樹璃と枝織は、ユリ熊嵐の夢をみるか?③

 新作漫画の根本である樹璃と枝織の関係性と、瑠果の立ち位置についての個人的考察を、皆様に共有してもらったのが前回のあらすじです。
ここから、新作漫画で引用された百合城銀子と椿輝紅羽の物語、ユリ熊嵐がそもそもどのような話であったのかという個人的考察です。

③-1:革命後の世界に根付いた"ユリ"という概念

 二〇一四年に漫画版が先行して発売され、二〇一五年に幾原監督のオリジナルアニメ三作目として放送されたユリ熊嵐。輪るピングドラム製作中に「やった事のないジャンルをやりたい」という挑戦心と、長く百合マンガを執筆している森島明子先生のキャラクターを使用するアイデアから「ユリと熊、混ざらない別々の存在が出会って嵐が起こる」と題されたこの作品は、
ウテナ以降の世界で「マリア様がみてる」のヒットから表面化し現代にジャンルとして確立された女性同士の関係性を表す概念"百合"を監督なりに追求した物語となっています。

ちなみに監督自身は「自分は百合というジャンルでは初心者」という旨の発言をしていますが、これは今まで監督が自作品で物語の主題として「女性同士の恋愛を含めて親密な関係性への発展」を描いてこなかったという意味でしょう。
オリジナルアニメであるウテナとピンドラは、現代で百合と呼称される同性愛的キャラ描写はあれど「男社会からの自立」「与えられた愛を分かち合う生存戦略」など、どちらでも描かれる物語そのものとして設定されたものではありませんでした。

日本に根付いた"百合"という概念の語源は、ゲイ=薔薇の対義語としてレズビアンを表す隠語が生まれたという説が主流ですが、これに類する作品形態は戦前の女学校を舞台にした少女小説"エス"の文化を下敷きにし、マンガ・小説を中心にタブーの悲恋・悲劇としての同性愛作品が現実の性指向であるレズビアン表現と混在していました。そのうち生まれやタブー描写・ポルノ表現から離れた女性同士の描写が現れだし、90年代から従来の暗い部分を出さないポジティブな女性同性愛の表現へ変遷していきます。
この90年代の変遷の中に、②の項で前述した「ウラネプ」が入りますが、その影響凄まじく、ウテナ時代の幾原監督のインタビューでも同年代のコミケにおける百合系作品の隆盛を認知している発言が見受けられる程です。
(「絶対表現至上主義 アニメ版ウテナのつくり方」 幾原邦彦インタビュー )
そして98年に現代版エス作品「マリア様がみてる」の登場により、発端は年若い少女の夢であり現実の成人女性の性であった"百合"という概念は、男性読者・愛好者の増加によって、現代では「女性と女性の間にある関係性の全肯定」でありながらも「男性性と性愛を排除した女性によるプラトニック関係」「女性の性欲など現実的な側面も許容したレズビアン寄りの関係」果ては「"仲の良い女性同士がいる"という自主的な関係性の読み込み」まで、様々な女性同士に対する目線を内包する概念の域へと成長を遂げました。

つまり、幾原監督にとって"百合"に挑戦するという事は、相当現代的な観念・観点に基づいた作品に挑戦する事だったのです。


③-2:ユリ熊嵐が提示した「あの娘たちの未来」

  一ジャンルでありながら、様々な関係の在り方を内包する"百合"。
その広義的な在り方は、ユリ熊嵐での単語選びに反映されています。
主人公の紅羽は、公式サイトでのキャラ紹介ではっきり純花と"友達兼恋人"であると明記されていますが、実際のアニメ本編で二人は互いを「ともだち」と呼び、また互いの好意は「スキ」という言葉で表されています。
どちらも最低限の人間関係や感情を表す広義的な単語ですが、画面上の演出や声優の台詞の喋り方によって、視聴者には二人のシーンから、使われている言葉以上の関係である事が読み込めるように描写されるのです。
ユリ熊嵐では、あらゆる登場人物が個々に認識している肯定的な関係・感情の形容方法を「ともだち」と「スキ」に統一させる事で、アニメ上で語られる各々の文脈の違いを如実にしています。いわば、単なる友情関係から濃密な恋愛感情までを内包する"百合"の多様性を逆手に取った表現です。

