運河の風景から
中川運河ガイドブックなるものを入手。
「もっと知りたい中川運河」2014年に名古屋市住宅都市局臨海開発推進室・名古屋港管理組合企画調整室によって、企画・発行されたものだ。
このガイドブックには「中川運河の見どころ」として、私も足を運んだ場所が多く掲載されていて、その案内文から現地では気づかなかった情報を得た。自分が見た風景に情報が肉付けされ、また新しい経験をもたらされたような感じがする。
せっかくなので、ガイドブックに沿って、ざっと訪れた場を振り返ってみることにする。
①西宮神社・運河神社
西宮神社は、「運河のイボ神様」ですね。
② 名古屋港漕艇センター・中川口緑地
ここに着いたのは夕方。夜の闇に夕焼け空が包み込まれる寸前あたり。人工的なネオンが映り込む水面が印象的で、そこを大学のチームなのか、レガッタがスーっと滑るように目の前を通り過ぎていく光景に、どこに向かっているのかも分からなくなるような混沌とした中を、時間だけが一直線に駆け抜けっていったことを思い出していた。
晴れた日中では、全く印象が違うだろう。
何気ない日常の風景でも、ふとした瞬間に感覚を呼び覚まされることがある。風景は、それを見る人の経験世界を生きるものなのかもしれない。
③ 中川口通船門
ここに着いた時は、日が落ちきり暗くてよく見えず・・・。
中川運河の通船門は、水門で仕切られた閘室内の水位を上下に調整することにより、船の通航を可能にするパナマ運河と同じしくみで、日本の運河に現存する数少ない施設となっているそうだ。
私たちの社会はモノを運ぶことで進化を遂げてきた。
ケンブリッジ大学人類学・考古学部のウィリアム・マグルー教授によれば、「人間の進化の鍵となる直立2足歩行は、物を持ち運ぶ戦略の結果であり、それが永年にわたって続くことで人間独自の進化の方向に導かれた」とある。「何かを運ぶ」ということは、人間が根源的に備わっている生存システムなのかもしれない。
運ぶ身体にむくむく興味が湧いてしまったが、それはまた別でリサーチしてみたいと思う。
④ 松重閘門
ここを訪れるたびに、複雑な気分になる。ある位置から松重閘門を見ると情緒たっぷりの景観に高速道路やラブホテル、スーパー銭湯などが、視界に入り込んでくる。なんだか「昭和」「平成」に、かつての情緒が埋没しかけているようで、気分がざわざわしてきてしまうのだ。これから「令和」は、この風景にどのようなイメージを結んでいくのだろう。
⑤ 運河らしい景観
「運河らしい」とは、どういうことを指すのだろう。
英語で運河は、 canal、もしくは waterway と呼ばれる。Canal はラテン語の canalis に語源を持ち「水の管水路」を意味している。運河はまず中東や中国で成立し、それがローマを通じてヨーロッパに伝わった。もともとの運河の目的は排水灌漑にあったのに対して、欧州ではギリシア・ローマ時代から輸送を主な目的として建設され、その伝統は近代まで続いたためにcanal は輸送を主とした語として使われるようになったのだ。もともと「水の道」であるwaterway もケンブリジ英英辞典によると「人々が移動するために使用することができる川および運河」とある。日本語の「運河」を辞書で引くと「運輸、給排水、灌漑などのために人工的に造った川。自然の川や海岸線の海中に手を加えた水路・航路を含む 」とあり、多目的であることが強調されている。
人工的に造られた川の特徴として、私がイメージするのは直線だ。自然の河川は、地形に対して蛇行しているが、運河はどれも真っ直ぐだ。
いかに効率的にモノを運ぶか。いかに自然をコントロールするか。運河は近代化、工業化の象徴だ。
運河をどのように見るか、つまり運河への「まなざし」のあり様によって、運河らしい風景の捉え方は変わる。運河が建設された際の歴史的背景、気候や地形などの地理的背景などを知ることによっても、その風景の捉え方は変わる。次に中川運河を見た時、私はどこに運河らしさを見るのだろう。
⑥ 平和橋
残念ながら、私はまだここを訪ねていない。
ここは、昭和12年(1937)日本初の国際的博覧会として開催された名古屋汎太平洋平和博覧会の会場になった場所で、会期78日間、海外から29ヶ国が参加、57のパビリオンが建ち並び、総入場者数は480万人で、戦前の博覧会としては日本最多を記録しているそうだ。
「平和」という言葉を発するとき、それが意味するものは、それぞれの人が育った環境や今置かれている状況によっても大きく異なる。これまで平和橋はどんな「平和」を見つめ、この先どんな「平和」を見てゆくのだろう。
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