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同居していた叔母といとこ

前にも少し書いたんだけど
両親が飲食店を経営していたこともあり
母の姉とその娘と一緒に暮らしていた。
幼かったため詳しい事情は分からないのだけれど
どうやら色々訳アリだったみたい。
叔父とは別居。
叔母と10歳年上のいとこだけが我が家と同居していた。

叔母もなかなか束縛が厳しいタイプのように記憶している。
いとこ(ねえねと呼んでいたので、これからはねえねと記載します。)
ねぇねが中学、高校で少し遅くなると
壮絶な親子喧嘩。幼い私が見ても遅くもない時間だった。
両親が仕事に行っている間に始まる叔母とねぇねのケンカを
幼い私が仲裁する。
険悪な雰囲気の中での夕飯だったり、夜の時間だったり。
親子喧嘩があっても問題のない私だけは
普通に暮らす。
叔母ってちょっとおかしかったと思うんだけど
外食行っても
食べなさい、食べなさいって小さな私に馬鹿みたいに
食べさせる。食べられないって言っても
食べなきゃダメ!と無理矢理に。
汚い話だけどなんとか口に運んで
帰り道ではいちゃうとかよくあった。

ねぇねからは、嫉妬の対象になっていたみたい。
私のことをかわいいと思ってくれる半面
叔母や母たちがいない時は
ちょっと意地悪したりしてきた。
ほんとにくだらないことだったんだけど、
2人でご飯食べるとき
私だけおかずとかめっちゃ減らされたとか
好きなおかずくれないとか。
なんか食べ物ネタばかり…笑

愛情って何なんだろう?って
今これを書きながら考えだす。
可愛がってくれなかったわけではなかったけれど
私が欲しい愛情ではなかったな。

一緒に住んでいても
育ての親だと感謝はしていたけれど
やはり実の親ではないし
みえない壁を感じていた。
叔母は今思うと
九星気学みたいな占いをしていて
ちょっとスピリチュアルなお仕事もしていて
幼いころには家に天照大神の掛け軸があって
毎日、天津祝詞を唱えさせられていて
天照大御神が大嫌いだった。

ちょっと書きながら思ったのは
若干、虐待っぽいね。
いつもそんなじゃなくて、かわいがってもらった記憶も
めっちゃあるんだけど、ご飯を思い出すと
食べて吐く、好きなものくれない
ってイメージばかっり。
楽しいご飯を食べてるイメージがあまりないな。

そんなこんな生活が中学卒業くらいまで続いたような…
この辺の記憶が遺産相続のこととか重なって
この辺の時期の記憶がはっきりしない。
なんのきっかけだったか忘れたけど
羽振りの良くなった叔母とねぇねは
近くでは有名な高級マンションに引っ越して
私たちとは別に暮らすようになったんだけど
赤ちゃんから一緒に暮らしていたのに
分かれて暮らすって言われたときに悲しいとか寂しいとか
一切思わなかったことだけを覚えてる。

結局、分かれて住んでも束縛される生活が続くんだけど
それはまた今度…


今日はMinneからバルーンのご注文をいただいた♡
可愛いバルーンに出会えてうれしいですなんてメッセージを
頂き、すごく嬉しい♡

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