ユリ熊嵐の物語は、生きとし生けるすべてを愛するクマリアが粉々に失われ"ヒト"と"クマ"・二種類の生き物の関係が断絶された世界を舞台に、嵐が丘学園で純花がクマに襲われて亡くなった事件を皮切りにして、壁を越えて人間を襲い捕食する"クマ"と、ともだちという名目で群れて互いを守ろうとする"ヒト"の在り様が描かれていきます。
しかし、物語冒頭で明確に違う理念で動く生き物と描写されていたこの二種類の存在は、話数を重ねるにつれ、実の所抱える社会性の差異がほとんど存在しないものである事も明らかにしていきます。

群れ全体の意志統一のために排除の儀を行い、平等の元に共通の悪者を作り出して迫害するヒト側と、群れの内に親の愛と承認を持たない捨て子が多く存在し、スキへの欲求を餌に戦争で生き延びられない者を弱者として切り捨てるクマ側。ヒトは透明な存在として社会に溶け込む事を信条としながら承認欲求を隠し持ち、クマは生まれながら格差の激しい厳しい社会の中で肉体的な空腹と精神的な飢餓から来る強い欲望に支配されます。
似たような社会に生き、似たような悩みを抱えているが、異質で分かりあえないものとして断絶された二つの生き物。
物語は次第に当初からの謎であった「百合城銀子と椿輝紅羽の関係」に隠された過去を開示し、種族の違う二人が幼少期にスキを共有した"ともだち"であった事が判明し、同時に紅羽の母・澪愛が遺した「月の娘と森の娘」がかつての二人を、そしてこれからの二人の未来を描いたものであった事も確定します。

 お母さんの大切な星のペンダントを森に落とした月の娘と、それを見つけた森の娘。空に分けられた二つの世界に住む娘たちは、ペンダントによって初めて互いの世界の向こうにある領域に目を向けます。
月の娘は「大事なペンダントを見つけたい」森の娘は「どうしてもこの星を落とした人に届けたい」と、空を司る女神 ── 生きとし生ける全てを愛すると謳われながらも断絶の壁を司る女神 ── クマリア様に祈り、断絶を越えたいという願いを伝えます。
クマリア様は「二つの世界にある"断絶"を越えようとするのは、傲慢の大罪である」と二人に言いますが、なおも祈り続ける娘たちに、やむなく二人の願いを叶える方法を教えます。

「ひとつだけ、願いを叶える方法があります。空の真ん中に、ともだちの
 扉と呼ばれる場所があります。もし、あなたのスキが本物なら、その扉
 の向こうにともだちが待っています。その娘に約束のキスを与えなさい。
 そうすれば、願いは叶うでしょう」
クマリア様は、娘たちに問いました。
「あなたのスキは本物?」

クマリア様は二人の娘のために世界を結ぶ梯子をかけ、娘たちは世界を分かつ空の真ん中に存在する、壁のように立ちはだかる一枚鏡へ辿り着きます。

作中終盤までその結末が明かされない未完の絵本は、二人の娘・銀子と紅羽が作中で歩む道筋そのものであり、それぞれが持つ性質を描くと同時に、それぞれの願いを叶えるために必要な事を記しています。
① でペンダントの役割について前述しましたが、主人公の紅羽に対応する月の娘の願いは「大事なペンダントを見つけたい」であり、大切なペンダントとはお母さんから与えられたもの・愛と承認であり、スキの象徴です。
落としてしまったペンダントを見つけたいという願いは、つまるところ「なくしてしまったスキを再度見つける/取り戻す」事で、紅羽にとっては亡くなった純花の事でも澪愛の事でもあり、最終的に純花からのスキによって諦めずにいられた、銀子へのスキ ── かつて自分が傲慢から手放してしまったスキ ── を見つけるための願いでもあるのです。
一方、銀子に対応する森の娘の願い「どうしてもこの星を落とした人に届けたい」とは、幼少期に自分を見つけてスキを与えてくれた紅羽に、自分からスキを与え返しに行きたいという願いであり、冒頭から繰り返し読まれる「断絶された世界の中で壁を越えて本当の"ともだち"になりたかった」というメッセージの種明かしでもあり、るるのスキに感謝をすれど答えられず、純花を見殺しにしてでも求める、銀子の一貫した強い願いです。
その二人の願いを叶えるための方法が、一枚鏡・ともだちの扉の前に立った月の娘と森の娘にクマリア様が言った言葉であり、ユリ熊嵐という作品の核心であります。

