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マーケティングを漢字一文字で表すと・・・

マーケティングに本格的に触れたのは、最初に勤めた会社でマーケティング部に異動してからのこと。

古い体質の、中途採用もほぼない日本企業。部内にマーケティングを教えてくれる人はおらず、上司から勧められた本は意味がわからず、自分がやっているのがマーケティングなのかもよくわからない日々。上司たちが、よくマーケティング部の機能や体制について組織論を戦わせているのを不思議な気持ちで聞いていた。

そんな中、部内で唯一マーケティングのプロと言える、世界有数のマーケティング調査会社から転職してきた副部長のAさんが、なぜか日中フラフラと私の側にきては問わず語りに話を聞かせてくれるようになった。

当時、辻仁成さんと江國香織さんの「冷静と情熱のあいだ」という小説が話題になっていた。一つの恋愛を、辻仁成さんが男性側に立って、江國香織さんは女性側から書き、それぞれ独立した本として出版するという企画。ある日、Aさんがものすごく嬉しそうに「柳田さん、『冷静と情熱のあいだ』って知ってる?あの本はすごいよ。男女でここまで考え方が違うというのがよくわかる。マーケティングの勉強になる」と熱く語ってくれた。奥様と仲が良い話も聞いていたので、男女の考え方の差なんてよくわかっているだろうに、とその興奮ぶりを失礼ながらちょっと可愛らしく微笑ましく思ってしまった。
細かいことは覚えていないのだが、Aさんが聞かせてくれるマーケティングの話は、世間話や雑談みたいな話が多かったように記憶している。

今にして思えば、私は最初の師に恵まれていた。
Aさんはマーケティングの話が大好きで、学問的じゃないことをフンフン喜んで聞いている私に話すのが楽しかったのだろう。本で読んだらよく理解できないマーケティングの話を、雑談の中で語ってもらえて、知らない間にマーケティング的な視点を学ばせてもらった。


マーケティングとは

ある日のこと、いつものようにAさんが側にきて、いつものように嬉しそうに「マーケティングを漢字一文字で表すとなんだと思う?」と聞いてきた。

たまに、マーケターに同じ質問をする。
返ってくる答えは、「売」「利」「遊」「結」「益」「絆」など様々。
どれも間違っていない。正解のない、回答者のマーケティングに対する姿勢が問われてしまう怖い質問だ。

答えられない当時の私に、Aさんは、ものすごく純粋に嬉しそうな楽しそうな、ちょっと得意げな顔をして言った。
「僕はね、『商』だと思うんだよ」


Aさんは、自分が思い当たった考えを嬉しくて話してくれただけで、そんなに重要なことだとは思っていなかったんじゃないかと思う。なぜなら、その話は一回しかしたことがないから。だけど、私にとっては忘れられない質問になった。
以来、自分なりの答えを考え続けているが、Aさんのいう「商」が一番しっくりくる。

前回、マーケターはお見合いおばさんだと書いた。根本の精神はそうである。が、仕事であれば利益は必要。利益がなければ、食べていけず、商品やサービスを継続して提供することができない。継続することもお客様への責任だ。

売るだけでは寂しいし、結びつけるだけでは足りない、利益が先に立つのも自分としては腑に落ちない。

「商い」という言葉から、モノを商うことで世の中に生かしてもらっているという謙虚さとプライドを芯に持った、商人の行為全般を私はイメージする。

フェニキア人、ソグド人、ユダヤ商人、華僑、近江商人・・古今東西、商いを得意とする民族、部族、一族がいる。
江戸時代には、顧客台帳があったり、平賀源内がうなぎを売るのに土用の丑の日を利用したり、三越の前身越後屋が定価販売を始めたりしたことはよく知られていて、ずっと昔から商人たちは知恵を絞ってきた。
知恵の伝承もあるだろうし、商人の血というか、DNAに組み込まれたものもあるのだろうと思う。

マーケティングとは、連綿と続く商人たちの知恵を、商売が得意でない人たちが、外部から分析し体系化したものだと考えている。


※商いの学問であれば、商業学や商学があるじゃないかという声もあるかもしれないが、あくまでマーケティングとは何かの考察と捉えてもらえれば幸い。

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