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インドネシア映画『Bebas』:1995年のジャカルタ風景

多くリメイクがされている韓国の大ヒット映画『サニー 永遠の仲間たち』のインドネシア版『Bebas』(自由)が公開された。
周りがあまりに絶賛していたものだから、けなす気いっぱいで「いざ、粗探し!」と意気込んで映画館に向かったのだが、90年代ジャカルタの青春は(私はもう大学生だったとはいえ)実体験しているだけに、まんまとノスタルジーにはまって楽しまされてしまった。映画館を出た後も、映画の世界のままの気分で街を歩いたのなんていつぶりだろう。

『Bebas』公式トレイラー

90年代のジャカルタってどんな感じ?

現在と過去を行ったり来たりしてストーリーが綴られるこの映画。過去の時代設定は韓国版、日本版、ベトナム版などそれぞれ異なり、そこに各国の個性が出るんじゃないかと思う。ただ、私自身インドネシア版以外は日本版を飛行機で見ただけで、他国バージョンとの比較や批評はできない……。

インドネシア版が過去の舞台として設定したのは、1995年。一体それがどういう年だったか、一言でいうと、いろんなことが変化に向けて加速を始めてきた。そんな頃なんじゃないかと思う。

映画の中で言及される固有名詞やシーンを拾って、ちょっと覗いてみよう。

ひとつの大きな時代の終わりへ

 1967年から1998年まで続いたスハルト長期政権のほぼ末期で、国民の不満がくすぶり始めていた。労働運動指導者マルシナーの誘拐殺害事件の発生(1993)、軍艦の購入をめぐる汚職疑惑の報道で雑誌のTempoとEditor、タブロイドDetikの3誌が発行禁止処分(1994)を受けるなど、なにやらきな臭い世情。このままではいけないとアクションを起こし始める学生たち。主人公フィナのお兄さんも学生運動に精を出している。  

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TEMPO誌発行禁止のきっかけとなった1994年6月11日号

流行とABG

ケータイもインターネットも普及していなかった頃だ。若者たち、またの名をABG(アーベーゲー)がむさぼるように消費していたテレビ、ラジオ、雑誌など、従来のメディアの影響力が(まだ)非常に大きかった。

ABGとは anak baru gede (大きくなったばかりの子という意味)の略で、要はティーンエイジャー。まさにこの映画に出てくる高校生のフィナとその仲間たちのことだ。

インドネシアでは、テレビ・メディアがTVRIの独占に終わりを告げ、多局化の時代を迎えたところから、ABGの文化が派手な盛り上がりを見せ始めたように思う。かつてのように、家族全員で一局のテレビ放送を楽しむのではなく、ABGにはABGのための番組(情報)が与えられるようになったからだ。
どんどんその数を増す開発の落とし子、すなわち都市部の中・上流家庭の子供たちは、お小遣いを手に、雑誌から、テレビから、ラジオから、カセット(CD) から情報を吸収し、新しいか古いか、かっこいいかわるいか、笑えるか笑えないかの基準をもとに流行を生み出す。(以上松野明久編『インドネシアのポピュラー・カルチャー』、めこん、1995年の拙文から抜粋)

好きなテレビは絶対見逃さない!

長年国営テレビ局TVRI独占状態だったのが、1980年代の終わりに民間放送局設立の許可が出されてから到来したテレビ黄金時代。この映画の中では、ライバルグループのリーダーが、都合が悪くなるといちいち「MTVの時間だから帰らなきゃ!」、「Liputan 6(SCTVのニュース番組)の時間だわ!」と理由を作って逃げるのがおかしい。

ちなみに、映画内でMTVのVJ(ビデオ・ジョッキー)としてナディア・フタガルンについての言及があるが、主人公フィナの母親役であるサラ・セハン(まだ45歳なのにすっかり口うるさいおかん役が定着)も、1996年以降の人気VJである。

サラ

サラ・セハン(左がVJの頃、右が割と最近)
https://www.kanal247.com/media/konten/0000004658.html

いつでもそばにあったラジオ

フィナが夜、布団にもぐりこんで仲間たちと電話しながら(もちろんワイヤレスじゃないから線を思いきり引っ張って)ラジオにリクエストするシーンに出てくるのが、Prambors FM。ヒット曲はもちろん、若者言葉もここから多く生まれた。一時はブロックMにPrambors Cafeなるものが営業していたこともあったくらいで、まさにジャカルタ若者文化の震源地だったと言っても過言ではないだろう。

主人公の淡い初恋のシーンで印象的に流れるのはクリシェの曲『Sendiri』(めちゃ泣けるやつ)だが、実はクリシェもPramborsとは深い縁がある。Prambors FMが主催していたLomba Cipta Lagu Remaja(若者作曲コンテスト)の1977年度受賞曲『Lilin-lilin kecil』(作曲:ジェームス・F・スンダー)が、彼の代表的ヒット曲のひとつなのだ。

クリシェ 『Lilin-lilin kecil』

憧れのカバーガール

GADIS、ANEKA YESS!、MODE、Hai!など、ティーン向け雑誌が盛り上がりを見せていたのもこの頃。GADISやMODEで毎年行われていた表紙モデル(カバーガール)コンテストに出て、その姿が誌上に掲載されることは女の子たちの憧れだった。今じゃ自撮りのインスタグラムで誰でもカバーガールみたいなものだが、GADISのコンテストは今でも続いているらしい。