「さぁ、その扉の向こうにあなたのともだちが待っています。
 鏡に映る己が身を、千に砕き、万に引き裂けば、彼女に約束のキスを
 与えられるでしょう」
「ただし、あなたは命を失うかも知れません」
「最後に、もう一度問います。あなたのスキは本物?」

「鏡に映る己が身を、千に砕き、万に引き裂く」これこそが、幾原監督がユリ熊嵐で提示した"異なる二人が結ばれるための答え"です。
集団の常識に背く存在を排除する透明な嵐によって迫害された事から、幼いともだちの二人は考えました。
クマの銀子は「私がヒトの女の子なら、ずっと一緒にいられますか?紅羽のことを守れますか?」とクマリア様に問いかけ、ヒトの紅羽は「もしこの子がヒトの女の子なら、ずっと一緒に居られますか?銀子の事を守れますか?」とクマリア様に問いかけます。
このうち、クマリア様の化身である断絶のコートで"傲慢の罪"と断ぜられたのは、紅羽の願いでした。「クマはヒトの世界で排除されてしまう、だから銀子がヒトの女の子になればずっと一緒にいられて銀子も幸せだ」という紅羽の発想は、生まれついてのクマである銀子の本質を否定し、自分の傍に置きたいがために自分と同じものに変えようとする「自分の都合から相手に変化を強要する」行為であり、幾原監督はこれを傲慢と定義したのです。

最終回。自ら紅羽を守るためヒトの女の子になる事を願い、スキを諦めずに己の鏡 ── 渦巻く捕食の欲望 ── を割り、透明な嵐に飛び込んで拘束された紅羽を助けようとする銀子。紅羽は自らの罪、そして自らの銀子へのスキを認めて、今度は自分から銀子へスキの象徴・星のペンダントを渡します。
クマリア様へ自分のスキが本物だと証明する最後の祈りを伝えるため、己の姿が映る鏡へ銃を向ける紅羽。
「クマリア様!どうか私を、クマにしてください!」
紅羽の鏡を割った願いは、自分がスキな相手のために自身が変化する行為。クマリア様は承認し、二人はようやく約束のキスを交わします。

断絶のコートからかかってくる電話は、最初から「その身を○○に委ねれば、あなたのスキは承認される」と言っていました。
「その身をヒトに委ねた」銀子と「その身をクマに委ねた」紅羽は、絵本の結末通りに断絶の壁を越えて、その行方は誰も知りません。
ユリ熊嵐で描かれた銀子と紅羽の関係とは、"求めよ、さらば与えられん"(="失った愛と承認を再生させるには、己の進化が必要である")という訓戒の体現とも言えるでしょう。


③-3:銀子とユリーカで表されたユリ表現の変遷

 ここまで物語全体のメッセージを、銀子と紅羽の関係に焦点をあてて考察していきましたが、二人が結ばれる物語として描かれた一方、そうでないヒトとクマの物語も作中で描かれています。
それが澪愛亡き後相談に乗るなど、紅羽の面倒も見てきた嵐が丘学園の教師・箱仲ユリーカの過去として第8〜9話で掘り下げられた、ユリーカと澪愛の関係です。
②-2の項で軽く触れましたが、学園の中で生徒たちをまとめる教師という立場・娘の紅羽に代替を求めるほど強い澪愛への愛情と執着・幼少期に育ての親から植え付けられた「箱」「穢れたものは愛されない」という観念に縛られた生き方など、箱仲ユリーカはれっきとした"樹璃概念キャラ"の系譜にあり、アニメ版では銀子の鏡とも言えるスキを失った大人のクマです。

