「体系的知識の学び」が加わると、さらに広い視野で協力し合ったり最短コースを見つけたりできる。研究の積み重ねはありがたい。

個人的には「学びって実践に使えば使うほど、自分も周りも戦闘力が上がるし、誰かと協力したり、誰かを助けることができるんだ」と信じているし、日々「これは学びのターンだな…」「あ、実践のターンだ、はい打ちます!」と己のターンに早く気付けるほど、良い流れになると思っている。

2021年度、決めている学びのターンと実践のターン

ここからは私個人の新年度の宣言みたいな話を書く。
3年後くらいに振り返って「当時こんなプロセスで考えていたのか!」と発見があると嬉しいな、くらいのノリだ。

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Photo by Jamie Street on Unsplash

◆学び:原体験のある学びに、体系的知識を
慣れ親しんだ役割「プロジェクトマネージャー」が初めて名刺に記載された。こういうの、ソーシャルメディアとかWebマーケティング以来だ。

私の人生は不思議で、新しい役割や領域をファーストペンギンの1羽として苦労して担って一息つくと、後から肩書きがバズワード化する。
体系化して仲間に受け継ぎ、次の未開の地を見つけに行くことが多い。
(転職でなくても役割を自力で開拓しに行く。つまりハック型ではない。)

プロジェクトマネジメントは、私にとって「強烈な原体験」を大量に含む「経験からの学び」だ。本質は何か?を特定し、実践するパターンも複数持ち、新しい題目への対応は今でも可能だ。
でも、3月~4月にかけて、それだけではいけない…と落ち込む出来事があった。磨くのを止めていた「納品満足度ある資料」「端的さ」「フレームでの説明」等のスキルの未熟さという形で、危機感は登場した。

つまり「③自分の学びは仲間や相手に活かせる形で吐き出せているか?」に通じる「体系的知識の学び」を強化するタイミングだと解釈した。
「学ぶターン」の到来である。
元々インポスター症候群なので、徹底的にやりたくなり、10万くらいかけて体系的に学べる資格の勉強をGWにすることにした。(受験に実務経験の証明も必要になるため、色んなハードルを超えることになりそう…)

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Photo by Green Chameleon on Unsplash

お財布は痛いけど、自分が体系的にも学ぶことで、一緒に取り組む人に「やりやすさ」や「得るものが多い」と満足感を持ってもらえる要素にできたら、私も嬉しい。

英語に関しても、同じ状況が起きた。
大体聞き取れるし、長い文章を読むのは得意で、非ネイティブなりに使えるレベルだけど、留学や駐在していた人には及ばない。実践での信頼はTOEICスコアでは培えないと思った。
長期戦だけど実践で使える証明と安心感につながる、IELTSで勉強を進めることにした。(戻ってこい!私の文法!)
DMM英会話は瞬発力と息抜きに変わり、変なDaily Newsを見つけて講師の方と笑い合うことが増えた。

◆実践:原体験をライフワークに活かす(ヘルスケア&フェムテック)
原体験を実践にフル活用すると、思わぬ価値を生むことができる。

私の携わってきたものはインターネット、SNS、人工知能、ロボット、IoTと後にバズワードに括られたり、新しい領域とみなされがちだ。
それゆえの毀誉褒貶に苦しむことはあれど、毎回何かしらの原体験とのリンクを見つけて頑張った先が、新しい領域で形になることが多い

根幹は「小さい頃体が弱く、わかり合えなさを先に知った」ことだと思う。

大病ではないが小児喘息とアトピーに加えよく熱を出し、食が細かった。
しんどいので、お医者さんの言うことも一生懸命理解する癖がつき、休養中はずっと本を読んでいたせいか、言語能力が先に磨かれていった。
小学校のスタートは、叫んで暴れる同級生が理解できないところから。
わかり合えなさを先にわかってしまった者として、「伝える」「言葉を使う」生業は魅力的で、作文も得意だったので、自然と文系に進んだ。

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Photo by Annie Spratt on Unsplash

そこに、インターネットが登場し、「救われた」と思った
わかり合えなさを生きる人達が、各々の方法で伝え合う環境は、様々な「べき論」への息苦しさが、自分一人じゃないと知って目から鱗だった。
そのような経緯から、私は、柔軟な生き方もインターネットもとても愛していて、良い方向に使われて欲しいなと思っている。

ただ、本当に文系で良かったのか?は今でも謎だ。
人間を含め「何らかのプロトコルのやり取りで生まれる価値」に惹かれており、わかり合えなさがデフォルトなら、間に人工物がいても違和感ない。
叫んで暴れる同級生に人間性を感じなかったのに、誰かがやり取りで価値を感じるならロボットもAIもパートナー…となる発想は少数派だと思う。

このような感じで、原体験が連なった結果が、新しい領域で何かを形にして価値を生んでいく人生も悪くないという生き方につながっているし、学びを実践に活かす際の軸となっている。

おそらく、原体験を活かせてない要素を1つ挙げるなら「ヘルスケア」だ。

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Photo by Luke Chesser on  Unsplash

特に、女性特有のヘルスケアの領域は、みんな静かに不調を堪えている。ゆえに、平常時は同性同士でもお互いに気づきにくく助け合いにくい。

その課題に直面したのは、激務時代の下腹部痛だ。婦人科に行ったら、卵巣嚢腫の初期が見つかり、1週間服薬して休んだ。(すごい痛かった)
仕事に急に穴を空けるので恐る恐る申請したら、女性の先輩方が口々にご自身の体験を話し、色々と教えてくれた。通った婦人科の先生も良い方で、完治後HPVワクチンも接種。己のヘルスケアを見直すきっかけとなった。
女性特有のヘルスケア領域は、自分にとってベストな情報ややり方に出会える機会にムラがあり、人との巡り合わせでも左右されると強く感じた一件で、逆の立場の時は伝える側として機能することにしている。

いろんな人に助けてもらった原体験を活かし、実践で報いるなら、
①まず自分の健康を気を付けること
②正しい情報と選択肢を選べる人を増やすこと
③セルフケアも既存の良い方法を伝え合い、新しく良いやり方も増やすこと
を公私共に行うことだと考えている。
日々専門家が頑張っている②と、日常の一環の③のブリッジが適切なら、早めに対処できる人も増えると思うから。(あの頃の自分に自戒を込めて…)

そういった経緯もあり、フェムテック・フェムケア含めたヘルスケアに関わるお仕事は、前向きかつ真摯に取り組むことにしている。
これまで培った学びと原体験を活かす、2021年の「実践ターン」だと思う。

2021年度は、原体験のある学びに「体系的知識の学び」「実践ターン」を掛け合わせて、良いものを生み出したり、生み出す人を応援出来たら嬉しい。

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