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立派だった卒業式

今日は娘の卒業式でした。

通信高校を選んだ娘は
入学当時、家から出ること、人と話すこと、電車に乗ること、学校内に入ること、学校内に滞在すること、お弁当を学校で食べること
当たり前の全てがチャレンジの連続でした。

今の娘は本当に別人のように明るくなり
学校にも行ける、飲食店でバイトもして、妹、弟の世話もする
私がいなければ夕飯も作ってくれる
立派な娘に育ちました。
こんなことができなくても、生きていて笑顔でいてくれれば何も望まない。
だから娘から進路を決めなくてもいいの?とか
大学行けなくても専門学校とか行かなくてもいいの?って聞かれたんだけど
私の本心からやりたいことがみつからないなら、みつかるまで
自分のやりたいことをやって過ごしたらいいじゃないって思ってる。
それが一般的にはフリーターと言われるものであったとしても
母は恥ずかしいなんて1ミリも思っていない。
むしろ適当に人生を選ばなかったことを素晴らしい決断ができたなと思ってる。

私自身のことを思い出しても
中学、高校時代は勉強嫌いだった
英語、現代文は好き。だから上位何番に入る。
地理とか理系、特に数学なんて本気で理解ができなくて最低点。
本当にでこぼこのある子だった。
短大に受験する時も
現代文と英語で受けれるところっていう基準で選んだ。
大好きな予備校の先生ができて
現代文だけは模試の裏の順位に名前が載ったりと
好きなことのみ頑張れたから。
娘にもやりたいことをみつけて楽しめることを探してほしいと思ってる。

話が卒業式からずれてしまったんだけど
学校の方針で卒業証書授与はクラス代表しかやらなかった。
元気になった娘は卒業証書授与したかったと。
そうだよね、
中学卒業式は式に座っているのが精いっぱいでみんなが授与されていて自分の順番が近づいてきたら体調が悪くなり、真後ろにいた私の友人のママがなんとか隣に座らせて式典に残らせてくれた。
だから小学校しか卒業式で卒業証書授与って経験してない。

高校生活もやりたかった部活や、やりたくないかもしれない授業やテスト、友達とぶーぶー言いながらのテスト勉強とか、いわゆる普通の高校生みたいなスクールライフはできなかった。
だから卒業証書授与くらい、経験したかったなって数日前に言われたときに私もちょっと胸が痛んで涙が出たんだよね。
でもさ、過去の娘の状態のまま卒業式を迎える子だって本当にたくさんいて
式典内にいるだけだって頑張ってる子もたくさんいるのが通信高校の現実。
娘は今は元気になったから、日本の中の当たり前の卒業式を体験したかったって思ったみたいだけれど、それは彼女が本当に元気になった証拠。
そう思えるようになったことに、また感謝でいっぱいになった今日。

卒業証書授与なんて形がなくても、この日を笑顔で迎えることができたこと
それが何よりのギフトだし、3年前なら想像のできなかったこと。
笑顔で感謝あふれる日を迎えることができたことが喜びでした。

思春期と言う時期、たくさんの友だちと出会って色々経験する時期に
本当に苦しい時間を過ごした娘。
やりたいこと、やりたかったこと、親として経験させてあげたかったことを考えてしまえば後悔もなくはないけれど、この経験すべてが糧になる。

これから始まる娘の生活は希望に満ち満ちた日々が訪れるに決まってる。
もちろん私も私の家族も私にかかわる人も
みんなみんな希望に満ちた生活ができる♡
どんなことだって、これから楽しく経験できると信じてます。

本当に成長した高校3年間。
私が想像できないくらい頑張って、自分を磨いて今日の日を笑顔で迎えた娘を心から尊敬しています。
心の底から卒業おめでとう。
今日の日を迎えられたことに感謝をして…

続く…


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