とりわけユリーカと澪愛の関係が描かれていく中で興味深いのは、スキを失ったまま学園で暮らすユリーカが、百合花壇で澪愛に"見つけられ"、ともだちとして共に過ごしていく回想の中で挿し込まれる、以下のユリーカの台詞です。

分かってた…分かっていたのに…。澪愛のスキは、私のスキとは違う。
分かっていながら私は、一瞬の甘い夢に溺れました。

ユリ熊嵐の中では非常に珍しい、"スキ"という表現の個人差についての言及です。いわゆる百合ジャンルの中ではお馴染みの"悲恋"展開なのですが、これは作中でユリーカと澪愛が描かれる過去回想でしか出てこない要素で、ユリ熊嵐においては非常に特徴的です。
ヒトの世界に捨てられ嵐が丘学園のヒト"彼"に育てられたユリーカは、穢れのないものとして箱にしまわれ特別なものとして愛でられましたが、別の穢れないものに惹かれて自分を捨てた"彼"を食べることで「大切なものは箱に入れないと、すぐどこかへ行ってしまう/穢れてしまう」という箱の理念を得ます。そんな彼女に「箱を開けて、見て触れてみなければ、大切なものもきっとないのと同じ」と、ユリーカの心を初めて開いたのが澪愛でした。
回想内で「そして私と澪愛は友達になりました」とユリーカが語る心象風景は、制服姿の澪愛と花嫁姿のユリーカ。読み込む文脈でのみ提示されていた二人の間にあるスキの差異が、はっきりと具現化されています。

この澪愛とユリーカに表されるスキの個人差は、そのまま"スキ"という感情が持つ光と影の性質 ── 誰かを承認し愛を与えるというアガペーの側面と、誰かに執着し独占したいという支配欲の側面を浮かび上がらせます。
銀子と紅羽がともだちとして過ごせたのは、間違いなく保護者の澪愛がユリーカとともだちであった人間・クマというだけで迫害しない、クマとヒトはともだちになれる事を知っていた人間であったのが大きいと考えられます。しかし皮肉にも、澪愛を奪って紅羽にクマへの憎しみを教えたのは、自分のスキを捨てられたと嘆いたユリーカでした。

面白いのは、明らかに「樹璃概念キャラ」であるユリーカによる、この互いに違うスキを持っていたがゆえに悲劇的な結末に至るという典型的な同性愛表現が、本編軸よりもずっと昔の過去の出来事として挿入される事です。
ある程度成長した紅羽たちで描かれる"百合"シーンにおいて、スキの持つ性質というのは全く問題視されず、あくまで登場人物の中の懊悩・葛藤によってのみ表現されます。
ユリーカの物語は本編時間軸で十年以上前の過去のものです。これは作中で、百合表現の歴史で既に新規性を失い、一つの要素と化した「悲劇的女性同性愛表現」の象徴とも言えるのではないでしょうか。

 第9話「あの娘たちの未来」で、銃に撃たれた瀕死のユリーカは、自分を抱きかかえる澪愛の幻影に、未完だった絵本の続きを自分の箱にしまってあった事を告白します。

「あれは、果たされなかった私たちの愛の夢だった…」
「だから…どうしても欲しくて、盗んでしまったの…。ごめんなさい…」

しかし、あの絵本はユリーカと澪愛の運命ではなく、次世代の銀子と紅羽の果たされるべき未来。
ユリーカの死 ── 悲劇的女性同性愛の収束 ── によって、銀子と紅羽の二人の関係は、友愛から情愛までを含む「スキ」によって肯定される、現代の"百合"が成し得る未来へと進んでいく。
ユリ熊嵐とは、そのように捉えられる物語だと考えています。


 以上がユリ熊嵐での銀子と紅羽、そしてユリーカについての推察でした。
ようやく次回からタイトルの本題、これらの前提条件を踏まえた上での新作漫画「美しい棘」の考察です。
読む気がある人はこの際最後まで私の妄言に付き合ってもらう。
ここまでお疲れ様でした。

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