彼らのとりことなったABGの女の子たちは、「ファンの集い」に「パスカン・ポケット pasukan poket(ポケットカメラ軍団)」と化して会場に殺到し、あこがれのカバーボーイ、カバーガールを激写する。(『インドネシアのポピュラー・カルチャー』拙文から抜粋)

ケータイなどないので、フィルムを入れたポケットカメラが彼女らの武器である。素人出身の人気者、今でいうブロガーとかYouTuberみたいなものだろうか。

仲良しグループの中で一番美人のスチも、表紙モデルとなって学校中の話題をさらった。なお、クリス役のスーサン・バフティアルは、1997年MODEの表紙モデル出身だ。

スーザン

スーサン・バフティアル http://jarnawi.blogspot.com/2011/11/majalah-mode-1997-10.html  

MTVが拓いた新しい音楽の楽しみ方

1993年に放映を開始したMTV Indonesiaの大ブームからミュージックビデオが大量に作られ、それを放映するMTVの類似番組が雨後の筍状態で生まれてきた。もともと華やかではあったインドネシア・ポップ音楽界だが、音に映像が加わり、新しい局面を迎えた感がある。

それにしても、1995年の時点で海外のMTVブームからすでに10年以上経っていたことを思うと、最近のトレンドの時差のなさにはあらためて驚かされる。この映画のタイトルにもなっている『Bebas』は、インドネシア初の本格的ラッパーと言われるIwa Kのヒット曲。彼が出てきたときは本当にびっくりしたけれど、今やワールドワイドに活躍するリッチ・ブライアンが登場する時代だもんね。

Iwa K による映画『Bebas』の主題歌『Bebas』

リッチ・ブライアン『キッズ』

そんな90年代のミュージックビデオ・シーンの中で大人気だったバンドン出身のお笑いグループ、Project Pは(アル・ヤンコビック風)パロディソングで一世を風靡。その弟分Project Popはコミカルな歌で今も人気だが、それらのメンバーであるダアンとティカが高校の先生役として出演していて、ついにやりとさせられる。

P-Project “Antrilah di loket” (All 4 Oneの“I can love you like that”のパロディ)

インドネシア映画再生の立役者たち

 こうしていろいろなメディアが盛り上がりを見せる一方、実は、ほとんど死んでいたのが他でもない「映画」である。年に数本、低クオリティのポルノまがい(?)の映画だけしか製作されていなかった。『Katalog Film Indonesia 1996-2005』 (JB Kristanto)に記録されているこの年の映画は22本。そのタイトルをちょっと見てみると、『禁じられた欲望』、『愛人少女の魅力』、『愛のベッド』、『禁じられたスキャンダル』などなど……まあむしろ興味をそそる感じではなきにしもあらずだれど、さすがに全部が全部これじゃね……。

この状態を放っておいてはいけない!と立ち上がった映画人たちが団結してオムニバス映画『Kuldesak』(1998)を撮り始めたのが1996年。その制作に関わった監督4人のうち2人が、何を隠そう、『Bebas』のリリ・リザ監督とプロデューサーのミラ・レスマナだ(あともう一人は、前出のIwa K『Bebas』を始め数々のミュージックビデオを監督していたリザル・マントファーニ)。のちに、商業的に成功してインドネシア映画の本格的な再生に貢献した『シェリナの冒険』(2000)もリリ&ミラの作品である。

『Kuldesak』公式トレイラー

ムードメーカーとしてのオネエ

ところで、最初に比較はしないといったが、インドネシア版が他国版と一番違う点として挙げられるのが、なかよしグループの中に一人だけ男子が混ざっていることだ。この彼、いわゆるオネエキャラ(→この用語ってダメなのかな?とビクビクしながら書いてます)。

お笑いグループSrimulatのテッシー、テレビのお笑い番組『Lenong Rumpi』のアデ・ジュウィタ、タレントのドルチェ、新しめのところではお笑い番組『Extravaganza』のアミン。彼らはキャラの設定で女装をしているケース、実際に性転換をしているケースなどまちまちで、ひとつにまとめることはできないかとは思うが、ゴツいルックスにミスマッチな女性的言葉遣い、身のこなし、衣装で長い間ひとびとを笑わせ、楽しませてきた。

テッシー

Srimulatのテッシー

この映画に出てくるジョジョの場合は、女装もしていないし、1980年代後半から90年代前半にヒットした青春映画『Catatan Si Boy』シリーズで主人公のボイの大親友として活躍したエモンへのオマージュみたいな気がしている。

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ディディ・ペテット演じるエモン(映画『Catatan Si Boy』)
http://www.letthebeastin.com/2011/06/catatan-si-boy-part-1-characters.html

なお、オネエキャラへの政府の締め付けは近年厳しくなっており、インドネシア放送委員会は、男性が女装をして出演することを2016年から禁じている。理由の一つとして挙げられているのが、こどもの教育によくないと……。

フィナの青春時代

すっかり取っ散らかってしまったが、これがざっと映画『Bebas』で描かれた主人公フィナとその仲間たちの青春時代の背景だ。日本でいつか上映される機会があったら、ぜひこれを思い出しながらご覧いただきたい。

新しいものがどんどん生まれ、環境が激しく変化していく真っ只中。フィナたちの青春も友情も時代に翻弄され、変化せざるを得なかった。長じた今、ふと立ち止まって考える。私たちって自由だったよね?今も自由でなにがいけないの?

最後に、サントラで印象的な一曲を。テクノ感が気持ちよくて妙に耳に残る。映画主題曲と同じ「自由」をテーマに歌っている。

Singiku『Kebebasan』


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